南アから日本に帰る【6】北半球

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第5話に続く第6話。

ルワンダから国境を越え、ボダボダに乗ってウガンダに入った。

ボダボダとは2輪タクシーのことで、基本はバイクだが、田舎だとチャリの場合もある。小さい町なら200シリング(当時約13円)でチャリの後ろに乗って町中をどこでも連れて行ってくれた。

キング謁見

赤道直下にもかかわらず、早朝は吐く息が白くなるほど寒い。

ウガンダ西部にある標高1500mの町フォート・ポータルから、セムリキ盆地を目指してコンゴ(DRC)との国境近くまで山を下る。

セムリキを東端にして、国境を越えて西に広がるのは『イトゥリの森』と呼ばれる熱帯雨林。

イトゥリの森は、地球上で唯一野生のオカピが生息している地である。

この珍妙なキリンの仲間を見に行こうとしたわけではない。

残念ながらウガンダ側ではすでに絶滅しているし、国境を越えた先にあるのは修羅の国である。2024年現在、イトゥリの森はコンゴ開発協同組合(CODECO)という名前だけはマジメそうなカルト民兵組織の縄張りだ。

オカピはどうでもいい。

オレが会いに行ったのは人間だ。

セムリキ盆地へ行くための移動手段に、バスなど“旅客”輸送を目的に設計された乗り物はなかった。

“物資”輸送を目的に設計された乗り物ピックアップトラックの一択である。

まず、ピックアップトラックの荷台に米袋のような小麦粉袋のような袋ものの荷物をうず高く積み込む。

積み終わったら、その上に足を縛られて羽をバタつかせる生きたニワトリが乗る。

あとは人間を20人ほど乗せたら出発である。

イメージとしてはこんな感じだ。

Embed from Getty Images

この写真はニジェールのトラック、オレが乗ったのはウガンダのピックアップトラック、規模は違うがほぼこんな状態。

オレだって乗りたくなかったが、これ以外にセムリキに行く公共交通機関はなかった。

フォート・ポータルからセムリキ盆地まで下りDRCへと続く道は、高低差7~800mほどを下って行くグネグネと曲がりくねった山道だ。

もちろん未舗装の凸凹道である。

昨今の風潮を考えると、こういうことはあまり言わない方がよいのかもしれないが…

こういうピックアップトラックを運転してる奴は基本イカれてる。

経験則による偏見だが、頭のネジを何本か失ってる奴しかいない。

夢はオフロードラリーのドライバーなんですかっ?!

落ちたら確実に死ぬ片側が崖のグネグネ凸凹山道をアホみたいにぶっ飛ばす。

当然、荷台のニワトリたちは羽をバタつかせて大暴れし、人間たちは振り落とされまいとしがみつこうとするがしがみつくところもなく、日常生活では決して使うことはないであろう謎の筋肉に力を込めて謎の部位が筋肉痛になる。

あいつらは荷台のことなど一切考えておらず、ただただ狂ったようにアクセルを踏み込むだけ。超過積載だからブレーキが利かないかも…などとは考えない。なぜなら頭のネジを何本か失ってるから。

死ぬっ!死んじゃう!!

と、2時間以上耐えてたら目的地であるセムリキ盆地に入った。

やって来たのは、中部アフリカの先住民であるピグミーの村。

南部アフリカの先住民であるコイコイとサン同様に、一般的に“アフリカ人”として認識されているバントゥー系の黒人がアフリカ大陸を席巻する前から…6万~13万年前からこの地に住んでいた真のアフリカ先住民であり、南部のサン同様に狩猟採集民族だ。

セムリキ盆地からイトゥリの森にかけて暮らしているのはエフェ・ピグミー。カメルーンの熱帯雨林にはバカ・ピグミー、ブルンジやルワンダにはトゥワ・ピグミーが暮らしている。

ブルンジでトゥワ・ピグミーに会いに行こうとしたが、道中が危険だったため諦めている。

ピグミーの特徴としては成人男性で150cmもない、いわゆる小人族であること。

集落に入っていくと、確かに家の造り(屋根)が低い気がする。

「私がキングだ」

キングを名乗って現れたのが左から2番目のオレンジのシャツを着ている男だ。

ウソつけっ!!

と思って、よく聞いたらこの小さな集落の長(おさ)らしい。

勘違いしちゃうから、せめてチーフかヘッドくらいにしとけよ!とは思ったものの、キングを自称するのもまた人の自由である。

わざわざ頭のイカれた奴の運転するピックアップトラックの荷台に乗り、遥々アフリカの奥地までやって来た日本人を温かく歓迎するピグミーの皆さん…なんて情景を想像する人はテレビの見すぎだ。

集落見学&撮影料として要求される金額を巡ってハードな交渉が待っている。

最初の言い値は2万シリング(約1,300円)だったが、物価水準を考えるとぼったくり過ぎだ。ボダボダに100回乗れる。ネチネチと時間をかけて交渉して最終的に8/1の2,500シリング(約160円)まで下げさせたが、いざ払う段階になってポケットの中を見たら最小紙幣が1万シリング(約650円)札のみ。

お釣りをくれ

一応、言ってはみたものの当然「ない」の一点張りで、渋々1万シリングを支払った。

金額交渉の時から気になっていたことがある。

過去にこの集落を訪れたことがある物好きな旅人たちが残していったメモ(キングが左手に持っているノート)にもこう書いてあった。

「小さいのってキングくらいじゃん」

さすがに“キングくらい”というのは言い過ぎだが…

この写真でキングに向かって右の隣にいるやつ。

おまえ誰だよっ!!

たぶんここら辺の近くに住んでいるのであろうピグミーではない他民族の若者たちが、オレとキングとの値段交渉に口を挟んでくる。

しれっとピグミーに混じっているけど、こいつら全然関係ないから。

ピグミーを利用して分け前にあずかろうとする他民族の隣人。しかもキングを押しのけてまで出しゃばって仕切ってくるのでめちゃくちゃうっとおしい。

だから…おまえは一体誰なんだっ!?

ピグミーじゃねーだろっ?!

何度も部外者を排除しようとしたが、「ボールペンくれ」「サングラスくれ」「何でもいいからくれ」。

おまえは誰なんだマンから、くれくれマンに変身してしまった。

ピグミー集落の奥には、オレが下りてきた山が見える。

キングたちピグミーの反応を見る限り、明らかにいいように自分たちを利用している他民族の人間に拒否反応を示さないところに、ピグミーの置かれている立場というか力関係を見たように感じたのはオレの考えすぎだろうか。

未だ社会的地位が低く差別されているピグミーなりの他民族との共存がこれなのか?と。関係のないこいつらをつまみだせよ!と思いながら、そんなことも考えた。

ピグミーに会いに行ったら、全然関係ない奴らがうざ絡みしてきてすぐ帰って来ちゃった話である。

なお、帰りは上り坂になるのでピックアップトラックもスピードが出ない。

北半球

ただいま、我がふるさと北半球。

北半球に帰って来てしまえば、もはや同じ北半球のドイツや日本に「辿り着いた」と言っても過言ではない。

ウガンダで赤道を越えて北半球に入った。

そして、ここが世界最長ナイル川の源流である。

もしここから川を下って行けばやがて地中海に着く。もはやヨーロッパに「辿り着いた」と言っても過言ではない。

そんな、ほぼゴールしたと言っても過言ではないウガンダの写真をいくつか。

日本の町中でゴミを漁るのはカラスだが、ウガンダの町中でゴミを漁るのは1.2mはあるアフリカハゲコウ。デカすぎて怖い。

湖の対岸の山奥にピグミーの村があるというのでカヌーで1人行こうとしたが、いくら漕いでも全く進まず、同じ場所をクルクル回るだけなので諦めた。写真に写ってるのは向こう岸ではない。出発地点を回ってる時。

首都カンパラのオールドタクシーパーク。近くにはニュータクシーパークもあり、ここに来れば国内どこへでも行ける。タンザニアではダラダラだったミニバスの呼び名も、ウガンダやケニアではマタトゥに変わった。

ちなみに、日本でイメージするタクシーのことは「スペシャル・ハイヤー・タクシー」と呼び、「タクシー」だけだとマタトゥのことかな?となる。

ウガンダの治安にかんして言えば、アフリカの中ではかなり良い方に入るかと。

オレが行った頃はまだ『神の抵抗軍(LRA)』という、村々を襲って数万人の子供を誘拐、少年は兵士に、少女は性奴隷にすることで悪名高かったカルト子供使い武装勢力がいた。ウガンダ北部は200万人が難民化していて危なくて行けなかったが、そんなことも今や昔の話。

ちなみに、国際指名手配されているLRAの指導者ジョセフ・コニーの首には500万米ドル(約7.7億円)の懸賞金がかかっているので、闇バイトするくらいなら賞金首ハンターの方がおススメである。

修羅の国DRC東部にも首に億単位の懸賞金がかかってる“将軍”たち(戦争犯罪人たち)がいるけど、そっちよりジョセフ・コニーが狙い目だ。ウガンダ北部で猛威をふるっていたあの頃の勢いはもはやなく、落ち武者状態で勢力も激減して弱っているこのチャンスを逃すな。

叩くなら弱ってるやつでしょ。

耳よりな情報だが、2024年4月時点でジョセフ・コニーは中央アフリカ共和国オート・コト州サム・ウアンジャにいた。ロシアのワグネルが強襲したけど逃がした上に、ロシア人傭兵2人が死んでいる。

オレがSNSで募集しようかな…

「面接も履歴書も不要!誰でもできる簡単なバイトです♪ジョセフという60代のおじいちゃんを探すだけの、かくれんぼと鬼ごっこが合体したような遊び感覚で楽にお金が稼げます♪もちろん、あなたには鬼の役をやってもらうので安心してください!しかも即金で50万円♪探すだけでもいいですが、ジョセフおじいちゃんを捕まえられたらさらに100万円お支払いします♪詳細はDMで」

応募してきたら中央アフリカ、南スーダン、チャドの国境地帯に送り込む。

これが闇バイトの次に流行る闇ジョセフ。

さて、ウガンダを出たオレは隣国ケニアに入った。

タンザニアのダルエスサラームを出てから1カ月をかけてケニアの首都ナイロビまで辿り着いた。

ちなみに、ダルエスサラームとナイロビは意外と近くてバスで15時間ほどである。

ただいま、南半球

ナイロビは南半球にある。

赤道を行ったり来たりしたせいで疲れたオレはナイロビで3週間の長期休養に入った。

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