1998-2000【6】欲望の塊・壱

第5話に続く第6話。

ドボンソロ号

ジャカルタを出港すると、ジャワ島スラバヤ、バリ島デンパサール、ティモール島クパン、東ティモールのディリ、アンボン島、ニューギニア島ソロンに寄港しながら最終ジャヤプラまで7泊8日の船旅になる。

長旅に備えて2人分の食料や生活用品を買い込んだら段ボール2箱分になった。

乗船開始と同時に戦いの火ぶたが切って落とされる。罵声が飛び交う中を前にいる人を押しのけて我先に乗船し、他人よりも早く良い場所を確保する必要があるのだ。

出港地であるジャカルタから乗る場合はまだマシだが、次のスラバヤやデンパサールから乗り込んでくる人たちは戦争である。勝てば船内の乗客スペースを得られるが、負ければ甲板とか階段とかトイレの前の床に寝る羽目になるからだ。

キャビンは1等から3等とエコノミークラスの全4クラス。名目上は旅客定員1974人になっているが、エコノミークラスに関してはどうやら無限に乗せているようだ。

これがエコノミークラスの様子だが、寝転んで天井を見上げると天井板の継ぎ目の凹んでいるところを小ゴキブリたちが行列を作って歩いている。

ゴミは全て床に捨てるので、最初から汚かった船内が日を追うごとにさらに汚くなってゆく。航行中は掃除が一度もないのでトイレは日に日に臭くなってゆき、トイレの近くに場所を取った人たちは可哀想であった。ちなみにトイレもシャワーも扉が最初から壊れているので、船の揺れと一緒に開閉する自動ドアになっている。

食事は三食が無料で支給される。船内アナウンスと同時に支給ポイントに我先にとダッシュし、1時間くらい並んだ末に支給されるのがこちら。

並ぶのが遅いと、魚3切(写真右上の魚片)だけしかもらえないという…男の子なら皆が憧れた囚人になったかのような気分が味わえる。

ちなみに1等から3等の乗客は、レストランでバンドの生演奏を聞きながら優雅に食事がとれる。1等から3等とエコノミークラスには物理的障壁があり、下々のエコノミークラス客ごときはレストランに入れない(入り口がない)ので窓から覗き込んで羨ましがるしかない。

日記には船内での生活についてこう書いてある。

早朝から子供が大声で泣き出すし、アザーンがバカでかい音量で延々と流れるしで寝ていられない。特に子供。1人が泣くとつられて他の子供も泣き出す。そのうえすぐ泣く。船内食はエサだ。猫のエサと一緒。ところで子供がボクのサンダルの上でおしっこをした。さらにそのサンダルを履いてどこかに行ってしまった。

またしても朝のエサを食べはぐれる。9時、バリのデンパサールに到着。甲板に出るとじっとりとした暑さが体を包む。そしてまた人の洪水。完全に定員オーバーだと思うのだが…甲板や通路、床にまで人で溢れている。そしてボクらは朝食に続いて昼のエサも食いはぐれることになる。しかし、ヒマ過ぎるので2人で紙を千切って将棋盤と駒を作って対戦。さらに近所のインドネシア人たちとトランプで七ならべをした。インドネシアンルールに苦戦するも、ルールを覚えてからはいい戦いだった。

カオスな船内生活の中では周りのインドネシア人たちと濃密な時間を過ごすことになるので、どんな人たちが隣になるかはけっこう重要だ。オレらは、ジャカルタから東ティモールのディリまで隣同士だったパパとママとリニの3人家族がめちゃくちゃ良い人たちで、かなり親切にしてもらった。

まさかこの数か月後に東ティモール紛争が起こり、その後の分離独立に繋がっていくなんて予想だにしていなかったけど… 彼らの安否は不明である。

ニューギニア島上陸

ジャカルタを出てから8日後、ようやくジャヤプラに着いた。

ニューギニア島は日本の約2倍も大きく、沿岸部のジャヤプラはまだ目的地の玄関口に過ぎない。目指すのは内陸に直線距離で250km入ったワメナ。バリエム渓谷の中継基地になる町だ。

まず警察署でバリエム渓谷の入域許可証を取得する。分離独立の動きがあるということでインドネシア国軍の軍事作戦エリアになっており、許可証が必須なのだ。

可能なら陸路で行きたかったのだが、そもそも道路が存在せずジャングルの中で陸の孤島と化しているワメナには飛行機でしか行けないという。ちなみに今もないが、将来的に総延長4,325kmのトランス・パプア・ハイウェイの建設計画はあるようだ。

選択肢がないので、メルパチ・ヌサンタラ航空(現在は経営難で休業中)のプロペラ機でワメナを目指す。

日記に「搭乗時のX線検査で柳刃包丁が見つかりCAに預かってもらった」と書いてあるところをみると、メルパチごときでも一応はX線検査をしてたみたい。乗客は20人ほどだったが、旅行者はオレと一休さんだけだった。

ワメナまでのフライト中、眼下に広がっているのはただただジャングル。

ニューギニア戦線で旧日本軍はこんなところを自分の足で走破しようとして地獄をみたらしいが…「まぁ、そうなっちゃうでしょうね」という感想しかない。地図上では陸地だが、実際にはジャングルという海が広がっている島なのだ。

ワメナの町自体には大した見所はない。市場に行けばコテカと呼ばれるペニスケースのみを着けた男たちや、腰蓑のみを着けた女たちにもチラホラ出会える。今にして思うと、エチオピアのオモ川流域の中継基地になる町ジンカと雰囲気は似てるかも。あの町も汚ったねぇし、周辺の少数民族に出会えることもあるし、けっこう皆さんすれてらっしゃって…ワメナっぽい。

ただ、ダニ族の村に行くとなるとさらに時間がかかる。車で1時間ほど走って道路の終点まで行き、そこから徒歩で最短1泊2日かけて山を越える必要がある。

一休さんと相談して、ガイドを雇って村を訪問することにした。

訪問することにしたのはいいのだが、実際にガイドに金を払ったら残りの手持ちが6万ルピアになってしまった…日本円にして当時1000円くらいか? 去年の運賃として事前情報で聞いていたジャヤプラ・ワメナ間の航空運賃が実際に来てみたら1年で3.6倍になっていたり、ワメナは全てが空輸なのでインドネシアで最も物価が高い町だという事実を来てから知ったり…全てが予想を数倍も上回る出費が続いていた。さらに、ワメナでは日本円やトラベラーズチェックの両替ができないし、クレジットカードも使えないし、ATMもないときた。オレがルピアを手に入れるための手段がこの陸の孤島には一切ないのだ。

やべぇ、ワメナから出られなくなった!!

ちなみに一休さんもワメナからジャヤプラまでの帰りの航空券1人分は買えるルピアは持っているが、2人分には全然足りないので借りられない。ジャヤプラにさえ戻れば、ATMもあるし、両替もできるのだが…

一休さん
どうすんの?
オレ
うーん、考えても無駄そうだから考えるのを止める!なんとかなるっしょ?

帰る方法は帰る時に考えるとして、とりあえずはダニ族の村が優先だ。

アミューズ

ダニ族の村を訪問するために雇ったガイドは、ワメナ在住のダニ族で名前をアミューズと言う。

出発の朝、アミューズは自分の彼女を連れて現れ「一緒に連れて行く」などと言い出した。

オレ
いやいや、絶対にダメでしょ!
アミューズ
なんで?
オレ
3人の食料を日数分で計算して準備しているのに、急に人数が増えたら不足しますよね?
アミューズ
オレの彼女はご飯を食べない!
オレ
…は?

何、その斬新なウソ? じゃあ、もう好きにすればいいさと渋々了承する。

急に4人になったオレらは、まず車で道路の終点を目指す。道路と言ってもこんな感じだ。

写真に写っているのは『橋の管理人』である。ずっとここにいて、いつ来るかも分からない車を待ち、自作の橋を通る車から通行料を取るお仕事をしている人。

1時間ほど走ったところで道路が無くなり、そこからは徒歩で山を越える。

道中、いくつかダニ族の村があった。今にして思うと「もう、この手前の村でよくない?」となるが、なぜか奥地に行けば行くほど人々のピュア度が増すと信じて疑っていなかったオレらはさらなる奥地を目指す。

先頭を歩くアミューズにオレと一休さんが続き、振り返るとだいぶ離れた後方からアミューズの彼女が道端の草っぽいのを食べながらのんびりと付いてきているのが見えた。

最初の昼食でも彼女は近寄っては来ず、ただ3人を一定の距離を保って尾行している女と化していた。確かに、草っぽいのを食べているせいか?アミューズが言っていた通りご飯を食べない。

オレ
え…何のために一緒に連れてきたんだろ?

答えはその夜に明らかになった。

最初の夜はクリマという集落でホナイと呼ばれるダニ族の家に泊まったのだが、寝る段階になってようやく彼女も合流。ホナイの構造上、部屋が分かれていないので4人で並んで寝る。一応はオレ&一休さん、アミューズ&彼女との間には頭を少し上げれば仕切としての効果がなくなる高さ30cmほどの低すぎる竹製パーテーションがあった。

目をつむっていると、アミューズが彼女と2人低い声で何やら会話をしている。声の調子からすると今日の出来事でも語り合っているのだろうか?と思っていると、会話に加えて何やら湿っぽいリズミカルな音が聞こえてくる。

何だろう?と見てみると…

ちょっ…意味が分かんないんですけどっ!!

普通に会話しながらセックスしておる!!

百歩譲って友達の真横ならまだしも、客の真横でやるって…どういう神経なんだろ?

しかも何が一番の衝撃って、ダニ族のセックスって『囲炉裏を囲んで語り合う二人』くらいの落ち着いた雰囲気の会話をしながらやってるという、オレには未知のレベルだったということ。声を押し殺すとかじゃない、普通にお茶を飲みながら会話してます的なナチュラルさ。

けっこう皆さん既に知ってらっしゃる話かと思ったが、今までオレと一休さん以外に「ダニ族のセックスを真横で見学したことがあるよっ!」という人には出会っていないので意外とマニアックな経験なのかもしれない。

そして、その夜はオレも一休さんもあまり眠れなかった。

興奮したから…ではない。ネズミの大運動会が始まり、ホナイ内を縦横無尽に走り回るネズミたち。一休さんは体の上を走られたとかで、別の意味でヒィヒィ言っておった。

なお、翌朝に彼女はオレらと別れワメナに帰って行った。