第1話に続く第2話。
ケープタウン→ルサカの49時間移動で心が折れ12日間の長期休養に入った前回。
今回は…
ルサカ→ダルエスサラームの51時間移動で心が折れ14日間の長期休養に入る話である。
ケープタウン出発前に「1か月後くらいにはミュンヘンに行くから!」と伝えていたメラックから「そろそろドイツに着きそう?」とメールを受け取ったのはタンザニアだった。
間違いなく近づいてはいる、と返信した。
優雅に国際列車旅
49時間のバス移動を経て、繊細なガラスのハートを持つオレは学習した。
なんで好き好んでハードな旅をしなければいけないのだ。
もっと優雅で楽な旅をしていこう。
ザンビアから北の隣国タンザニアのダルエスサラームまでは、タンザニア・ザンビア鉄道(通称タザラ)に乗って移動することにした。
乗るのはもちろん一番お値段が高い一等寝台だ。
タザラはタンザニアの世界自然遺産セルース・ゲームリザーブ内も走るが、ワインを飲みながら車窓を流れる景色と野生動物をゆっくり楽しむ大人な旅をしてやる。
タザラは、1970年代に中国の援助で6年かけて建設された全長1860kmの鉄道だ。
内陸国であるザンビアから銅を輸出するためにインド洋に面した隣国タンザニアのダルエスサラームまで敷いた鉄道なので、そもそもが貨物用だが人を乗せる国際旅客列車も週2本ある。
“そもそもが貨物用鉄道”ってところがポイントで、タンザニア側の起点が最大都市ダルエスサラームなら、当然ザンビア側の起点は首都ルサカだろうと思ったら大間違い。
ザンビア側は銅鉱山からのアクセスが基準なので、カピリムポシとかいう「どこだよ、それ!?」と叫ばずにはいられない謎の田舎町が起点になっている。
しかもルサカからカピリムポシまでバスで3時間もかかる。
だが、オレくらいともなれば“余裕をもった行動”のスペシャリストである。
夕方4時発の国際列車に乗るため、朝9時にはルサカのバスターミナルに行ってカピリムポシ行きのバスに乗り込んだ。
バスで3時間かかるカピリムポシに行くために、7時間前には移動を開始しようというのである。
朝も早かったし眠たくなってきちゃった…と、乗り込んだバスで寝てしまった。
2時間ほど爆睡してしまったが、目が覚めるとバスは乗った時と同じ場所に止まったまま微動だにしていなかった。エンジンすらかかっていない。
知らなかったのだが、ザンビアのバスは乗車率100%にならないと絶対に出発しない。
空席が一つでもあれば出発しないのだ。
あっちのバスは混んでるから、こっちの誰も乗っていないガラガラのバスで行こう!と乗り込んだオレだったが、寝ている間に乗車率100%になったバスからどんどん出発していた。
混んでいるバスに乗らないといつまで経っても出られない。
朝の早い時間帯は乗客も多いが、日中になると乗客の数が減ってゆき、なかなかバスも満員にならない。
やがて早く満員にして出発したいバス同士で乗客の奪い合いが起こる。
「あっちのバスの方が早く出発しそうだからあっちのバスに変える」と乗客が言えば、バスの運転手同士で胸ぐらを掴んでのケンカになる。
「乗るバスを変えるから一度払ったお金を返して!」と乗客が言えば、客を逃す側のバスは返金を渋るが、客を奪った側のバスが乗客に変わってむりやり取り返してくれる。
これ…バスターミナルに常駐して客を捌く専門の人を雇って、バス一台ずつに客を集約させていった方が効率よくね?と、悠長に客の奪い合いを観察していたのだが、はたと気がついた。
まずい、列車の出発時間が迫っている!!
あんなに沢山いたバスも残り2台になり、お互いほぼ同数の客を集めているがどちらも満員には出来ておらず、全然出発できない。
8:2なら2の乗客側が8のバスに移動しようかな?という心理にもなるが、5:5だとお互い様子見になって共倒れで全員が無意味な時を過ごす。
結局、乗り込んでから4時間後の昼1時にようやく満員になったバスが出発。
国際列車の出発時間まで残り3時間。ルサカからカピリムポシまでは3時間。
ぎりぎりかっ!?
歩くと15分ほどの距離だが、カピリムポシに着いた瞬間にすぐタクシーに飛び乗り「急げ!」と駅まで飛ばしてもらう。
4時10分、駅に到着。
駅の周りでボケーとしてるやつらに、タクシーの運転手が窓から大声で叫ぶ。
「タザラはまだ出てないか?!」
「10分前に出たよ」
えっ?ウソでしょ?!
アフリカのくせに定時ぴったりに出発しちゃうの?
もっと時間にルーズでいてくれよ…マジメかっ?!
こうして余裕を持って7時間前に出たにもかかわらず、まさかの乗り遅れで週に2本しかないタザラを逃した。
ニューカピリムポシ駅長
タクシーでタザラを追おうとしたり色々あった末に、乗り遅れた列車は諦めて3日後に出る次の列車に乗ることにした。
ニューカピリムポシ駅の駅長室に通され、事情を説明すると駅長が「I’m sorry(お気の毒に)」を連発しながら同情してくれ、お願いすると「No problem!(問題ないよ)」とその場でオレの持っていたチケットを3日後の列車に変更してくれた。
3日後の次の列車までカピリムポシにいるのか?尋ねられたので、駅に寝泊まりしてもいいか駅長に聞いてみる。
実は…列車に乗ってそのままタンザニアに行くつもり満々だったので、ザンビアの通貨クワチャをほぼ使い切っていて、数百円分のクワチャしか手持ちがなかったのだ。
すでに時刻は夕方5時になり、時間的に両替する手段がなくなっていた。
すると、駅長は駅員たちと何やら相談をはじめた。
話がまとまるとオレにこんな提案をしてきた。
カピリムポシを夕方6時過ぎに出るバスに乗ってタンザニアとの国境の町ナコンデに向かえば、列車より先に着くのでナコンデから本来オレが乗るはずだった列車に乗れる、と。
さらにバス代のクワチャは駅長が両替してくれると言う。「両替レートはあなたの言い値で良い」とまで言われた。
そこまで言われると、オレも次の列車まで待つことに固執する理由などなかった。駅長の提案をその通り実行させていただくことにする。
駅長と一緒に外に出ると、駅まで送ってくれたり、タザラを追おうとしてくれたタクシーの運転手がこれまでのタクシー代をオレに請求してきた。
するとなぜか駅長が運転手に説教を始める。
「彼は外国人なんだぞ、分かるか?! ザンビアを訪れた外国人を守るのがザンビア人の使命なんだ。お前が日本に行った時に、日本人がお前を守ってくれなかったらどう思う!?」
よく考えたら、オレが乗り遅れたこととタクシー代には何の関連性もないのだが、駅長に説教された運転手は納得してタクシー代の請求権を放棄した。
ザンビア拷問バス
請求権を放棄したタクシー(もはやただの車)に、駅長らと一緒に乗り込みカピリムポシのバスターミナルに向かう。
バスチケットの購入から、バスの運転手に「この日本人をナコンデまでよろしく頼む」と託すところまで、駅長には最後の最後まで親切にしてもらった。
ここまではいい。
問題はここからだ。
カピリムポシが始発のバスはないので、ルサカ発ナコンデ行きのバスに途中乗車することになる。
先ほど、ザンビアのバスは乗車率100%にならないと絶対に出発しないと書いた。
つまり、カピリムポシで途中乗車する時点ですでにバスの乗車率は100%を超えていて、当然のごとく座席が空いていないのだ。
どこに乗るか?というと、バスの通路にプラスチックのイスを置いて、そこに座る。
プラスチックのイスと言っても、背もたれやひじ掛けの付いている高級タイプではない。
アジアの屋台でよく使われている、ただ尻を乗せるためだけの尻置き台の方。
しかも、バスの通路がびっくりするほど狭くて、横向きになって通らないといけないくらいの極狭幅に尻置き台をむりやりはめて座る。
尻置き台にクッション性は皆無である。
しかも、小石ひとつ落ちていないきれいな舗装道路を走るわけではない。
全ての振動を尻に直接伝達してくれる硬プラスチック尻置き台の上でピョンピョン上下に…グラングラン左右に…ザンビアのあの山道悪路で上下左右に振り回されてみたらいい。
寄りかかるところがないので体幹トレーニングにもなるぞ。
あー、もう限界だっ!!
そろそろナコンデに着く頃か?
と、時計を見たら出発からまだ30分しか経っていなかった時のあの絶望感。
地獄のような移動が延々10時間続く、あれは間違いなく拷問である。
なぜダメージが大きいかって、一等寝台に乗って酒を飲みながら足を伸ばしてのんびり移動するつもりでいたのに、こんな狭いバスの通路で硬プラスチック尻置き台で拷問されながら移動するなんて微塵にも想像していなかったことだ。
事前にちょっとでもその可能性というか危険性があることが頭をかすめていたら、それ相応の準備(回避行動とか心の準備とか)出来ていたが…完全無防備な状態で不意打ちの尻削り拷問はダメージがでかい!
オレが今までに体験した移動で、このバス移動はワースト5にランクインしている。
オレが拷問を受けたザンビアのグレートノースロード(T2号線)だが、2年前の動画を見ると(当たり前だが)所々キレイになっていて、あまり穴が開いてない!!
どうやら今は中国によって4車線のハイウェイ化が進められているようだ。
精神が崩壊するのが先か?尻が崩壊するのが先か?白目を剝きながら気が遠くなるような夜通しの10時間を耐え忍び、ようやくタンザニアとの国境の町ナコンデに到着。
もちろん一睡も出来ていない。
これがナコンデ駅。
ここから、追いついたというか、追い越したタザラに乗る。
すでにニューカピリムポシの駅長からナコンデの駅長に「乗り遅れた日本人がタザラを追って向かっている」という電話連絡が入っていて、乗車はスムーズであった。
本来、カピリムポシからのんびりダルエスサラームまで移動を楽しむはずだったのに、「オレのお尻、削れてなくなってるんじゃないか?」と思うくらい拷問を受けてから乗り込んだタザラは思っていたほど楽しくはなかった。
もはや楽しむ心の余裕などなくなっていたし、疲労困憊でフラフラ、一睡もしていなかったのでタザラの寝台に倒れ込むように眠りにつく。
なお、タザラの一等寝台は、毎日ベッドシーツを替えてくれるし、シャワーもあるし、素晴らしい。もちろん硬プラスチック板などではなく、クッション性抜群のベッドである。
出来ることならば、最初から乗りたかった…
ザンビアの首都ルサカを発って51時間後、タンザニア最大の都市ダルエスサラームに到着。
この移動で心が折れたオレは14日間の長期休養に入る。