第6話に続く第7話。
バリエム渓谷の真実
これは背後からだからタダ。
これは望遠だからタダ。
これは2人だから2000ルピア。
これはタバコ1本。
ダニ族の写真を1枚撮る度に1000ルピア(当時17円)かタバコ1本を要求された。
20年の人生で『写真を撮るだけでお金を要求される』というのは初めての経験だったオレは正直言って不快に感じていた。金額の問題ではなく「カネ、カネ」言われることにアレルギーが出たのだ。
そもそも『人間本来の姿』と出会うためにやってきたイリアンジャヤだが、出会うのはオレが想像していた姿とは真逆な人々のように映っていた。
高地
クリマからタンマという集落まで1日かけて歩く。
赤道直下の熱帯ジャングルと言っても、バリエム渓谷は万年雪を頂く5000m級の山々に囲まれた高地だ。歩きながら持っていた高度計を確認すると、標高2190mを指していた。
つまり、どういうことか?と言うと…
普通に寒いっ!!
つまり、どういうことか?と言うと…
普通にダニ族もジャンパーを着てるっ!!
そりゃそうだ、寒いんだもの。
こんなに寒いんだったらジャンパーのような『外部からの道具』が入ってくる前にコテカ以外の防寒具を考えたことはないんだろうか?木の皮や葉っぱを使うとか色々方法はありそうだけど?と疑問には思ったが、何だか聞いてはいけないような気がして聞いていない。
寒さに強い民族だからコテカだけで大丈夫!って人たちだったらオレも全然疑問には思わないんだけど、当の本人たちが「寒い!」ってジャンパー着てるからさ…
えっ…寒いのって遥か昔からじゃね?みたいな。
大体、北極にコテカだけ着けて行った冒険家がいないということは、コテカの防寒力がほぼゼロであることの証。防寒力を高めたいなら、せめて…せめて…タマ部分を覆いたいところだが、それすらなく冷え放題。
そして、オレもそうだったように普通の旅行者はジャンパーを着たダニ族の写真をわざわざ撮らない。そしてコテカを着けた男たちの写真ばかりを見た人たちはこう思うのだ。
「わぁ、今も裸族の人たちがいる秘境!!」
うん、半分正解で半分不正解。いるにはいるが、実は現地でもマイノリティー。
タンマ村
ワメナからわざわざ1泊2日かけて山を越えて歩いて辿り着いたタンマ。
山の斜面を下りながら集落に入っていくと、皆さん当然のようにズボンを履き服を着ている。
だが、外人がわざわざ集落までやって来たのだ。
「どうせお前らが見たいのはこれだろ?」とばかりに、村長や他の男たちは自分たちのホナイの中に消えた。急いで着替えを済ませて出てきた男たち、村長なんて頭の羽根飾りを着けながらの再登場でかなり急いでくれたようだ。
“外人が求めるダニ装”に変身した男たちと、半強制的に記念撮影大会が始まる。順番に来る男たちに1000ルピアを渡しては写真、1000ルピアを渡しては写真…と、まるでIAJ48(イリアンジャヤ48)の握手会状態である。
写真のオレが死んだ魚のような眼をしているのは、山を越えてきた疲労からだけではあるまい。
ちなみにこの写真は3000ルピア取られている。子供500ルピア×2人、裸のダニ族の大人は1000ルピア×2人で計3000ルピア。アミューズの奥にいる男からも1000ルピア請求されたが「服なんか着てる奴には払わん!」と拒否。
そもそも手持ち残金が6万ルピアだったオレに豚一匹が買えるはずもなく、お断りしたところ歓迎行事は一切なかった。
新品だと主張する村長を信じ、値段は忘れたがMyコテカを買った。
ひょうたんで作られているダニ族のコテカ。もちろん後日に一人ファッションショーをして鏡の前でポーズをとってみたが、自分で思っていた以上に変態感が強過ぎて我ながら引いた。
後年、邪魔になったMyコテカをおばあちゃんに海外土産としてあげたが、おばあちゃんは使い方が分からず(=説明していない)逆さにして花瓶みたいにして使っていた。
ヒッチハイク
ダニ族の集落を巡るトレッキング中に散々撮影料を徴取されたオレ。
ワメナに戻った頃には、6万ルピアだった手持ち残金が1万ルピア(約170円)にまで減っていた。陸の孤島で金欠になりほぼ詰み状態になった日の日記にはこう書いてある。
朝7時に起きた。急いで支度を整えてメルパティ航空のオフィスへ向う。そして今日ジャヤプラに行きたいこと、でも手持ちに1万ルピアしかないことを伝えた。ボクの考えでは、とりあえず飛行機に乗せてもらってジャヤプラに着いたらカードでお金を下ろして払うというものだ。ところがオフィスでは空港のカウンターに行って責任者に聞いてくれと言われた。そこで直接空港へ行って責任者を呼んで交渉する。責任者は電話をかけたりして考えていたが、最後は「飛行機の後払いはできない」と言われた。これは計算外だ。
そうこうしているうちに一休さんを乗せた飛行機は飛び立って行ってしまった。ワメナとジャヤプラ間の飛行機は1日1便しかないのだ。そろそろ本気で焦ってきた。空港で「明日のジャカルタ行きの船に乗るために今日中にどうしてもジャヤプラに行きたい!」とジタバタしていると警察が来て連れて行かれた。
飛行機に後払いで乗ることを狙っていたオレは、狙いが思いっきり外れてピンチになった。
ジャヤプラに着いた時点ですぐにジャカルタに戻る船のチケットを購入していたが、今日中にジャヤプラに戻らないと出港に間に合わない。
最初で最後の民間機が飛び立ってしまった以上は「今日中にジャヤプラに行く」ためには、もうあれに乗せてもらうしか方法がない…
そう、インドネシア軍の輸送機だ!!
交渉に3時間以上もかかったが、警察の口添えもあり最終的には軍の輸送機に同乗させてもらえることになった。
午後1時40分、輸送機はワメナの空港を飛び立った。機内はほとんどガソリンを入れるドラム缶で埋まっており、座席は10人分しかない。機内にはガソリンの臭いがたちこめ、機体の上昇による気圧の変化で大量のドラム缶が一気にベコンベコン大きな音を立てて凹んで恐ろしい。2時20分、輸送機は無事にジャヤプラのセンタニ空港に到着。空港近くのラトナホテルに行ってみると、やっぱり一休さんがいた。一休さんはよく戻ってこられたと驚いていた。
あの時は色々と必死過ぎて、機内とかの写真が1枚もないのが悔やまれる。
ダニ・アレルギー
ジャヤプラからジャカルタに戻る船はチレマイ号。
行きで乗ったドボンソロ号とはルートや寄港地が異なるが、やはり7泊8日かかる。
ものすごい人だ。やっと乗り込んだがエコノミークラスは既に人で埋まっていて、探し回ったが無理だった。空いている所も少しはあったが、そこを先に占領しておいて後から来た乗客から金を取るやつがいてダメだった。それにしてもドボンソロ号より汚い。ネズミが走り回っている。しかたなく売店前のベンチを占領。
夜7時頃ようやく出港。だいぶ乗客も落ち着いてきた頃、空いているスペースを探して船内を歩き回ってみた。一番船底の2デッキにようやくスペースを見つけた。荷物を持って移動するが、ゴキブリがめちゃくちゃ多い。しかも人間に慣れてて最悪だ。この状態で1週間以上過ごすのかと思うとうんざりする。
潔癖症で電車の吊り革を掴むのもイヤなオレには地獄のような船旅だった。
8日間の船旅中、あり余る時間でずっとダニ族のことを考えていた。
「人間本来の姿を残すダニ族たちに温かく歓迎され、無私の愛に包まれながら親睦を深め、純真な心を取り戻したオレは生涯の友となったダニ族と涙を流して別れを惜しむ」ために、バンコクからわずか1カ月という超高速移動でわざわざやってきたのに…
実際にオレを待っていたのは、たった数日間すらも我慢できず客の隣で女とやるガイド、写真を撮る度にお金を請求してくる人々、「その服くれ」とか「その時計くれ」とか『くれくれ攻撃』してくる人々…
もうこんなところ二度と来ねぇ!!
完全にダニ・アレルギーが発症して、イラついていたオレ。
でも長い船旅の間に気付いちゃったのだ、『人間本来の姿』を無欲とか純真とか親切とか勝手にポジティブなものだとばかり考えていたことに。
実は欲望こそが人間本来の姿なんじゃねーのか?
そもそも己を振り返ってみれば、ダニ族にはこうあって欲しいという勝手な願望を抱いて、勝手に幻滅して、勝手にイラついている。自分が望んでいたことが満たされなかったことに抱いているこの反発も、またある意味で欲望の裏返しなのかも。
ダニ族もそうだけど、この後にアフリカでヒンバ族とかムルシ族とかニャンガトム族とか色々会ったうえで最近思うのは…彼らは『欲望の自己制御』が下手くそで、自分の欲望をすぐ表出させちゃうだけなんじゃないか?と。
オレのように欲望を無限に増殖させる貨幣経済社会で生まれ育った欲望のスペシャリストともなると、『むっつり強欲者』として生きた方が対人関係を円滑にすることが出来ると刷り込まれているから表出しないようにしているだけで、実は欲望の大きさで言えば「新しいスマホ欲しい」とか色々あるオレの方が彼らよりも大きいかも知れない。