タイ
カトマンズで一緒だったきらっちとバンコクで再会。
なぜか2人ともお腹の調子が最悪だった。
やっぱネパールみたいな国って衛生状態があまり良くないだろうからな…
お腹が痛いし、体がだるい。それに寒気までしてくる始末。
これは…ウイルス性の変な病気になったかもしれん!!
最初はバスで行こうとしていたのだが、きらっちがかなりヤバそうだったので急遽タクシーで病院に向かった。
2人で診察を受け、結果が出た。
良く考えたら、オレもネパールで1日4食ガツガツ食ってたし、きらっちもインドから来た反動でネパールで食べ過ぎていたという。
っていうか、きらっちと何回一緒に病院に行ってるんだ?!
チェンマイ
山岳地帯に住むという少数民族の村を訪ねるべく、ゾウに乗り…
筏で川を下り…
ようやく辿り着いた村には普通に車道が通っていた。
ミャンマー
バンコクからガラガラに空いていたミャンマー国際航空でヤンゴン入り。
最近の状況はよく分からないが、1997年当時はミャンマーに行くには空路しか方法がなかった。タイとミャンマーとの陸路国境越えなど夢のような話であった。
前年にゴールデントライアングルに君臨していた麻薬王クン・サがミャンマー政府に投降したりと動きはあったが、ゴールデントライアングルより南ではまだカレン民族解放軍が頑張って戦っていたし…そもそもの話をすると軍事政権下で鎖国してたし。
開国したのって今から10年くらい前の話でしょ?
強制両替
当時、ミャンマーでは外国人に対して入国時に300USドルを強制両替させていた。
しかも再両替が出来ない外貨兌換券(FEC)というやつに替えさせられる、つまり300USドルを300FECsにさせられるのだ。
“名目上は”1FECと1USドルは等価ということになっている。
ミャンマー政府としては外貨を国内に流通させたくないということで、国民が外貨を所持することを禁止。一方、外国人旅行者には現地通貨チャットを使わせたくない。そうなると、外貨と現地通貨チャットの間に何か噛ませないと…ということでミャンマー中央銀行が発行したのがFECだったのだ。
それならそれで(文句はあるが)別にいいのだが、ゴリゴリに統制管理しているならまだしも、実際にはユルユルでミャンマー人は普通にUSドルを欲しがるし、外国人旅行者も普通にチャットを使えちゃう。そんなわけで、ミャンマー旅行時の支払方法にはUSドル、FEC、チャットの3パターンが混在するという面倒なことになっていた。
ただ…残念なことにオレには手持ちが200USドルしかなかった。
だから、入国審査が終わったらしれっと知らん顔して早足で通り抜けようと思っていたのだが、空港の出口でガタイのいい役人2人に捕まり連れ戻されてしまった。
とおっしゃられても、実際に300USドルも持っていない以上はムリなものはムリなのだ。
それに全財産を再両替が出来ないFECなんかに交換してしまった暁にはおうちに帰れなくなってしまう。
どっちもどっちな不毛な言い争いが続く。
ちなみに…こっそり告白してしまうと、オレは完全なる確信犯である。300USドルの強制両替があることは事前に知っていたし、自分が200USドルしか持っていないことも知っていたうえで、あえて行っている。「そんな人はミャンマーに来る資格はない!」と言われても…それはそうかもしれないが、今さらそんなこと言っても遅くね?と。
もう来ちゃってるから、オレ。
それに…入国スタンプを押す前に「入国の条件だ!」と両替を迫るなら強制力を発揮しそうだが、もう入国スタンプを押されて入国しちゃってるし、オレ。
この問題は時間が解決してくれた。20分ほどのやり取りの末、賄賂を払うこともなく80USドルだけ両替した。本当はそれでも嫌々だったけど。
いきなりというか予想通りというか強制両替でひと悶着あって、ようやく晴れてミャンマーに入ったオレを「ウェルカム!」と待ち受けていたのは巨大きもキャラ。
ウェルカム言ってる方が旅行カバンらしきものを持っちゃってるとか、気になる部分は多々あるが…群馬のゆるキャラじゃないけど『みゃんまちゃん』的な設定なんだろか?
どうやら前年に『ミャンマー観光年』として国を挙げて観光客誘致をしていたようで、それがそのまま残っていたようだ。
物価
空港で両替したばかりの80FECsを持って市内のブラックマーケットに行き、チャットに再両替する。これを真の『無駄な作業』と呼ぶ。
いや、要らないから…FECなんて。
当時の公式レートは1USドル=1FEC=5.7チャットだったが、ブラックマーケットに行くと、1USドル=1.2FECs=160~180チャットであった。
物価としては…
泊まったのは当時のヤンゴンで一番安いとされていた『U.S.A.ゲストハウス』という非合法の宿で、1泊4USドル。軍事政権は外国人が泊まっても良いホテルを限定していて、安宿ともなると非合法(無免許営業)になってしまうのだ。
『エクセレント』というレストランも、たったの2USドルでビーフステーキが食べられるとあって旅行者に人気だった。ビーフじゃなくてバッファローなんじゃねーか?というウワサもあったが、真相は藪の中だ。
市内のバスは5チャット(約3.5円)だし、郵便とか国際電話とか公式レート換算で料金設定しているような公的機関は安かった。当時、ヤンゴンの電話局から日本に国際電話を掛けると3分で160チャット。公式レートなら1万9千円くらいだが、闇レートならたったの110円!!
在ヤンゴンの日本大使館で行っているパスポートの発行や増補も公式レート基準だから、たしか30円とかで増補できて人気だった。
FECはどこで使うのか?と言うと…ヤンゴンからパガンまでの長距離バスのチケットは、外人にはチャット払いでは売ってくれなかったので貴重なFEC払いチャーンス!! ただし…USドル払いも可。ちなみに、逆ルートの長距離バスはチャット払い可能だった。首都はうるさいが、地方は適当というわけ。
結論:FECの存在意義なし!!
もちろん現在はFECなどない。
ヤンゴン
正直言って、ヤンゴンの記憶がほとんどない。
記憶を呼び起こすための記録(日記)を見ても、「暑い!!」とか「むちゃくちゃ暑い!!」とか「暑すぎてボーっとせずにはいられない」とか、暑さのことしか書いていない。
「観光しようかと思ったが暑いから止めにした」とか、「アウンサンスーチーさんの家を見に行こうか迷ったが暑いので止めた」とか、基本的に暑さを理由にして何もしなかったようだ。
市内の写真が残っていることから、一応は市内をブラブラしたみたいだが全く記憶にないから何の懐かしさも感じない…
ミャンマー最終日の日記には総括として「ミャンマーは人が良くて美人が多い。また来たい」と書いているから…印象は良かったようではある。だが残念なことに、香港もそうだったように、オレが「また行きたい」と言った国はなぜか二度目がない。
ヤンゴンから世界三大仏教遺跡パガンに行った話は次回。