第4話に続く第5話。
ついに旅に出る
以前から自分でも薄々とは気が付いていたが、確か「世界中を見てまわるんだ!」と豪語して日本を飛び出してきたはずなのに、4カ月が経っても未だにスタート地点で足踏み状態で全く前に進んでいない。
つのる焦燥感の中で、バンコクにある某日系書店で分厚い東南アジアのガイドブックを立ち読みしていた時のこと。掲載されている国々の中でインドネシアはその国土の大きさの割に情報量が少なく、その中でもイリアンジャヤ(ニューギニア島の西半分、現パプア州)はわずか片面1ページだけの紹介で情報らしい情報も載っていなかった。
だが、そこに書かれていた一文に大いに心惹かれた。
「イリアンジャヤには昔からの生活を今も変わらず続けているダニ族などの民族がおり、行けば人間本来の姿に出会えるだろう」
なぜか『人間本来の姿』を外面的なことではなく内面的なことと受け取ってしまったオレ。
最近、自分でも少しすれてきた気がするのは心が薄汚れた醜悪な大人たちに毒されたせいに決まっとる。ここは人間として原点に立ち返り、今もピュアな『人間本来の姿』を残しているダニ族たちに会ってもう一度あの純真さを取り戻すのだっ!!
オレの脳裏には、ダニ族たちに温かく歓迎され、無私の愛に包まれながら親睦を深め、純真な心を取り戻したオレは生涯の友となったダニ族と涙を流して別れを惜しむ…そんな光景が広がっていた。
ガイドブックからイリアンジャヤのページだけを破り取ってポケットに入れたオレは、興奮して一休さんを誘った。
バンコクで知り合った日本人旅行者の一休さんは、坊主頭だったのでタイ人たちから「一休さん」と呼ばれていた。タイでアニメが放映されていたこともあり『一休さん』は超有名なのである。
彼は旅行期間が限られていたのでイリアンジャヤには弾丸で行って、その後は別れることにした。別れた後、オレだけインドネシアに残って国内をゆっくり旅するつもりだった。インドネシアのハルマヘラ島の北にあるモロタイ島に残留日本兵の村があるという情報もあって、色々と国内を見てまわりたかったのだ。
マレー半島縦断
旅モードにさえ入ってしまえば動きは早い。
1泊4日でバンコクからシンガポールまで一気にマレー半島を南下した。
バンコク発スンガイコーロク行きの列車でタイを南下し、マレーシアとの国境まで22時間で行く。当時の運賃は220バーツ(約660円)であった。

タイとマレーシアの国境を歩いて越え、マレーシアのコタバルで1泊した後は13時間かけて夜行バスでジョホールバルまで南下する。運賃は26リンギット(約830円)であった。
ジョホールバルに着いたら、すぐにバスを乗り換えて国境を越えシンガポールに入った。
当時、マレー半島からインドネシアに船で渡る方法は2つあった。マレーシアからスマトラ島へ渡る方法と、シンガポールから小島を経由してジャワ島へ渡る方法だ。オレらとしてはなるべく前者でのインドネシア入りは避けたかった。第一にスマトラ島の治安の悪さと、そして交通の便の悪さを考えてのことだ。
インターネットがまだそれほど普及していない時代、旅に必要な情報は全て自分の足で仕入れてくる必要があった。インドネシア行きの船のスケジュールを確認するため、シンガポールの観光局に行ったオレらは衝撃の情報を知る。
1998年のインドネシアを調べてみればすぐに分かるが、この年に30年続いたスハルト体制が崩壊した『ジャカルタ暴動』があった。厳密に言えば千数百人が虐殺された同年5月がピークだったので、オレが入ったのはその後になるが政情不安が民族対立や宗教対立を誘発し相変わらず各地で殺し合いが頻発していた時期だ。
シンガポールからインドネシア入りできないとなると、マレーシアから入るしかないのか? 一休さんと相談して、わずか1泊しかしていないシンガポールを出て再びマレーシアに戻り、首都クアラルンプールで情報収集することにした。
#Me Tooその2
バスターミナルでクアラルンプール行きの夜行バスを探してウロウロしていると、マレー人のおっさんが声をかけてきた。
おっさんは3人分のチケットを買ってくれた上に、オレと一休さんのチケット代まで出してくれた。ちなみにバスは1列3席のVIPバスだったと日記に書いてある。
そんな心優しいおっさんが買ったのは並びの2席と、列が異なる1席。
普通に考えて、一緒に旅行をしているオレと一休さんが並びの2席に座り、おっさんは1人で旅行しているのだから離れた1席に座るべきだ。
ところが…
なんで?とは思ったが、席順を決めるのは実際に金を払った人の特権と考えれば…おっさんが決めるのもおかしな話ではない。指名されたオレはおっさんに言われるがまま隣に座り、やはり腑に落ちない様子の一休さんも渋々1人で離れた席に座った。
バスがジョホールバルを出発してしばらく経つと、おっさんがオレの手を握ってきた。
何、この謎の風習?とは思ったものの、まぁ別にいいやと思っておっさんと手を繋いで乗っていた。ところが、電気が消えた後の車内で今度はオレの腿をさすってきたり、耳元でハァハァ(*´Д`)言ってくるようになり、流石に「これは何かおかしいぞ!」と。
最終的には調子に乗ったおっさんが、やたらとオレの股間を触ろうとしてくるというセクハラをしてきた。必死になって手で股間をガードするも、おっさんは手をどかしてまで触ろうとしてきて、オレの股間を巡る激しい攻防戦が繰り広げられた。
ドライバーに向かって大声をあげたオレに「何事!?」と、ざわつくバス車内。
色んな意味で、さらにざわつくバス車内。
高速道路の路肩に止まったバスで、近寄ってきたドライバーに「このおっさんが、オレのここをこんな感じでさすってこようとするんです!キモいんですけどっ!」的なマヌケな説明をした後、「今すぐおっさんと一休さんの座席を変えてくれぃ」と直訴。
無事におっさんと一休さんの座席を変えてもらい、ようやく安心して眠りにつけるようになった。
みたいな会話をした記憶がある。
インドネシア入り
クアラルンプールで情報収集し、念のためインドネシア大使館にも行って確認した。
その結果、衝撃の情報を覆す衝撃の事実を知る。
シンガポールとインドネシア間の船は今も普通に運行してるけど?的な。
おいっ!シンガポール観光局のウソにまんまと騙されたオレらは、せっかく南下したマレー半島を無駄に北上してクアラルンプールまで戻り、無駄におっさんに股間を触られそうになり、4日もの時間を無駄にしたのである。
またバスでシンガポールに戻り、滞在1時間で出国。
インドネシアのバタム島に船で入国した後は、6日かけてビンタン島を経由してジャカルタに辿り着いた。
ジャカルタ
ジャカルタの安宿街といえばジャラン・ジャクサが有名だが、オレらが行った時は閑古鳥が鳴いて静まり返っていた。外国人旅行者が全くいないのだ。
毎日のようにデモが行われていて、軍隊が出動して警備に当たっていた。ジャカルタ市内を戦車が走っているのを見かけたこともあり、旅行どころの雰囲気ではなさそうだった。

そんなジャカルタで、国営商業銀行バンクネガラインドネシア(BNI)の銀行口座を開設してみた。
1カ月定期預金が55%という、とんでもない利率だ。タイで銀行口座を作った時に3カ月定期預金が11.5%だったことに驚いていたのに…さらに上をいっている。
さらにBNIでは、預金残高が日本円にして約10万円以上ある口座を対象にして毎月抽選で賞品が当たるキャンペーンで預金流出を食い止めようとしていた。毎月3名にBMW、15名にトヨタ車、300名にスクーター、1500名に洗濯機が当たる太っ腹企画。
但し為替相場も乱高下していて1週間で約20%の変動があるから、レートが悪い時に両替をして高利率で預金してもあまり意味がない。

そして、目的地であるイリアンジャヤまで国営船会社ペルニの船チケットも無事に購入。
エコノミークラスの運賃は35万3500ルピア(当時約5,000円、翌週の為替レートだと6,100円)であった。