前回からの続きだけど、話がどんどんマニアックになっていくのでよろしく。
読んでるうちにジジイから「九一式十糎榴弾砲で八路軍めがけて・・・」的な興味もない戦時中の話をムリヤリ聞かされている小学生くらいの苦痛を覚えてきたら、このブログをそっと閉じて下さい。
GPO通いから、Eメールでのやり取りが一般的になってきた頃の話。
Eメールの送受信、たったこれだけのことをあんなに苦労していたよく分からない時代の話。
Eメール
オレが初めてEメールアドレスを作ったのは1998年。
シンガポールで出会ったお姉さんに「ほら、今日からこれがあなたのEメールアドレスよ!」と、メールのアカウント名からパスワードまで全ておまかせで作ってもらったのだ。
作ってもらったのは、当時フリーWebメールで圧倒的なシェアを誇っていたHotmailである。
当時はAOLも高いシェアを持っていたが、Gmailはまだ存在していない。
グーグル社ではなく、マイクロソフト社が世界を牛耳っていた頃だ。
アカウント名を自分の本名にするのが多かった時代で、オレの初代アドレスも名前_苗字@hotmail.com だった(笑)
EメールデビューによってGPOに通わなくても済むようになったことは大きなメリットだったが、インターネットとやらにも問題があった。
通信速度
当時は東南アジアにいたが、通信速度が死ぬほど遅い!のである。
HotmailのURLを打ち込んでトップページが現れるまで10分、アカウント名とパスワードを入力してログインボタンを押してからメールBOXが現れるまで10分、届いているメールを開くのに10分とか・・・
届いているメールを読んで返信するだけなのに数時間はかかる大仕事であった。
インターネットカフェは時間課金なので、長時間使わせるためにわざと通信速度を遅くしてるんじゃねーか?!と怪しんだことは一度や二度ではない。
ダイヤルアップ接続1回線でネットカフェにある複数台のPCを同時にインターネットに接続させていたのだろう。
最初の頃って10~20kbpsくらいだったのかな? スマホの通信速度制限128kbpsをさらに6~12倍以上遅くした感じ?
当時インターネットを使う上で必要だったものは、ずばり忍耐力である。
一応、東南アジアの名誉のために言っておくと・・・当時はアジア通貨危機の直後で経済がボロボロだったため、より新しいサービスやインフラへの投資が停滞していた時期だった。
タイにも2000年時点で通信速度256kbpsのADSLサービス自体はあるにはあったけど、利用料金が月額7万円で誰も使ってなかっただけ。2~3年で月額1万円近くまで価格破壊が起こって普及が進んでいく。
日本語環境
通信速度の他には・・・欧米人には分からない日本語使いである我々ならではの問題があった。
読めない
Windows XPが出るまでのOSは多言語対応がイマイチで、メールを開いても日本語が文字化けして読めないインターネットカフェが多かったのだ。
っていうか、当初はほとんどそう。
ただ、この問題はマイクロソフト社のサイトからGlobal IMEをダウンロードして、インターネットカフェのパソコンにインストールしてやれば解決する。
解決するのだが、死ぬほど遅い通信速度だとGlobal IMEを「ダウンロードしよう」という気にならないうえに、インストールには管理者権限が必要で「Global IMEをインストール?! 何それ、怖いからイヤ!」とカフェのお姉ちゃんが言えば終わりなのである。
そんな日本人ユーザーの不満を解消するべく、プロキシサーバを使って日本語のテキストを画像化して日本語非対応PCに表示させるサービスとかもあるにはあったが・・・画像になるとページが重くなる分、より通信速度の遅さを実感するだけというのもあったりしてマイナーなサービスのままで2000年代初頭には消えて行った。
打てない
さらに、日本語が文字化けして読めないということは、日本語を入力できないということでもある。
じゃあ、どうする?!ってことで、手っ取り早い問題の解決手段として主流だったのがローマ字打ちである。
Genki desuka?(元気ですか?)
Ashita, Kanbojia o tatte Betonamu ni ikimasu. (明日、カンボジアを発ってベトナムに行きます)
あくまでも英語じゃなく、日本語のローマ字打ちだ。
恐ろしく読みにくいことこの上ないのだが、最初の頃のメールのやりとりなんてほぼこんなん。
読む方も、戦時中の暗号解読を疑似体験しているかのような気分になれるくらいしかメリットはない。
ただ、これも需要と供給のバランスなので、日本人旅行者が多いところでは徐々に日本語の読み書きができるPCが増えていく。インターネットカフェの入り口に「日本語使えます!」とか看板を出して売り文句にしたりして。
あとはGlobal IMEをCD-Rに焼いて持ち歩き、訪れたインターネットカフェでインストールしまくるGlobal IMEの伝道師みたいな旅人もいたりして、みんな頑張っていたのだ。
Windows XP以降になっても、言語パックはインストールされているから日本語は表示されるけど入力ができない問題が長い間日本人バックパッカーを悩ませた。
日本語IMEがインストールされていないので入力できないのだが、そんな問題を解決する手段として旅行者にメジャーだったのがローマ字打ちの他に・・・
日本語入力が出来る中華ソフト『南極星』とか、javascriptを使ってブラウザ上で日本語入力が出来るようにしたサービス『ajax IME』や『Sumibi.org』だ。
『南極星』とか・・・すんげー使いにくいの。
電脳化
ただ「インターネットカフェのPC環境次第で日本語の読み書きできないとか、オレはイヤだ・・・だれにも縛られたくない!」と、尾崎豊みたいにバイクで走りだしそうな奴も出てくる。
いわゆる電脳パッカーってやつ。
15才の夜はとっくに過ぎていたが、1999年か2000年頃にはオレも親が国際郵便で送ってくれたPDAを持つようになった。
90年代から2000年代にかけて存在した携帯情報端末なるもの、それがPDA。
オレが持っていたのは、1997年にシャープから発売されたザウルス MI-110M。
ザウルスって・・・(笑)
今まで知らなかったけど、調べたらこれって発売当時の値段が83,000円もする!!
メモリが10MBのくせに・・・モノクロ画面のくせに・・・恐ろしい時代だな。
カラーじゃなくモノクロなのは、電源が単4電池2本なので消費電力が少なくて済むからである。
本体の左上にモデムが内蔵されており、ここに電話線を差し込んでプロバイダーのアクセスポイントにダイアルすると・・・
ピ~ヒョロロロ~
と、FAXと同じあの信号音が聞こえてインターネットに接続する。
接続後にザウルス内蔵メールソフトを使って送受信をすれば、オフラインになってからも端末上でメールが読める。
ブラウザも内蔵しているので、ネットに繋がった状態ならWebメールも見れる。
アクセスポイントの問題だが、今はもはや懐かしいニフティサーブとか日本のプロバイダーも海外ローミングサービスをしていた。
海外から日本にあるニフティサーブのアクセスポイント(電話番号)にピ~ヒョロロロ~と接続したら、国際電話になっちゃうからだ。
国際ローミングといえばアメリカのGRIC社が有名で、ニフティサーブもそこと提携。GRIC社が世界中に持つアクセスポイントに、現地で接続すれば国内電話としてアクセスできる。
ちなみに、オレはもう日本には生活拠点がなかったのでタイのプロバイダーと契約していた。
名前ははっきり覚えてないけど、asiaなんとかnetってドメインのプロバイダー。
そこもGRIC社と提携していたので、タイ国外のアクセスポイントも確保。
旅行者だろうが、名義貸しとか何とか色々と契約する方法があったゆるい時代の話である。
ちなみに・・・PDAの一番の問題は、
「お宅の電話線を貸してもらえないでしょうか?」
と、無茶なお願いをする必要がある点だ。
謎の外国人がやって来て、自分の家の電話から電話線を引き抜き、ザウルスとかいう見たこともない怪しい機械に繋いで、謎の電話番号に電話をかけようとする・・・
普通は「イヤだ」となる。
だから『自宅に上がり込んで電話線を借りれるくらいの仲』になろうなどという不純な動機で、ターゲットにした現地人に近づく必要があったのだ。
海外で電話線を確保するために孤軍奮闘する必要があったあの頃であった。
ちなみに・・・電話線の先っぽに付いているカチッとはめ込むやつをモジュラージャックと言うが、実は(コンセントに差し込むプラグと同じで)形状は万国共通ではない。
違う場合はモジュラージャック変換アダプタを噛ませたうえでザウルスのモデムに接続する必要があった。
あと、国(環境)によっては電話回線から過剰電流が流れ込んできて端末のモデムを破壊する恐れもあったので、電話回線の電流をチェックして過電流になったら遮断するモデムセーバーを噛ませたりして。
たかだがメールの送受信をするためだけに、こんなにもクソ面倒くさいことをしている時代もあったのだ。
さて・・・2000年代に入ってしばらくすると、小型軽量、かつ安価なノートパソコンの普及もあって、旅にノートパソコンを持参して現地からホームページやブログで情報を発信する旅人が増え始める。
これから旅をしようとしている人たちにとっては、よりリアルタイムに近い形での生の情報が飛躍的な量で増えたのもこの頃からだ。
続きは次回。
コメント
今年で「不惑」なんでしたよね。おめでとうございます
それにしてもADSLとかダイヤルアップとか…w 懐かしい限りです
>たかさん
未知の世界に突入です。