1997【4】こぶ平

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カトマンズ

ロイヤル・カンボジア航空の次は、ロイヤル・ネパール航空である。

2008年以前の、まだネパールが『王国』だった頃はネパール航空の名前にもロイヤルが付いていたのだ。

下々の衆などムダに待たせておけばよいのじゃ

そういうスタンスだったのか?は知らないが、早朝発だからと頑張って5時に起きて空港に向かったのに、いきなり6時間半のフライト遅延で謎のロイヤル感をアピールされた。

ロイヤルと言えば…最近のこんなニュースからも『ネパール』と『ロイヤル』の癒着ぶりが分かる。

FNNプライム『ネパール人不良グループ「ロイヤル蒲田ボーイズ」乱闘

ネパール航空は「安全性に問題あり」として現在に至るまでEU乗り入れ禁止の航空会社だが、ロイヤル蒲田ボーイズは「名前がくそダサい」として大田区以外への乗り入れが禁止されている。

バンコクからカトマンズまでは、ロイヤル蒲田ボーイズで、いや…ロイヤル・ネパール航空でわずか3時間のフライトであった。

ネパール…それはヒマラヤ山脈に抱かれた国であると同時に、国旗が変な形の国でもある。

世界で唯一、国旗が長方形じゃない。

Flag of Nepal (1743–1962)

それに、よく見ると国旗に描かれてるマークが眉間にシワを寄せてる絵文字みたい。ネパールのゆるキャラ『ネパくん』と『ルぅたん☆』なんだろか?

当時のネパールは…毛沢東主義派(マオイスト)が王政打倒を目指して武装闘争を始めた直後、つまり内戦(1996-2006)が始まったばかりの頃。ただ、97年時点ではまだ“内戦やってる感”は全然なくて、「どこどこにマオイストのゲリラが出たらしい」程度の状況だったため個人的にはそれほど気にならなかった。

タメル

首都カトマンズでの宿は、安宿街として有名なタメル地区。

カトマンズは『ヒッピー・トレイル』(いわゆるユーラシア横断ルート)の終着点として、かつてヒッピーの聖地だったらしいが…

ヒッピー?うちの親の世代に流行ったやつでしょ?

と思っていたら、ヒッピーっぽい人たちもそこそこ見かけたタメル。

そんなタメルの『あるある』と言えば、「大体の絨毯屋は闇両替もやってる」だろう。

当時だと正規レートが100円=44.0ルピー、闇レートが100円=46.5ルピーと、5%くらいしか違わなかったが絨毯屋で両替をしていた。

写真には絨毯屋は写っていないが、1階で絨毯屋をやっている店に入っていくと奥から2階に上がれるようになっており、2階で闇両替をやっていた。

当時の物価としては、タメルの日本食レストラン『古都』のカツ丼が190ルピー(闇レートで約409円)。

カツ丼を指標にすると恐ろしく分かりづらいな…

ちなみに、この『古都』は1970年代から営業しているという超老舗日本食レストラン。

カトマンズに到着したその日に、宿で知り合った日本人の兄弟にこの『古都』で飯を奢ってもらった。日記に名前が出てこないので名前は覚えていないが、大阪から来た20才と19才の兄弟で、年が近かったこともあって仲良くなった。

この大阪兄弟、これが初めての海外旅行だそうだ。日本からネパールまで飛んで来て、カトマンズでバイクを買ってヒマラヤを越えてチベットから中国入りし、日本まで走って帰るという。

おぉ、すっげー!!

カトマンズで、聞いたこともないインドのメーカーの新車バイクを買って…荷物を後ろに縛り付けて…「じゃあな!!」と颯爽と旅立って行った大阪兄弟。

その後オレも地方に行っていたのだが、カトマンズに戻ってくるとなぜかチベットに旅立って行ったはずの大阪兄弟がいた。

ネパールナンバーのバイクで中国は走られへんって…

国境で、ネパールのバイクをそのまま中国国内に持ち込めないという驚愕の事実を知り、もちろん通関にかかわる書類など一切準備していなかった大阪兄弟は中国側で追い返された。仕方なく国境にいたネパール人に二束三文でバイクを売り払って、バスでカトマンズに戻ってきたそうだ。

結果的に、カトマンズから国境までツーリングするためだけにわざわざ新車バイクを買った2人。「やる気なくなった」と、カトマンズから日本に帰って行った。

こぶ平

他にも、泊まっていたフジゲストハウスには日本人が沢山いた。

奥でアイマスクをして寝ている『こぶ平』と皆で記念撮影。

「見た目が林家こぶ平みたいだから」という安直な理由で、本人の知らないところで勝手にこぶ平と呼ばれていた男の本名を誰も知らない。あえて聞こうとする人もいなかった。

中国って国はさぁ~

自分がこれまで旅して来た国をすっげー語ってくるくせに、よくよく聞けば中国を1週間も旅していないと言う。超高速で通り抜けただけなのに、やたらと知ったかぶり&謎の武勇伝をかましてくる男。それがカトマンズのこぶ平。

「オレは今ユーラシア横断中だぜ!」と、めちゃくちゃイキってくるのだが、話を聞いている内にどうやら1人では旅できない男であることが判明。自分が行きたい方向に旅する人を見つけては、コバンザメのようにくっ付いてカトマンズまで辿り着いていた。そして、ここカトマンズでも西に向かおうとする旅人を待ち受けていて、そんな旅人が現れると「あれ?オレと同じルートだから一緒に行く?」とくっ付いて行こうとしていた。それがカトマンズのこぶ平。

ただ、ほとんどの旅行者はすぐにこぶ平のウザさに気付いてしまい、こぶ平には「明後日出発します」と伝えておいて翌日こっそり一人で旅立つなどフェイントをかけられて、未だにカトマンズから出られていない男。それがカトマンズのこぶ平。

結局のところ彼がユーラシア横断できたのかどうかは誰も知らないし、正直どうでもいい。ただ「こぶ平…うぜぇ!」という共通認識の下、当時のフジゲストハウスにいた皆が妙に仲良くなったのは間違いなく彼のおかげだろう。

写真にも写っているきらっちなんか、カトマンズで出会って以来かなり長い付き合いになった。一緒に旅したことはないが、オレが5日間行方不明事件でちんちんが痒くなってきて病院に行った時に付き合ってもらったのは彼だ。あと…失恋したきらっちの自棄酒に付き合ってたら、いきなりきらっちがゲロりながらブッ倒れて、地面で大の字になって意識を失くしたこともあった。ゲロまみれになったTシャツを脱がせて捨てて、彼の両足を持って20mほど引きずって通りまで出てトゥクトゥクに乗せて病院に急行。担架で運ばれて入院したのだが、急性アルコール中毒より、アスファルトの上を引きずった時に血だらけになった背中の方が重傷だったという事件。こっちは一睡もせず病院で付き添っていたのに、翌朝目を覚ましたきらっちはなぜかハイテンションで「ここどこ?!オレ何で上半身裸なの?!アハっ」とか言ってて心底イラッとしたりして。

何気に、ノンタブリやシーラチャを含むオレがタイで住んだ歴代の部屋全てに来てプレステで遊んで行ったのは彼だけだろう。日本で会ったことは一度もないけど。

市内観光

すぐに飽きてフジゲストハウスの隣にあったゲームセンター(懐かしいストⅡとか置いてあった)に入り浸るようになるが、飽きるまでは一応観光もしている。

ほぼ興味のないネパールダンスを見に行ったり…市内を散策している。

市内はほとんど“レンガを積み上げただけ”の家々が密集しており、街中では牛が我が物顔で闊歩していた。

牛渋滞とかしてたな…そういえば。

これは歩道上だからいいけど、車道の真ん中でボケーっとして全然動かない牛がいて、牛の移動待ち渋滞。

ちなみにヒンドゥー教的に牛は神様だけど、水牛は食ってもいいらしい。

2015年の大地震では王宮も激しく損傷したらしいが、ここら辺も崩壊したんだろか?

王宮周辺には物乞いの子供が沢山いた。

「バクシーシ!バクシーシ!」言って付きまとってくるが、とりあえず外人を見かけたら反射神経で「バクシーシ」と言ってしまう普通の子供かも知れないけど…

最貧困国と言われるだけあって、えげつない川で洗濯してたもんな。

それなのに王様はなかなかの金持ちという…そりゃあ、マオイストみたいのも出てくるわ。

エベレスト いよいよ今回の旅の主目的であるエベレスト。 完全にインドア派であるオレがここに至るまでの登山歴は華々しく、デビューとなった泰山(1545m)...
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