全4回が確実にムリな状況に…。3回目にしてまだ6分の2カ国目。
アンコール遺跡
エンジン4基の爆音がうるさったからという理由?でクレーム射撃(オリンピック競技みたい)されながらも、無事にアンコール遺跡観光の基地となるシェムリアプに到着。
船着き場を見て「えっ!?」と思ったが、シェムリアプの町自体は南国感の出てる落ち着いた田舎町で気に入った。
カンボジアにツアーで行けるようになるにはもう少し時間がかかるので、当時のシェムリアプの雰囲気は最近とはまた全然違っていたと思われる。“最近のシェムリアプ”を知らないが…
↑こんなのはオレが知ってるシェムリアプじゃない!!
なんだ、パブストリートって?!
1日4~5回は停電するし、電話をすれば混線して全然関係のない人たちとも繋がって「だ、だれ?!」となる『勝手に他人とグループ通話』機能が発動していたただの田舎町だったくせに今やキラキラしてやがる。
シェムリアプでの宿は『アプサラ・アンコール(No.279)』というゲストハウスで、1泊2食付シングルで2USドルという驚異のコストパフォーマンス!! 2階に共有テラスがあり、周囲のジャングルを眺めながらまったり出来る超快適な宿であった。日記にも「カンボジアは何もなければなんていいとこなんだろう」と書いているほど。
3日券を40USドルで購入し、世界最大級のアンコール遺跡群を観光。
密林に浮かぶアンコールワット。
昔のカメラに付いていた『パノラマ撮影』機能を使って撮ってみた。
通常写真の上下をただカットして“パノラマっぽく見せてる”だけで、画角は全く変わらないので全然意味がないというね…
今では信じられないだろうが、アンコール遺跡が全体的にまぁまぁ空いてた。
ツアー客も来れるようになってからや、最近は中国からの観光客がすごそう。
遺跡周辺には子供の物売りが沢山いたが、まだあまりすれていない印象だった。
「今後ツアー客がばんばん来るようになったらすっげーうざくなりそう」というポテンシャルは感じたけど。
アンコール遺跡の中でも特に精巧なレリーフが素晴らしいバンテアイ・スレイにも行った。シェムリアプから片道40分かかるのだが、道中は危険なため警察への届け出が必要だった。ポル・ポト派のゲリラにアメリカ人観光客とガイドが殺害されたと聞いた。
護衛の兵士を雇って行くような場所だったが、オレの場合は仲良くなっていたタクシーの運転手マウさんのお兄さんがバンテアイ・スレイで警護をしている兵士だったので同乗してもらって向かった。
こんな道路を「狙撃されるから頭を下げていろ」と言われて道中ビクビクしながら向かったのだが、まさか2年後には彼女を後ろに乗せてレンタルバイクで気軽に行けるようになるとは…
当時はポル・ポト派の残党との最前線に位置していたため、バンテアイ・スレイにはかなりの数の軍が展開していた。
シェムリアプから再びスピードボートに乗って首都プノンペンに戻る。
帰りのボートには小銃を担いだ兵士も同乗してたから、ちょっと安心だった。
ややこしいので整理しておくと、トンレサップ川に出るのは本業が強盗の『フルタイム強盗(川賊)』。内戦が終結して、元兵士たちも仕事がなくなり生きていくために『フルタイム強盗』として就業したパターン。夜のプノンペンを徘徊してるのは、本業は警察だけど副業として強盗をやっている『パートタイム強盗』。ちょっと種類が違う。
武器も溢れていて市場に行けば地雷が2USドルで売られていた。本当か冗談か知らんがカンボジア人は「泥棒対策で家の庭に埋める」とか言ってて、おいおい!みたいな。
帰りのボートでも屋根の上に乗せられ、川賊にも出遭わず、クレーム射撃も受けなかったが、激しいスコールに見舞われ…屋根が雨を遮る前にオレが寒さで歯をガチガチ言わせながら全身で受け止めていた。
プノンペンから再びロイヤル・カンボジア航空でベトナムのホーチミンに飛ぶ。
ベトナム
空港で5000円を両替したら45万ドンが来た。
通貨がドン?!
宿は安宿街として有名なファングーラオ通り。
シンカフェやキムカフェといった旅行会社を中心に安宿がチラホラとある通りだが、カオサンと比べるとこじんまりとした印象を受けた。
ベトナム戦争時に神出鬼没のベトコンが米兵を苦しめたのは地下に張り巡らしたトンネルがあったからだが、そんなクチトンネルとカオダイ教の総本山タイニンを巡る1日ツアー(たったの4USドル)に参加した。
クチトンネルのガイドが半端なく自意識過剰なのが気になった。
うざっっ!!
まぁそうなんだけど、わざわざ言ってくる必要ある?と思って。
クチトンネル自体もそれなりに面白かったが、道中の風景が面白かった。
やたらと車高の高いボロボロのバスや…
ニワトリを満載したバイクとか。
カントーを中心にメコンデルタ地帯も回っている。
当時のオレはかなりアグレッシブに観光をしていた。この旅をピークにして、“観光客”としてのアグレッシブさは下降の一途をたどる。
10年後には絶対行かないであろう、くっせー漁港をわざわざ見に行ったり…
ボートに乗ってメコン河下りもした。
ボートでカンボジアと同じような景色の中をゆっくりと進みながら、「景色は似てるんだけど何かが違う…」と思ったら“安心感”だと気が付いた。
襲われないかビクビクしながら乗らなくてもいい、そこが決定的に違っていたのだった。
ファングーラオで知り合った日本人旅行者たちと写真を撮っている。
他の人たちは全然覚えていないが…
短期旅行で来ていたOL2人組は覚えている。
ベトナムでは飯を一緒に食っただけだが、日本帰国後に右側に座っている何とかさんから「2人で一緒に温泉旅行に行こう」って誘われた。
行ったら行ったで、いきなり…
とか言われて。
正直…「実は」とかサプライズ発表っぽく言われても、そもそも人の結婚とかどうでもいいから、全く興味のない情報をブチ込まれても「へ~」と言うしかなかったのだが、あれって結局なんだったんだろ?
「へ~」って言ったら、この会話は終わった。
マリッジブルーからの独身最後の冒険的な感じ?
そういえば、なんか服を買ってもらった記憶があるな…