今回は、今までと少し趣向を変えてお散歩。
明確なルートを決めずに、ただ街をぶらぶらしてみた。
今回お散歩したのは台東区の……御徒町→上野→鶯谷周辺である。
実は……この辺りはオレが東京で一番好きなエリアかもしれん。
好き!というほど前傾姿勢ではないが、落ち着くというか、合うというか。
だって、この辺りって、言い方が難しいが……
なんかダサくない?
抑えきれない胡散臭さが溢れ出ちゃってるし、
都会的か?って言えば決して都会的でもないんだけど、飲食店の数とか含めて“腐っても東京”って感じで地方都市の繫華街を凌駕する程度には一大繫華街ではある。
「六本木でよく飲んでます」とか「麻布に行きつけのバーが」とか「表参道ヒルズでお買い物を」とか……地名を使って自分を大きく見せようと背伸びしてるやつが一定数いる。
ムリしなくていいのにっ!!
等身大のお前なんかどうせ新宿の思い出横丁でモツ煮レベルだろ?みたいなやつ。
御徒町、上野、鶯谷なんて、思い出横丁でモツ煮レベルのオレのような人間が一番落ち着く街なのだ。
上野には国立博物館とか科学博物館とか西洋美術館とか東京芸大もあるが、そんな文化的な場所はお散歩しない。なぜなら、あそこらへんは高台だから。
胡散臭さは低地に宿る!!
さて、スタートは御徒町の銭湯『燕湯』から。

国の登録有形文化財に登録されている銭湯。
しかも営業時間が6時〜20時と、昼間の散歩前には最適だ。
ひと風呂浴びた後に向かったのは、オリエント工業のショールームである。

超精巧を売りにするラブドール(ダッチワイフ)メーカーで、昭和通り沿いにショールームがある。
予約不要で、1000円の入場料さえ払えば誰でも入れる。
昔から興味があったのだが、なかなか来る機会がなかった(というかただ面倒だった)こともあり、今回念願の初訪問。

たしかに、“見た目”はものすごく精巧に出来ている。

色味とか質感はまるで人間の肌のように見える。
触感はどうだろ?
ということで、おっぱいを揉んでみた。

おっパブの客目線みたいな写真になっているが……
弾力性は一旦置いといて、質感はゴム(正確にはシリコーン)。
当たり前と言えば当たり前なのだが、“視覚”的リアリティで「おぉー!」と思った脳が勝手に期待してしまうほどの人肌感はない。“触覚”のゴム特有のほんのわずかな粘着感で「まぁ、こんなもんだよな」と少しガッカリしている自分がいた。
あと、芯の部分(骨格)は金属だろうなって感覚がある。
ちなみに、オレがおっぱいを揉んでいるドールは、802,450円~である。

カスタムメイドで、自分好みの顔(頭部)、ウィグ、ボディ、おっぱいの大きさ、乳首の色、アンダーヘアの濃さなど決めていくと、金額が変わってくるってこと。
ちなみに、写真上段の一番左の“清水美帆”(頭部)は149,600円だ。
80万かぁ……
と思いながら、パッと見たら税込5500円で売られているものがあった。
80万円からの5500円って、謎に「安っ!!」と感じてしまって反射的に買っちゃいそうになるから危険である。

ラブドールのホールパーツだけ、単品で『日本の名器』として売られておった。
大事なことなので強調しておく。これが何かを模しているか?はオレにはわからない。わかっているのは、人形のパーツの一部ということだけ。
これを見た瞬間に頭に浮かんだのが、1980年代に流行ったという改造シフトレバー。
ヤンキー車のイメージを言語化するのに苦労して、オレのプロンプトではこんなAI生成画像が限界。

『日本の名器』ってシフトレバーにぴったりそうじゃね?!って。
イメージしやすいように「画像のシフトレバーだけ『日本の名器』に変えて」とAIに頼んだら、なぜか拒否された。拒否する理由を聞いても教えてくれないが、何かに抵触するっぽい。
ただ、よく考えたら……オレは車を持っていないからシフトレバーが要らない。
そのことに気がついてしまったため、買っていない。
まぁ、車は持ってないが折り畳み自転車は持ってるので、ハンドルのグリップにする手もあったけど。
ただ、ハンドルのグリップが『日本の名器』になってる自転車を見たら、オレなら「うわぁ……めちゃくちゃイタいやつじゃん!!」とドン引きする。絶対やべーやつだと確信。
ウケ狙いで使うにはリスクが高い。
おっぱいを揉んで、穴に人差し指を突っ込んでみた後は、台東4丁目交差点へ。

(2026年1月)29日午後9時半頃、東京都台東区東上野の路上で、中国人と日本人の5人グループが、複数人に催涙スプレーのようなものを噴射され、スーツケースを奪われた。捜査関係者によると、ケースの中には現金約4億2000万円が入っていたとみられるという。【読売新聞】
ニュース記事中の「事件現場を調べる警察鑑識」の写真に街区表示板が写っていて、写真の交差点を100mくらい進んだ春日通り沿いの東上野一丁目13−1が事件現場。
4億2千万もあったら、100万くらい落ちてないかな?と思って。
結果:100万円どころか1円も落ちていなかった。
ちっ、落ちてねーか……と、事件現場から北に200mほど歩けば東上野コリアンタウンがある。
東京でコリアンタウンと言えば新大久保が有名だが、実は都内最古は東上野。
ただ、コリアン“タウン”と呼ぶほど大きくはなく、ビルやマンションの間に挟まれた一角にひっそりとある。

奥に見えるマンションまでの一角に集まっているが、新大久保のような賑わいはない。
狭い路地の中にも店がある。

さて、幕末から明治にかけて東京全体に貧民窟(スラム)が少なくとも70カ所ほどあったらしい。
小石川(文京区)、赤坂、麻布(港区)、四谷、牛込(新宿区)……
この辺りも、幕末から下層民が集まるスラムだったらしい。
麻布谷町(現在の六本木一丁目~二丁目)も貧民窟(スラム)だったそうだが、厳密に言えば『麻布』と一言で言っても高台は大名屋敷、谷地や低地は貧民窟と、セレブと貧民が混在してたみたいだけど。
そんな数多くあったスラムの中でも、明治の東京三大スラムと言えば……
四谷・鮫河橋:現在の新宿区若葉二丁目〜三丁目。 芝・新網町:現在の港区浜松町二丁目。 下谷・万年町、山伏町:現在の台東区東上野四丁目〜五丁目、北上野一丁目〜二丁目。1894年(明治27年)に社会統計学者・高野岩三郎が書いた論文にも書いてある。
イースト・ロンドンは,“イースト・ロンドン”と云う言葉が貧困と堕落の巣と置き換えられるほどにまで,貧乏・窮乏・極貧・罪悪に満ちています。(中略)わが国の,この都市[東京]に目を転じますと,一つの“大イースト・ロンドン”は存在しませんが,ここには沢山の“小イースト・ロンドン”が,殆どあらゆる地域に散らばっています。その中でも,下谷地域の「万年町 まんねんちょう」と「山伏町 やまぶしちょう」,四谷地域の「鮫ケ橋 さめがはし」,芝地域の「新網町 しんあみちょう」が,最も知られており,かつ大規模な貧困地域[貧民窟]です。
万年町(東上野四丁目~五丁目)と、その北に隣接する山伏町(北上野一丁目~二丁目)は、当時「山伏町は泥棒町、万年町は乞食町」と言われていたらしい。
もともと幕末から下層民が集まってる地域だったけど、時代が変わって『武士』という職業が無くなって失業した没落士族や、資本主義の発展に伴って都市化した東京へ“上京”してきた地方農民たちで、明治の東京スラムは肥大化していったようだ。
石塚裕道著『東京の社会経済史 – 資本主義と都市問題』(1977)には、こんなことが書いてあった。
万年町で紙屑ひろいをしていた一老人は、かつて「講武所の槍術師範役」で「何千石」の禄高を給されていたし、毎日「破れ三味線」をもって、物乞いをしていた一老婦人は、むかし「三千石を領せし旗本某の娘」であったというはなしもある
日本一不潔とすら言われていた、下谷万年町。
明治のジャーナリスト横山源之助もその著書『日本の下層社会』(1899)で、こんなふうに書いていた。
万年町にては二丁目醜穢甚だしく、稼業は人足・日傭取・人力車夫に次いで屑拾すこぶる多し。むしろ万年町の特色なりと言うを得べきか。(中略)万年町の住民は油断して居れば庭のものをさらえゆく心配あり。
醜穢甚だしく(きったねーし)、住民は泥棒ばっかりで治安悪い!と。
たぶん、オレが上野を“何となく好き”なのはこういうところかもしれん。
上野って「東京三大スラムのひとつがあったから戦後の闇市ができた」とかじゃない。
上野に限らず幕末・明治からあったようなスラムは関東大震災や東京大空襲でほぼ消滅してるし、戦後の闇市は全国の駅前で同時多発的に生まれてる。
直接的な因果はない(もしくは薄い)にも相変わらず、昔から現在に至るまで安定してずっと胡散臭い、猥雑DNAが連綿と息づく街。
それが上野。
池袋みたいな新興の胡散臭さとは歴史が違うのだ。
これって実はけっこうすごいことだと思ってて、麻布十番や六本木は戦後の計画的再開発で“過去を上書き”して町のイメージをガラッと塗り替えた。
今じゃ、「六本木で飲んじゃってるオレってイケてるぅ♪」と調子に乗った成金風情が、貧民たちの屍の上で酒を飲んでいる。
今じゃ“一等地”になった貧民窟の上に建てたマンションに住んで「高級♪」とセレブ気取り。
それに比べ、上野なんか現在ですら下層民しか集まってこない!!
・・・・・・ちょっと言い過ぎたが、そういうところが好き。
麻布をディスってるんじゃない、上野を褒めてるだけ。
東上野コリアンタウンから400mも歩けば、かつての下谷万年町のあった辺りだ。

右側に上野警察署、その左に台東区役所があるが、ここら辺から向こう(北)はかつての下谷万年町、その先は下谷山伏町。
当たり前だが、現在の東上野四丁目~五丁目を歩き回っても、東京三大スラムだった頃の面影など微塵も残っていない。
関東大震災や東京大空襲を経て、スラムだった過去は歴史に消えた。

今は普通の住宅街。
あと、かつての下谷万年町の辺りは東京メトロ銀座線の車両基地になっている。

日本で唯一、地下鉄の地上踏切があるところ。
オレが見つけられた下谷万年町の痕跡は、電柱に貼られた「万年」くらい。

スラムだった痕跡は全くないが、地図にも載ってないくらい極狭な路地を入っていくと下谷万年町の頃から長屋が並んでいたんだろうな……という“町の作り”は残っている。

これで上野駅まで徒歩5分とかだからな。

「2階の増築部分って合法?違法?」と余計なお世話で心配しつつ、真っ直ぐ進むと丁字路になっていた。

パッと見は通れそうにない雰囲気だが、路地になっていて玄関もある。

いや、上野駅から徒歩5分~10分圏内にこんな街並みが残ってるってすごいこと。
長くなってしまったので、上野の他と鶯谷は次回。
