1997【5】エベレスト

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エベレスト

いよいよ今回の旅の主目的であるエベレスト。

完全にインドア派であるオレがここに至るまでの登山歴は華々しく、デビューとなった泰山(1545m)に続いて黄山(1864m)までも制覇した実績を誇る。3千段の階段から数万段の階段と…着実に成長を遂げてのエベレスト街道挑戦だ。

もしSNSがある時代だったら「山をなめるな!」と炎上していること間違いなしである。

でも別な点では安心して欲しい。当時のオレでも「ボクの夢への一歩がみんなの一歩を踏み出すきっかけになったらいいな✨」などとクソみたいなことをツイッターのプロフ欄には死んでも書かないから。

他人のことなどどうでもいい!完全自己満足エベレストである。

ゴルカ航空

カトマンズから、今は亡き航空会社ゴルカ航空でルクラまで向かう。

すでにこの旅に出てから4社目…オレも鬼のように飛びまくっていた時代があったのだ。

ゴルカ航空が当時所有していたのはソ連の輸送ヘリMi-17(NATO名ヒップH)2機のみ。

小学生の頃、PCゲーム『大戦略』の初期バージョンでよく遊んでいて、敵のヒップHをパトリオットミサイルで撃ち落としまくっていたのだが、まさか自分が(ゲームの中で)撃ち落としていたヘリに乗る日が来るとは…

これ、原っぱじゃないよ。これでもネパールの玄関口だよ。

ちょうど空港に航空管制用レーダーを設置中だった頃で、それまではどうしていたか?というと…目視っ!!

ヘリに乗り込むと、(当たり前なんだけど)エベレストに向かう登山客とシェルパばかり。座席など無いので、空いているスペースを見つけて体育座りである。

唯一の機内サービスとして、騒音対策で乗客全員に耳栓が配られた。

本当は「窓から雄大なヒマラヤ山脈を眺めながら…」と思いもあって空から行こうと決めたのだが、まぁ~窓が小さ過ぎて何も見えん!!

フライト中は、ただ体育座りしておっさんたちの顔を見て終わり。

ルクラ空港

ルクラの空港は、世界で最も危険な空港として名前が挙がるような場所だ。

LUKLA Airport 2018 – THE MOST DANGEROUS AIRPORT in the world – 15 LANDINGS (HD)

ヘリはさほど怖くないが、滑走路が必要なセスナは怖い。

下が見えない崖に向かって突っ込んで行くことになり、「もし飛び立たなかったらこのまま崖に落ちる!」と思うと、遊園地の絶叫系アトラクションの比じゃないくらいドキドキできる。

ただ、動画を見て驚いたのが…

滑走路が舗装されておる!!

オレの時なんて砂利道だったぞっ!!

ちなみに“ゴルカ航空の”往復チケットを買ったオレは、行きは当然ヘリコプターだった(ゴルカはヘリしか持ってなかった)のだが、「え?何で?!」と言いながら帰りはなぜか別会社のロイヤル・ネパール航空のセスナ機に乗せられ砂利道滑走路を崖に向かって走っている。

トレッキング

ルクラ(2860m)で朝食を取っていたオレに、レストランの親父が話しかけてきた。

お前、それだけで来たのか?
そうだよ
死ぬぞ
え…?

軽量化を図って荷物をカトマンズに預け、着替えとカメラのみでやって来たオレは、着ていたTシャツ以外の装備と言えばトレーナーくらい。

親父に怒られ、ルクラでセーターやダウンジャケットや寝袋などレンタルする。

夜になって親父の言っていた意味が分かった。

寒くて死ぬ!!

日中はけっこうポカポカ陽気でTシャツでも十分だったのだが、陽が暮れた途端に気温が一気に下がりダウンジャケットと寝袋がなかったらムリっ!!

ダウンジャケットを着たまま寝袋に入って歯をガチガチ言わせていた。

ルクラからパクディンまで歩き、まだ体力が残っていたのでチュモアまで登る。

ロッジは1ベッド20ルピー(約43円)。野宿を除けば、たぶん今まで泊まった宿の中で最安。

電気・水道はなく、陽が暮れたらロウソクの灯りのみ。

朝は5時半のニワトリの鳴き声で無理矢理起こされる。

チュモアから再び登り、チェックポストのあるジョルサレで入山料650ルピー(約1400円)を払い、ひたすら歩く。

一眼レフのストラップが肩に食い込んでカメラの重さでさえ負担に感じる。谷底に向かって投げ捨ててやりたい衝動に駆られながらヒィヒィ言いながら登っていると、後ろから大名行列が近づいてきた。

日本人?
あー、はい
頑張れよ!

日本人のジジイとババアの団体が、ポーターやロバに荷物を持たせて完全な手ぶらでオレを追い抜いて行った。

手ぶらとか…ずりーだろ!

追い抜いて行ったジジイとババアの団体を呪っていると、丸太を背負った男たちがオレをいとも簡単に追い抜いて行った。

よろよろしながらナムチェ(3438m)に到着。

ナムチェの『ビューロッジ』で1泊20ルピー(約43円)だった。宿泊客はオレ1人。

なんか…頭が痛いし、しんどい…

荷物を置いて気が緩んだら、何やら高山病っぽい症状が出て寝込む羽目に。食欲もなくなっていたが、宿のおねえさんがガーリックスープを作って持ってきてくれたり看病してくれたおかげで2日で回復。

体調さえ元に戻ればナムチェはすごくいい所だった。

自家発電で電気がある時間は、レストランで流れている音楽を聞きながらチヤ(チャイ)をすする。窓の外を眺めていると時間がゆっくり流れているような錯覚を覚えるくらい、何もかものんびりしていた。牛はヒマラヤ山脈を背にずっと草を噛み、おばあさんは朝からずっと同じ場所で編み物をしていた。未だにあの時に流れていたイーグルスの名曲『ホテルカリフォルニア』が忘れられない。

毎週開かれるハート(定期市)では、北はチベット、南はインドから何日も歩いて物を売りにやってくるというが、ハートの時だけはまばらだったナムチェにも人が溢れた。

ナムチェからほど近いシャンボチェの丘(3880m)が、エベレストが初めて見えるポイントだ。周囲を名峰に囲まれた大パノラマが広がっている。

頂上に少し雲がかかっているアマ・ダブラム(6856m)や…

頂上に少し雲がかかっているエベレスト(8848m)と右のローツェ(8516m)など圧倒的な山々に囲まれ、下を見ると人間がアリみたいな大きさで見えた。

数日前にオレを追い抜いて行った日本人のジジイ&ババアの団体とここで再会。なんでもシャンボチェからチャーターしたヘリで帰るという。

手ぶらで登って、帰りはヘリをチャーターだと…くそーっ!!うらやましいっ!!

逆に…オレより山をなめてるんじゃね?

これまでオレは友達には「エベレストのベースキャンプまで行った」ということにしてきた。

だが…

ごめんなさいm(。・ε・。)m

見栄を張ってウソついてました。

シャンボチェからディンボチェ(4410m)まで登り、ベースキャンプまで残り19kmまで迫るも、途中から天候が悪化して雪が降ってくるし、雲で周りは何も見えないし、そして何より…

筋肉痛になったの。

どっちかと言うと筋肉痛>ベースキャンプだったから、痛いからもうムリっ!!って。

翌日になっても天候が回復しなかったこともあり、景色が良くないならもうこれ以上登っても無意味と、ディンボチェを最高到達点としてベースキャンプへのアタックを断念。

下りはルクラまで2日で駆け下り、ルクラ空港で崖に向かって飛び出した。

タイ カトマンズで一緒だったきらっちとバンコクで再会。 なぜか2人ともお腹の調子が最悪だった。 やっぱネパールみたいな国って衛生状態があまり良くな...
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