1998-2000【19】転職

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第18話に続く第19話。

Japanese Desk

日本に本帰国した後の2008年に結婚した嫁とは、病院から退院したその日に知り合っているので付き合い自体はけっこう長い。

オレがバリにいた頃の友達がバンコクに引っ越して来ていて、彼女はその友達の友達だった。

ただ、“お付き合い”をしたことは一度もない。バンコクで一時期同棲していた時も、周りから「二人は付き合ってるの?」と聞かれてもお互いに完全否定していた。

オレが極貧だった時から知っているので、駐妻M子さんを含めて大体のことは知っている。『両ひざ負傷事件』は知らないと思うけど…あえて知らせる必要性もないだろう。

プロジェクト

さて、栄養失調で5日間も入院したオレを見舞いに来た社長が「いつ出社できるんだ?」と聞いてきたので、心底イラッとしたのを覚えている。

社長本人は覚えていないだろうけど、言われた本人は覚えているものだ。

本当は心の中では思っていなくてもいいから「仕事のことは気にせず、ゆっくり療養しろ」と言うべき。オレだって好き好んで入院しているわけではないし、「そもそもの原因でいえば…恐ろしく給料が安いせいでこうなったんだろぉが、ボケっ!!」と思っちゃうから。

そういう細かいところでの不信感が募っていたことに加えて、「内部崩壊するんじゃないか?」と思うくらい険悪になっていた社内の雰囲気もあり、オレは社長へある提案を出した。

あくまでプロジェクトとしての位置付けで『Japanese Desk』を設立する。

完全な独立採算制は難しいだろうが、なるべくそれに近い形で「自分の分は自分で稼ぐ」ことを前提にしたうえで「結果に見合った対価」を要求した。タイ人営業との相互協力をしない代わりに、Japanese Deskのためだけにタイ人アシスタントを1人雇う。もちろんアシスタントの給料分も自分たちで稼ぎ出す。

はっきり言って21才が考えたなりのかなり“荒いプラン”だったが、最終的に社長はこの提案を受け入れた。正直確信はなかったが、彼にはあまり選択肢がないことだけは知っていた。

社長はプロジェクトの期間を2年で提示してきたが、オレが一切受け付けず結局8カ月で合意。ずいぶんと中途半端な期間だが、8カ月にした理由は覚えていない。もしかしたら…「1年だけタイで働いてお金を貯めた後、中央アジアを通ってヨーロッパに行く」計画の逆算で出した8カ月かも。給料はベースが1万バーツアップの2万5千バーツ(約7万5千円)とし、コミッションに関しても今まで一律1%だったのが1~5%まで幅ができた。

Japanese Desk専属アシスタントを雇うべく面接もした。

最終的に採用したのはオレと同じ年の21才で新卒だったブンちゃん。自分の置かれていた状況を教訓にしたり会社を反面教師にして、ブンちゃんには「Japanese Deskで働いて良かった」と思われるようにめちゃくちゃ気を使って大事にした覚えがある。コミッションもプールしてアシスタントである彼女にも分配するようにしてモチベーションの維持を図ったりして。

プロジェクト開始の初日から新規受注を受けて、出だしから好調だった。

ロック解除

完全な形ではないにしろ独立採算制(のつもり)で動いていたことは良い経験になった。

自分自身の給料はもちろんのこと、ブンちゃんを雇ったこともあってコスト意識が芽生えたことも大きい。赤字のJapanese Deskなど、言い出しっぺ的にも意味がないので必然的に売上よりも利益を強く意識するようになる。

社長との合意で、コミッションは“売上の”ではなく“粗利の”1~5%ということになっていた。ただ、社長とは違いあくまでもいち従業員だったので情報の非対称性がある。売上は分かるが原価が分からないので粗利が計算できないのだ。

そこで、社長がExcelを使ってコミッション算出表を作った。

売った機械の型番と販売額を入力するとコミッション額を算出して表示される。社長としても原価を従業員に晒すわけにはいかないので計算式を非表示にしてロックをかけていた。

ただ、ずっとそのコミッション算出表をいじっているうちに違和感を抱いた。

オレ
あれ?何かおかしい…

そこで、社長が設定しそうなパスワードを推測して色々と打ち込んでみると…

おっ、ロック解除に成功しちゃった!!

内容を見てみると、粗利の1~5%のはずが実際にはもっと低いパーセンテージを掛けてコミッション額を算出するように設定されていた。

オレ
騙してたんだね、社長…

不信感は絶望へと変わり、オレはP社を辞める決意をした。

教訓:パスワードは他人に推測されにくい強固なものを設定しよう!

ロック解除によって原価も知ることとなったが、それから計算すると1カ月目はトントン、2カ月目からはきちんと黒字を出していたので少しホッとしたことを覚えている。

信頼関係が完全になくなったことでJapanese Deskは予定の8か月間を待たずして崩壊。P社には残りたくないというブンちゃんのため、得意先にお願いをして彼女を社長秘書に採用してもらいプロジェクトは終わった。

ブンちゃん、元気かな? ゴタゴタに巻き込んで申し訳なかったなとちょっとだけ思っている。

P社の今

ちなみに…現在のP社は、サイトを見るかぎりだと多角化経営に舵を切ったようで、色々と手を出しているようだが従業員250名とオレがいた頃の10倍以上に増えている。

沿革を見るとオレが働いていた頃は設立3年目だったっぽい。「潰れるんじゃないか?」と思っていた内部崩壊の危機を乗り越えて、ここまで大きく成長させたのだから社長の経営手腕もなかなかのもんだ。(←なぜか上から目線)

でも企業理念に「従業員全員が働くことに誇りを持てる会社を目指す」って書いててウケる。

「誇りを持つ」どうこう以前の問題として、従業員の働きを正当に評価できないような会社は働くに値しないと今でも思っているが、現在のP社がどうなのかは知らない。

転職

P社は「輸送機械を日本から輸入して販売をする会社」と書いたが、実はメーカーの正規代理店ではなかった。

社長は“並行輸入”などと言っていたが、メーカーの日本国内販売店(名古屋)のいち営業マンであるK氏が独断で横流しをしていた。考えられるフローとしては…K氏が日本国内にダミー会社を設立して、そこに販売する形で個人の営業実績を上げる。そのダミー会社からタイのP社に輸出されるみたいな? ダミー会社でなければ、知り合いの会社を使うとか。

後にK氏は国内販売店をクビになったと聞いている。

正規の代理店はというと、台湾系のT社だった。

今まで日本人を雇用したことがないT社だったが、P社を辞めたオレは日本人第一号として拾ってもらった。

基本給は5万バーツ(約15万円)+1台いくらと固定額で支給される明瞭簡潔なコミッション。新車をあてがわれ、プライベートで使ってもガソリン代は全て会社負担。今まで個人負担だった携帯電話も全て会社負担で、プライベートでの使用も可など…Japanese Deskの時よりも待遇が倍以上に良くなった。

それになにより…P社と違いきちんと労働許可証を取ってくれる会社だったので、ようやく合法労働者になれたのが大きい。

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