バックパッカー情報伝達手段の変遷【1】GPO

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16才から海外をブラブラしていたせいで、インターネット環境がない時代のバックパッカーもぎりぎり体験しているワタクシ。

今回、戦前・戦後を体験したジジイの想ひ出話的なノリで回顧してみようと。

個人的には・・・1998~99年くらいを境にしてインターネットが(旅人的に)大きく普及した気がする。

というのが、いくらメアドを持っていても旅先にインターネット環境がなければ“使えない”わけで、どんどんインターネットカフェが乱立して旅人がより簡単にインターネットにアクセスできる環境になりだしたのがこの頃じゃないか?と。

もちろん国や地域によって環境は異なるとは思うし、一カ国で定点観測したわけではないので、あくまでオレの主観だけど。

オレがバックパッカーで初めて海外に行ったのは、マイクロソフト社がWindows 95を出した1995年の中国

当時の中国はインターネットの「イ」の字すら微塵も感じない社会だった。

なので、3~4年ほどインターネットの「環境がない」というか「普及していない」時代に8カ国を旅している。

連絡手段

今なら、旅先で知り合った人とメアドを交換して、旅のルートが同じだったらメールでやり取りをして別の国で再会することも簡単だが・・・

当時、旅人同士の連絡手段はほぼないので基本は偶然の再会であった。

偶然再会すると、お互い「おぉ~!」つって。

会う人とはよく会う、会えない人とは二度と再会できない

それが普通だったから、偶然の再会が続くと必然と仲良くなる。

でも、仲良くなった人とは「次は偶然ではなく高確率で再会したい!」となる。

伝言板

その場合は伝言板を使う。

ウェブ上ではなく、リアル伝言板だ。

友達が立ち寄りそうな宿を何軒か回って、それぞれの宿にある伝言板(大抵ロビーにある)に張り紙をしてまわる。

犬のマーキングと同じだ。

○○ゲストハウスの210号室にいます
山田太郎

と張り紙をしておけば、友達が見たら自分の部屋に訪ねてくるだろう。

もしくは・・・

2月から3か月間インドに行ってきます
山田太郎

と張り紙をしておけば、友達は自分の行き先を把握できて別の手段を取ることができる。

文通

別の手段とは、ずばり文通だ。

その時に役立つのがGPO!!

GPOとか懐かし過ぎる・・・

日本にいる家族や友達、旅先で知り合った人との連絡手段としてGPOを使ってたわ〜、昔。

GPOとはGeneral Post Officeの略で、ようは中央郵便局のこと。

中央ならCentralだろ!という文句はごもっともだが、大英帝国の郵便制度の名残でGeneralなので文句は大英帝国に言ってくれ。

CPOではない、あくまでGPOなのだ。

手紙の宛名に・・・

Mr.Taro Yamada(自分の氏名)
c/o GPO Bangkok(都市名), Thailand(国名)

とだけ書いて出してもらえば、タイ・バンコクの中央郵便局留めになる。郵便番号もいらない。

首都クラスの大都市ともなると郵便局は多数あれど、GPOは唯一無二であり、住所にGPO Tokyoと書いて手紙を出せば千代田区丸の内にある中央郵便局にしか届かない。

ちなみにバンコクのGPOは、高級ホテルが立ち並ぶリバーサイドのジャルンクルン通り、シェラトンホテルとオリエンタルホテルの間にある。

カオサン通りから15番バスに乗り、渋滞に巻き込まれたりしながら往復で2時間近くかけてわざわざ出向くのだ。

GPO留めで届いているハガキや手紙は、郵便局員が宛名ごとにA~Zに分類して箱に入れられている。

そこから自力で自分宛の郵便物を探し出し、パスポートを見せて持ち帰る。

もちろん、せっかく行ってみたものの何も届いていないということも当然ある。

そんな時は、Taro Yamadaなら普通は『T』のところを探すのだが、念のため『Y』も探してみたりなんかして。

無駄足になることも承知のうえで、GPOに通うのだ。

長期旅行者は、新しい都市に着くとまずGPOの場所を把握することが大事で、とりあえず「自分宛の手紙が届いていないか?」GPOに行くのが習わしだった。

使い方を例えで言うと・・・

バンコクのカオサン通りで知り合い、友達になったAさんという人がいたとする。

「今から1カ月くらいインドを回ってまたバンコクに戻る」というAさんに、「オレはマレー半島を南下してインドネシアに行ってくる」と言って別れる。

3週間後、インドネシアの首都ジャカルタのGPOにAさんがインドから出した手紙が届いていた。

返信しようと思うが、Aさんはインドには残り1週間しかいない計算になるので、デリーのGPO宛に送るとオレからの返信が届く頃には出国してしまっている可能性が高いんじゃないか?と考える。

そこで安全策で、Aさんが戻るであろうバンコクのGPO宛に「インドネシアの後はフィリピンに行きます」と返信を出す。

さらに1か月後フィリピンのマニラでGPOに行ってみると、バンコクのGPOでオレからの返信を無事に受け取ったAさんから再び手紙が届いていた。

・・・と、こんな感じだ。

もちろん、手紙が着く頃にはその人はもう通り過ぎた後になる可能性もある。

出した方は相手が手紙を受け取ったか?受け取っていないか?も分からない。

かなり不確実性の高い連絡手段ではあったが、選択肢がなかったこともあってGPO通いが普通だった。

情報入手手段

最後は情報入手に関して。

インターネットでニュースサイトを見ることが出来なかった時代、世の中ではテレビやラジオを除けば情報の収集手段は新聞や雑誌の紙媒体であった。

ところが海外では日本語の紙媒体の入手自体が難しく、情報の仕入れ先が限定されてしまう。

まぁ、ラジオを持ち歩いてNHKワールド(国際放送)を聞いている人も一定数いたとは思うが、オレはあまり出会ったことがない。

じゃあ、どうやって日本のニュースを仕入れるか?というと、ずばり口伝である。

アフリカの部族と同じである。

これは比較的最近日本からやって来た旅行者が主な情報源となる。

ところが、情報源から直接伝達されたならともかく、口伝だと第三者を介するので伝達途中で尾びれがついたり、全然違う話になったりするのだ。

旅人
カトマンズで会った旅行者から聞いたんだけど、有名人の○○が死んだらしいよ
オレ
マジでっ!!

有名人○○の死亡を信じて疑わなかったオレが日本に帰国し、テレビをつけると普通に○○は生きておった。

フェイクニュース!!

そんな時代を経て、徐々にEメールを使った情報伝達が一般化していく。

ブラウザを通してアクセスできるWebメールの利便性が旅人のニーズにマッチしたのだ。

続きは次回。

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