1998-2000【8】混沌

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第7話に続く第8話。

インドネシア貸し切り

今振り返ってみても、あれほど悪意に満ちた眼差しを浴びながら過ごした日々はないかも。

とにかくアウェイ感がハンパなかった…

歩いているだけで、通りすがりの奴に親指で首を掻っ切るジェスチャーをされたり、殴りかかろうとするポーズをされたり、握りこぶし大の石を投げられたこともある。

全て中華系に間違われてのことだ。

ちょうど宇多田ヒカルがデビュー曲『Automatic』を発表し「I feel so good It’s automatic~」と歌っていた頃、オレは遠くインドネシアでfeel so badな日々を過ごしていたのだ。

1998年5月のジャカルタ暴動では、中華系インドネシア人たちが標的になり100人以上の女たちが犯され、1000人以上が虐殺されている。

要は「3%しかいない中華系が、インドネシア経済の70%を牛耳っている」という妬みから来ている憎悪。この数字が本当のことかは知らないけどインドネシア人たちはそう信じていた。

ドボンソロ号に乗っている時、少し離れたところに中華系の家族が肩身を狭くして乗っていた。彼らの方も、インドネシア人たちの間にポツンといるオレと一休さんを見つけて“同胞を救出”しようと思ったのか?男性の1人がコソコソと近づいてきて何かを話しかけてきた。

途端に、いつもオレらに親切にしてくれていた周りのインドネシア人たちが「彼らは日本人だ!中国人はどっか行け!」とシッシッと手で追い払い“守ろう”とするのを一休さんと二人で何も言えずに眺めていたのを覚えている。常に周りから罵声を浴びせられ、身を寄せ合うように乗っていた中華系家族の境遇をオレらはただ傍観していた。

正直、あの時の『正解』が今もよく分からない。

家族の中に、多分オレとあまり年齢が変わらない18才くらいの女の子がいてすごく可愛かったのを覚えているが、言葉の後に周りから下品な笑いが起こることから推測するに…周りの男たちから常に卑猥な言葉を投げかけられているようだった。

普通に考えれば、ドボンソロ号のエコノミークラスというクソみたいなところでインドネシア人たちと一緒になって乗っている彼らが経済の70%を牛耳れているわけがない。そもそも金を持ってたらとっくに国外退避しているだろうし、せめて3等以上に乗ってるだろ。貧乏な中華系だろうが、“中華系”というだけで一括りにされて憎悪の対象になるのだ。

荷物の量から見てその家族はジャカルタを脱出して避難しているようだったが、降りて行った場所は東ティモールのディリだった。その時はまだ誰も知らないが、数か月後に東ティモール紛争が勃発し多数の死傷者が出る場所だ。あの女の子はどうなったんだろ?

ドボンソロ号の上では周囲はオレらのことを日本人だと認識しているから中華系家族の境遇を第三者として傍観できたが、ジャカルタ市内を歩いている時は周囲はオレらのことを日本人だとは認識していない。

その途端、オレらも第三者から“当事者”になり憎悪の対象になるのだ。

しかも、多くの中華系はジャカルタ暴動以降に国外退避していたから東アジア顔は歩いているだけで目立っちゃうという…

デモ

大規模なデモが予定されている時は、いつもインドネシア人たちから忠告を受けていた。

明後日、大規模なデモがあるから宿から出ない方がいいよ

ちなみに、真っ赤な下地に黒の猛牛がトレードマークのメガワティ女史の支持者によるデモが多かったように感じていたが、それ以外にも政党ゴルカルの支持者によるデモも見たし、政党なのか何なのかよく分からない人たちのデモもあった。

デモには近づかないようにしていたが、小規模なデモはほぼ毎日行われていたので遭遇してしまうことがある。

遭遇して思ったのが、集団心理の怖さだ。

主義主張とか何もなさそうな頭悪さげな若者たちが、ただ“お祭り騒ぎ”を楽しみたいがために参加していると…そういう奴らが一番危ない。

一度、乗っていたバスが信号待ちをしていた時に、隣の車線がデモ隊の車列だったことがある。皆トラックの荷台に乗って「フォー!」とか「ウェーイ!」的なノリで騒いでいる若者たちがいたが、バスに乗っているオレらを見つけて彼らの顔色が明らかに変わった。

中華系発見!

どう考えても罵詈雑言を浴びせられていたオレらだけど、無視するしかない。ただ、騒いでいたのはデモの参加者全体じゃなく、ほんの一部なのだ。

ちなみにジャカルタにいた時はブロックMのゲームセンターに通ってずっとゲームをしてたんだけど、その日もいつものようにブロックMに向かっていた我々。

隣の車線にいたってことは行き先も同方向ってことで、どうやらデモの解散もブロックMの近くだったらしい。ゲームを終えて歩いていたら、見覚えのある奴が1人で歩いていた。

あれ?あいつ、来る時のバスで喧嘩売ってた奴じゃね?

一休さんと2人で後ろから「おいっ!」と声をかけると、振り向いた彼は驚いた表情を見せた後すぐに一目散に走って逃げて行った。こっちも「よく考えたら…あいつに仲間を呼ばれたらやべぇな」と、さっさと帰ったけど。

要は、個人だと好戦的じゃない人でも集団の中でいることでノリで好戦的になっちゃうのだ。しかも、そのほんの一部のやつらのせいで、何かをきっかけに騒動に発展したら最後…全体を巻き込んだ暴動になっちゃうのだろう。

スラウェシ島・マルク諸島

ジャカルタ暴動の時は約9000人の在インドネシア日本人も政府チャーター便などで国外退避したらしいけど、半年以上が経ってもまだまだ国全体に不穏な空気が流れていたのが印象深い。

未だに各地で散発的に暴動や略奪が起こっていて、正直オレは「このままだとインドネシアは分解するんじゃねーか?」とすら思ってたくらい激動の時代だった。

あの頃はスラウェシ島やマルク諸島がきな臭くなっていて、キリスト教徒とイスラーム教徒の衝突のニュース映像を見るかぎりでは内戦状態に突入したとしか思えなかった。特に99年初めから勃発したアンボン暴動は数千人の死者、数万人の難民が出た大規模なもので、マルク諸島の北部モロタイ島にあるとウワサの残留日本兵の村を探しに行けるような雰囲気にはなくて諦めた。

当時のアンボンのニュース映像アーカイブ。

普通にムリでしょ? 怖ぇーし。

投入された軍とか警察も中立じゃなくて、キリスト教徒とイスラーム教徒のそれぞれ自分と同じ側に肩入れしたからただただ暴動に拍車がかかっただけというね…

ちなみにモロタイ島に残留日本兵の村があるというウワサが本当だったのかどうかは分からない。ただ、戦後30年もフィリピンのルバング島で戦い続けていた小野田寛郎よりも後に“発見”されたのは、“最後の日本兵”こと台湾高砂義勇兵の日本名・中村輝夫で場所はモロタイ島だった。もしかしたら、その事実から派生したガセネタの可能性があるかも。

ボルネオ島

後に行くボルネオ島(カリマンタン)ではダヤック族とマドゥラ族の大規模な衝突が発生。

これは先住民であるダヤック族と他の島から移住してきたマドゥラ族との民族対立で、両者に3000人の死者を出したと言われているが、かつて首狩り族だったダヤック族がマドゥラ族の首を狩って心臓を喰らったというニュースは衝撃的だった。

ニュースでも「首狩り族復活!」とか煽ってたし。

まぁ、ダヤック族も昔は首狩り族だったからそういうこともしていたんだろうけど今はその風習がないから、単なる示威行動のパフォーマンスなんだけど与えたインパクトは大きかった。

今もDayak(ダヤック)とMadura(マドゥラ)で画像検索をかければ閲覧注意のグロ画像(狩ったマドゥラ族の首を高らかに掲げるダヤック族の写真)が出てくるが、そんな画像が当時のインドネシアの新聞か雑誌に掲載されて「ひぃ~!」となったのを覚えている。

ちなみにこの衝突のせいでボルネオ島にあるインドネシアとマレーシアの国境が封鎖され、当時島にいたオレは思いっきり影響を受けた。

なおボルネオ島はニューギニア島に次いで地球上で3番目に大きい島で日本の国土の1.9倍の大きさがあるので、同じ島だからどこも危険というわけではない。オレは危険と言われた中部カリマンタン州(特に州都パランカラヤ)を避けるように反時計回りで沿岸部を一周しているので衝突には一度も遭遇していない。

ジョグジャカルタ

さて、イリアンジャヤからジャカルタに戻ってきたオレと一休さんはジャワ島を横断して東に向かい、古都ジョグジャカルタに立ち寄った。

ところが行ってみると、有名な観光都市なのに観光客が全然いない!!

イリアンジャヤに誰もいなかったのは理解できるが、ジョグジャカルタさえも?

えっ?今インドネシアに旅行者はオレらしかいないの?!

ちょっと怖くなってきた。

世界遺産でもある仏教遺跡ボロブドゥール寺院も…

世界遺産でもあるヒンドゥー教遺跡プランバナン寺院群も…

ガラガラで貸し切り状態!!

オレと一休さんはここジョグジャカルタで別れた。彼はその後インドに行き、オレは1人でゆっくりとインドネシア各地を旅することにした。最後は「またどこかで会おう!」と握手して別れたけど、あれから二度と会っていないな…

1人になったオレは、その後もビザ更新のために出入国を繰り返してまでインドネシアに長く滞在した。

普通に旅するだけでも大変だったのになぜ?

一緒に写っているインドネシア人は異なれど同じような写真が何枚かあるのだが、どの写真でもダニ族には見せなかった満面の笑みで写るオレ。

これなんか、大して可愛くもないヒジャブっ子たちに、普段は絶対にやらないのに両肩に手をまわしちゃったりなんかして…気持ち悪ぅ~い、オレ。

でも、なんだかすごく楽しそうである。

というか、実際に色々と楽しかったらしい。

そうでもなきゃ、あんな時期のインドネシアに長くいるはずがない。

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