ミャンマー
ヤンゴンから世界三大仏教遺跡のひとつパガンを見るため、夜行バスで17時間かけてニャウンウーに向かった。
乗ったバスは日本で使われていたと思われる大型バスで、テレビも付いているし、エアコンも付いているいいバスだったが、夜ずっとボンジョヴィのビデオが大音量でかかっていたのには参った。
もしボンジョヴィのファンがいたら是非とも問うてみたい。
ずーっと夜行バスでこれを大音量で聴かされても、あなたはファンでいられるんですか?と。寝たいのにうるさくて寝られない…で、イライラしながらパッと前を見るとビデオの中でジョンボンジョヴィがニッコニコしながら歌っていても好きでいられるんですか?と。
ボンジョヴィ拷問によって一睡も出来ないままニュウンウーに到着。
バスで知り合ったミャンマー人に連れられて『パン・チェリー・ゲストハウス』に宿を取る。
ニャウンウー自体は、観光客向けのゲストハウスが何軒かあったが全く外国人旅行者を見かけなかったので“のどかな田舎町”の印象しかない。
現在はバガン(Bagan)になっているらしいが旧名はパガン(Pagan)だったので、当時のままパガンで呼ぶが…カンボジアのアンコール遺跡群、インドネシアのボロブドゥールと並ぶ世界三大仏教遺跡だが、未だに世界遺産ではないらしい。
3000以上のパゴダ(仏塔)や寺がニョキニョキと建っているパガン。そのほとんどは主に12世紀前後に造られているんだけど、「この土地にパゴダを建てることが仏教徒の夢!」と2010年まで新しいパゴダが建設されていたことが世界遺産じゃない理由らしい。(出典:Why is Bagan not a World Heritage Site?)
万里の長城だってだいぶ怪しいもんだけどな…
でもパガンも今年くらいには世界遺産になるかもしれないそうだ。
さて、3~5月の年間で一番暑い時期にパガンに行ってしまったオレ。
そりゃ、観光客なんか誰も来ないわな!
ほとんど人気(ひとけ)のないパガンを自転車を借りて観光することに…
で、さっそく見に行ったのはいいのだが、ミャンマーはタイ以上にむちゃくちゃ暑い。本当に死ぬ。温度計を見たら40度を軽く超えていた。これはダメだと思いすぐ宿に引き返し、シャワーを浴びて寝ることにした。今日1日で6回もシャワーを浴びた。
宿の親父が昼の暑くなる前に観光して来いと言う。確かに午前中の早いうちは35度くらいなので涼しい方かもしれない。さっそく8時頃には自転車を借りてパガンを走って回った。やたら広い。沢山あるパゴダを見たが似たり寄ったりでいまいち。
35度で涼しいと感じるほど体がバカになっていたのだ。
ちなみに、世界三大仏教遺跡を全て見たオレが薦める『見る順番』だが、パガン→ボロブドゥール→アンコール遺跡が絶対にいい。オレの場合、パガンの直前にアンコール遺跡を見てしまった。
パガン観光を終え再びヤンゴンを経由してバンコクへ戻る最終日。
オレの財布には残金が20チャット(約14円)しかなかった。空港に行く前にご飯を食べたのが失敗だった…
市内から空港まではタクシーだと200~300チャット(約140~210円)かかる。バスを乗り継いで行くかどうしようか迷って、ヒッチハイクで行くことにした。
道で手を挙げたら…タクシーが止まってしまい…「20チャットしかないから空港までヒッチハイクしてる」と言ったら…タダで空港まで乗せて行ってくれた。
フィリピン
バンコクから日本へ帰国する前に、経由地であるマニラでストップオーバーする。
治安が良くないと聞いていたマニラを避けるため、ルソン島にあるハンドレッドアイランズ国立公園に行くことにした。その名の通り、100以上の島々が点在している。
マニラからラビットバスで5時間かけてアラミノスへ。トライシクロ(三輪タクシー)に乗り換えてルカップというハンドレッドアイランズの拠点となる町に来た。
ところが、観光地だけあって安宿が全くない。
困ってツーリストオフィスに行ってみたところ、オフィスにタダで泊まってもいいことになった。こうしてツーリストオフィスをねぐらにして島々を巡る。
ボートでラゾン島に渡るが、時間が経つにつれて人が多くなってきたので、再びボートに乗って誰もいない島に連れて行ってもらった。
ハンドレッドアイランズというだけあって島なんていくらでもあり、気に入った島を独り占めできるのだ。
島から戻ると、ツーリストオフィスのお兄さんアルバートにローカル飲み屋に連れて行かれ…
思い出したように18才アピールをしてチヤホヤされる。
ハンドレッドアイランズの後は、アルバートの家にホームステイさせてもらうことになり、バスで1時間半ほどのところにあるダグパンという町へ行った。
11人家族で高床式住居に住んでおり、「家族みんなで歓迎してくれて楽しかった。夜はアルバートと飲みに行った。最近ずっとアルバートにおごってもらいっぱなしだ。いいやつだ。」と日記に書いている。
マニラに戻り日本行きの飛行機に乗るというオレを心配して、アルバートがマニラまで送ってくれた。ヴィクトリー・ライナーのバスで5時間かけてマニラに着き、『マラテペンション』という宿に行きたかったが場所が分からず2時間近く歩き回る。
疲れてお互いにイライラして喧嘩をしながらも、彼はオレを宿まで送り届けてすぐにダグパンに帰って行った。
こんなにも親切にされているにもかかわらず、アルバートとの思い出が一切記憶にないオレ。日記という記録がなければ何一つ書けていない。
だが…なぜかアルバートに送ってもらった日の夜のことは記憶にある。
宿で知り合ったたくみさんと韓国レストランに行ってビビンパを食べた。その後、韓国人のジュンさんと一緒に深夜まで飲みに行った。
日記にはこれだけしか書いていないが…オレは覚えている。
ジュンさんは出張でマニラに来ていた韓国人のおっさんで、ちょうどその日は彼の誕生日だった。ジュンさんはオレとたくみさんを連れて夜の歓楽街に繰り出した。
彼の奢りでゴーゴーバーをハシゴしてビールを飲んでいたのだが、宴もたけなわになった頃…ジュンさんは女の子2人を両腕に抱えて言ったのだ。
女の子2人をお持ち帰りしてラブホに行くので、宿にはオレとたくみさんの2人だけで帰ってくれとタクシー代を置いて消えた。
それを見ながらオレは普通に引いていた。
親切にしてもらった美しい思い出は消えるのに、クソみたいなことはなぜか覚えている謎。
帰国
成田空港に着いた時には文字通り無一文になっていたオレは、仕方がないのでヒッチハイクで帰ることにした。
空港内の売店で行き先を書くための段ボールをわけてもらい、高速道路の入り口に立つ。
7~8台が通り過ぎて長期戦を覚悟した時、止まってくれた車があった。まだ15分も経っていなかった。日記によると、埼玉の佐藤さんという人らしい。
全く覚えていないが…佐藤さん、その節はありがとうございました。
正直、3カ月で6カ国はハードだった。
時間に制約されず旅がしたい…
あと、お金を使う配分を間違えて後半にきつくなってしまい、甚だ不本意ではあったがヒッチハイクをしてしまったことも教訓になった。最終手段としては良いが、ヒッチハイクなんてものは好き好んでやるようなものではない。
もっとお金がいる…
この教訓を踏まえての翌1998年からの旅がある。
おわりに
順番は前後したが、これまで1995-2000までの6年間の出来事を書いたが…昔の話を持ち出して懐古主義に走るつもりはない。結局のところ、90年代は90年代なりの面白さがあったし、今は今なりの面白さがあるというだけの話。
17才だったオレは中国で乗った硬座で知らないおじさんに座席を譲ってもらった。
「昔は人が温かかった」とか、「若い時だからこそ出来た経験」とか、そうなのかな?とも思うし、そうだろうか?とも思う。
もし、おっさんになったオレがタイムスリップをして便所の前で白目を剥いていても、中国人のおじさんは座席を譲ってくれただろうか?
もし、当時17才が旅をすれば皆が皆オレと同じ体験をしただろうか?
基本的には色んな要素が絡みあった上でのただの偶然の産物だろうし、強いて言うならば…
オレのかわいらしさのおかげじゃね?
こういうことを冗談でも言うと100%引かれるが、全てを『時代』とか『若さ』の一言で片付けることへのアンチテーゼには成り得るんじゃないかと。
いずれにしても、あの時はあの時にしか出来なかった旅があって、今も今にしか出来ない旅はあるけど、どっちが良いのかという話は人それぞれ。まぁ、単純に“旅行のしやすさ”だけで考えれば、情報源としてのネットが当たり前で、スマホがあって、LCCもある今の方だろうな。