1998-2000【18】就職

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第17話に続く第18話。

キリよく全20話で終わらせたいので、かなり詰め込み気味。

就職

まずい状況になってきた…

しかし、金がない。手持ちの金が40バーツ(約120円)で、銀行に入っているのが450バーツ(約1350円)。そこでシティバンクからお金を5千バーツ(約1万5千円)おろしたのだが、残高を見て驚いた。あと4万円くらいしかない。最後の綱シティバンクもついに底が尽きそうだ。

日記によれば、この状況になっても「1年だけタイで働いてお金を貯めた後、中央アジアを通ってヨーロッパに行く」つもりでいた。

一度日本に帰るとか、親に援助を乞うことはオレ的には負けに等しい“カッコ悪いこと”でありプライドが許さなかった。そんなにあっさりと白旗を掲げるほど軽い気持ちで日本を飛び出してきていないという自負があったし、海外だろうが自分の力で生きていけるという根拠のない自信もありムダに楽観的だった。

P社

ただ、実際に仕事を探すとなると現実は厳しい。

フリーコピーに出ている求人情報を眺めてみるが、最低条件としてタイ語や英語の語学力が求められているのはもちろんのこと、魚屋でアジの三枚おろしをしていた以外は仕事未経験な21才を求めているような仕事はない。

大体、オレが話せるタイ語など「おっぱいをどうこう」とか「部屋に行ってどうこう」など完全に夜仕様で、ビジネスでの使い方がちょっと想像がつかない単語しか知らないレベル。

そんな中でタイ語も英語も不要で、未経験者でも可な人材を募集している会社が1社だけあった。輸送機械を日本から輸入して販売をするP社で、タイに進出した日系企業を相手にする日本人営業を募集していた。

社長は日本人で、元々は東証1部上場のO社の駐在員としてタイに来ていたのだが、帰国命令を機に退社。タイに残って自分で会社を立ち上げたという…よく聞くパターンの話。

一度面接をした後、再度会いたいと言われP社の社長にワールドトレードセンターのマクドナルドに呼び出される。

この時、オレ以外にもう一人いた求職者も一緒に呼び出されていた。

会社は2人とも雇いたいとのことだった。条件としては、会社の近くに引っ越してくること。給料だが、基本給は1万5千バーツ、約4万5千円とのことだった。予想の最低金額を言ってきた… でもまあいいかなとボクはOKと即答したが、もうひとりのテルは明日まで考えさせてくれと即答を避けた。
社長が帰った後もテルとしばらくおしゃべりをした。彼が言うところによると、もうひとつ求人を出している会社があってそこの方がいいとのことだった。その会社は旅行会社で旅行関係の業務をする日本人を募集している。最初の3カ月は試用期間で給料は1万5千バーツ、その後で本採用になった場合はアップするとの話だ。さらに会社がサトーン通りにあるというのも魅力だ。今のマンションを引っ越さなくてもいいからだ。それで電話だけでもと思い、テルと一緒に電話してみた。
明日の朝10時に面接を受けることになった。

テルは結局、旅行会社で働くことを選んだ。

そしてオレは…旅行会社との面接日の朝、めちゃくちゃ眠くて「面倒くさいからこのままP社でいいや」と面接にすら行かなかった。

後々になって振り返ってみると、ここが意外と大きな分岐点だったように思う。もし目先の微々たる金の違いでP社ではなく旅行会社で働くことになっていたら、その後に働くことになるT社との出会いも生まれておらず、全く違った人生になっていたと思う。

こうしてオレは、P社のあるノンタブリー県(バンコクを東京とすれば、埼玉県みたいな感じ)に引っ越した。

名目年収54万円でのデビューである。実質はもっと低いことは入った後で知る。

イジメ

オレの入社後、社内の雰囲気がどんどん悪くなっていた。

主にタイ人の妬みからきているもので、それが最年少であるオレに向けられている場合が多く取り巻く環境は厳しかった。

客が日系企業の場合、現場はタイ人だが決定権を持つ工場長や社長は日本人であり、当然どちらにアプローチするかで決定力がまるで違ってくる。すると、一流“タマサート大学卒業”という学歴があり、英語も流暢に話せ、年上である“エリート”を自負するタイ人営業より、高卒で旅人くずれという…社会的には全てにおいて“劣っている”21才の若造の方が数字が良いという結果になってしまったりする。

じゃあ、何が決定的に違うのか?と考えた時に「オレはエリートだがタイ人、あいつは何もない若造だが日本人」という『タイ人 vs 日本人』の単純な構図に落とし込まれてしまう。

実際にはそれだけではなくて、「自分はエリート」というプライドが“スマートさ”へのこだわりを生んでしまって真の実力を100%発揮できていない人と、何もないからこそ海外で必死に生きていこうと自分の実力以上のものは他から補ってでも何とかしてやろうと泥臭くいく人の違いもあったかと。

ただ、当時のオレもオレで若気の至りで尖りまくっているから協調性なんか持ち合わせておらず、売られた喧嘩を真正面から買おうとするから火に油を注ぐ…という負のスパイラル。

まぁ、後から振り返ってみればどっちもどっちなんだけど。

殺意

妬みを一心に集めたオレは、そのうちタイ人従業員たちから嫌がらせを受けるようになる。

電話会社から「通話料金を払わないと止める」と連絡があり、調べてみると会社宛に送られてきていた請求書を2か月連続で捨てられていたり…

客から「納期はいつ?」と連絡があり、何のこと?と調べてみると実はオレ宛に届いた発注書がシュレッダーにかけられていたり…

営業車のカギを隠されたり…

他にも色々あるが…どれも地味っ!!

小学・中学と同級生をイジメて親と相手の家に謝りに行った経験はあるが、自分がイジメられて初めてようやくイジメられっ子の気持ちが分かった。

オレ
あいつ、うぜー!!もう消すしかねーな…

イジメられている側は皆こう思っていたのだ。

特にウッドという名のハゲたおっさんが一番陰湿で、諸悪の根源だった。

オレが恐怖を覚えるほどのバカに出会ったのは彼が人生初だ。

本当は何の肩書もないのだが、自分で勝手に『マネージャー』という肩書を名刺に印刷して威張っていたのが社長にバレて剥奪。その時に社長に怒られたのだが、ウッドは「お母さんにも怒られたことがないのに…」と大ショックを受けて勝手に帰宅。タイ人の同僚が様子を見にウッドの自宅を訪れたところ、お母さんに膝枕をしてもらって泣いていたそうだ。

ハゲたおっさんなのに、である。

このマザコン・ウッドからのあまりのイジメというか嫌がらせに業を煮やしたオレは、あいつをこの世から抹殺してやることにした。裏で他のタイ人たちを扇動しているのはあいつだったので、根元を断ってしまえば後は何とかなる。

殺意を抱くほど他人にムカついたのは、後にも先にもあいつしかいない。

タイさんという名の素性の怪しいおっさんに、ヒットマンを紹介してくれるようにお願いをした。彼によると、当然ながら仕事の難度によって成功報酬は変わるらしいが、簡単な案件でターゲットがタイ人の場合だと相場は1万円~、外国人の場合だと3万円~だと言う。

「お金なら全然出す」と言っているにもかかわらず、タイさんには優しく諭された。

タイさん
気持ちは分かるが、まだおまえは若くて感情的になり過ぎている。そこまでバカな奴のためにたった100バーツ(300円)でも使うのは勿体ないと思わないか?

タイさんの忠告通り「そんなバカにはかまわず、完全に無視する」ことにして、やつは一命を取り留めた。

ちなみにウッドはその後も、オレが労働許可証を取得していない違法就労者であることをネタに「労働省に通報する」と会社をゆすってお金を巻き上げたりと絶好調で、逆に飛ばし過ぎてタイ人の中でも浮くようになり社内に味方がいなくなっていった。

極貧生活

色々と差し引かれて手取り6,000バーツ(約1万8千円)の給料から、家賃2,500バーツ(約7,500円)や光熱費・携帯電話代など諸々を差し引いて計算したら…1日85バーツ(約255円)以下の生活をしないといけなかった。

まさに貧困層っ!!

あれ…給料は1万5千バーツって聞いてたけど、単位は円だったの?状態。

ちなみに、この頃はソンテウ通勤をしていたオレ。バス通勤でも電車通勤でもなく、ソンテウ通勤。2tトラックの荷台に座席を取り付けたトラックバスのことで、いつ出発するか分からない交通手段だが、交通費も自己負担だったオレには選択肢がなかった。

入院

極貧だった頃のオレが仲良くしていたのは駐妻のM子さん。

旦那とは面識はないが東証1部上場のS社の駐在員(40代)という話で、M子さんは確かオレの6~7才年上だったので当時27~28才か。

ちなみに…「遊んでいるのは男だけ」と思っているのは偏見だ。個人的な体験を元に言えば、M子さんの駐妻友達で当時30代前半だったMさんとも何かあった気がするので、性別は関係なく人による。なお、Mさんの旦那は東証1部上場のA社のタイ現地法人の社長であった。

M子さんには合鍵を渡していたのでオレが仕事で留守の日中も勝手にノンタブリーのアパートに来て部屋の掃除をしてくれたり、オレがバンコクに出た時には彼女が自宅とは別に借りた部屋(確かトンロー・ベンツの横)に泊まったりするような仲であって、決してヒモではないので一切の金銭援助は受けていない。

今になって思えば、とんでもなく度胸がある人であった。

M子さん
夫と別れて子供と二人で転がり込んでいい?
オレ
いや、どう考えてもムリでしょ?

オレの給料を知ってるだろうに…1人でさえ生きていくのがギリギリなのに子連れで?! 大体、子供がいるのは知っていたけど、会ったことも見たこともないんですけど。

アヤさん(メイドのこと)が身の回りの世話から子供の世話まで全部してくれる駐妻の生活を捨てて、扇風機しかないノンタブリー県の片田舎のアパートで3人で暮らせると本気で思っていたのか?は謎だが、現実的に不可能であることはオレが証明した。

独り身にもかかわらず、お金が無さ過ぎて栄養失調で入院したのだ。

辛いものが食べられないオレは、屋台でバミー・ナーム(タイ風らーめん)ばかりを食べていた。具も大したものが入っていないので、ほぼ栄養素ゼロである。

扁桃腺が化膿してきて、灼熱のタイで鳥肌がたつほどの寒気が来て歯がガチガチと鳴る。

唾を飲み込むことも痛くてツラい状態のため、おかゆも喉を通らずたった1杯を食べるのに1時間半もかかってしまう。食事がきちんと取れないから体力が落ち、さらに症状は悪化するという悪循環に陥った。

バンコクゼネラル病院に行き、熱を測ってみると38度あった。

医者
原因は栄養の不足です。点滴療法を行うので入院です

戦後の話ならともかく、平成のこの時代に栄養失調で入院?!

独り身ですらこのざまである。

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