第18話に続く第19話。
前回はスロベニアで全財産を失くしかけた話。
今回はついにドイツに辿り着く話。
ようやくドイツが目前に!!
南アフリカから日本へ帰国中のオレが、ドイツにどうしても寄って行かないといけない理由があった。第1話で書いたのだが、よく知らないドイツ人(友だちの友だち)に荷物とお金が入ったスーツケースを南アフリカからドイツまで持って行ってもらっていて、そのスーツケースを引き取りにミュンヘンに行く必要があったのだ。
オーストリア
スロベニアでお世話になったモニカとアリョーシャに別れを告げ、首都リュブリャナから国際列車に乗り込んだ。
ザグレブ(クロアチア)発、リュブリャナ(スロベニア)経由、ザルツブルク(オーストリア)経由、ミュンヘン(ドイツ)行きの国際列車である。
終着駅は、目的地ミュンヘン。
そして、ザルツブルクで降りた。
もはや急いでドイツに行ったところで意味がない。「1か月後くらいには引き取りに行くから!」とケープタウンを発って、もう9カ月が経つ。今さら急いだところで一緒だ。
なんならドイツとの国境に接するザルツブルクから来た道を戻ってすらいる。
いつもその時の気分で行き先を決めるので、思い立って急に進路を変えることもある。
ザルツブルク同様に世界遺産になっているハルシュタットまで戻った。
ドイツ
オーストリアからドイツのミュンヘンに入った。
これを書きながら、オレのスーツケースを9カ月も預かっていてくれた人の名前を思い出そうとしたが、全く思い出せないし記録もない。そもそもが友だちだったわけでもないので、赤の他人と言えば赤の他人。
実は、どうやって受け取ったかもはっきりと覚えていない。
相手の住所を知らなかったのは間違いないので、たぶんメールで何回かやりとりをしたような気がする。それくらいしか連絡を取る手段はなかったはずだし。
うっすら覚えているのは…どこか地下鉄駅を指名されて、そこで待ち合わせして受け取ったはず。相手の顔は知らなくても、見覚えのある自分のスーツケースが目印になる。
「はい、あなたのスーツケース」と渡されて「ありがとう」と受け取ってさようなら。
相手も「おせーよ!」とか「1カ月で取りに来るって聞いてたのに全然来ないじゃん!」とか全くなく、オレもオレで「オー!マイスーツケース!」と狂喜乱舞していたら、もしかしたら肩を組んで飲みに行っていたかもしれないが、ずいぶんと素っ気なく受取が完了したのだけは覚えている。
赤の他人のままで終わり、スーツケースをきっかけに友だちになることはなかった。
ミュンヘン以降、オレは体の前後にそれぞれリュックを、片手にスーツケースを、もう片方の手には大きなチャイナバッグ(写真)を持って旅することになった。
Zoyetu, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
荷物の総重量は40kgを超え「日本に本帰国中であると同時にお引越し中」状態。
肩が千切れそうだし、ヨーロッパの石畳はスーツケースのコロコロ殺しだし、移動がとにかく苦痛でしかなくなった。
荷物が邪魔だっ!!スーツケースも邪魔。
ミュンヘンから日帰りでノイシュヴァンシュタイン城のあるフュッセンに行っている。
チェコ
預けていたスーツケースをドイツで受け取るという、この旅最大のミッションをクリアしてしまったが、なんとなくこのまま北を目指すことにした。
アフリカ大陸の南端からひたすら北へ北へやって来たのだ。
どうせなら、このまま北上を続けて北極圏に突っ込んでやろうか!
ミュンヘンから列車でチェコのプラハに入った。
この旅で訪れた国のビールラベル集めをしていたのだが、ドイツ、チェコと来てあまりの種類の多さに集めるのが大変になった。
毎日何種類も飲んでも追いつけない。コンプリートは諦めた。
プラハから南下して世界遺産チェスキー・クルムロフ。
端から端まで歩いて10分くらいの小さな町で、日中にバスでやって来る団体観光客が帰ってしまえばのんびり落ち着いた雰囲気のあるところだ。
ドイツのノイシュヴァンシュタイン城にも沢山いたが、チェスキー・クルムロフにもタイから来た団体観光客が多かった。
特に意識していたわけではなかったが、自然とタイ語が耳に入って来て反応してしまうのだ。
オーイ!スワイチャンル~イ!(わあ!すっごくキレイ!)
別にドイツやチェコに観光に来るのはどこの国の人だっていいのだが、久しぶりにタイ人に会ったことで“タイ人も認めるメジャー観光地”にようやくオレも来れたことをひしひしと感じていた。
タイ人に会ったのは実にアフリカのブルンジ以来だ。
ブジュンブラ市内を小銃を持って巡回している国連PKO部隊の兵士たちの軍服にタイ国旗のワッペンが貼られているを見つけたオレ。あわよくば仲良くなって装甲車に乗せてもらうか、PKOの宿営地に遊びに行きたい!という下心もあって話しかけた。
謎の東洋人にタイ語で話しかけられて警戒するタイ兵に「なんでブルンジにいるんだ?」と聞かれ、正直に「マーティアオ(遊びに来た、旅行に来た)」と答えたら明らかにドン引きされた。
タイ兵からしたら、長年内戦をやっていたアフリカのわけわからん国に武装解除の任を受けて国連平和維持軍としてやって来て、緊張しながら巡回していたらなぜか片言のタイ語を話す自称日本人が一人でフラッと現れて「遊びに来た」とか言ったら「は?」となるのもしょうがない。
まぁ、ブルンジで旅行者らしき人なんて誰一人として見かけなかったもんな…国中が文字通り軍服を着た兵士だらけ。ルワンダとの国境まで続く幹線道路沿いなんて数十mおきに兵士が立って厳戒態勢が敷かれていた。
結局タイ兵たちに怪しまれ過ぎて、装甲車に乗せてくれなかったし、宿営地にも連れて行ってくれなかった。
来た理由として「マーティアオ」が正解なのは、ブルンジなんかではなく、ノイシュヴァンシュタイン城やチェスキー・クルムロフだったんだ!と、久しぶりにタイ人を見て気が付いた。
再びオーストリア
チェコから2回目となるオーストリアに入り、首都ウィーンに行った。
スロバキア
オーストリアの首都ウィーンからスロバキアの首都ブラチスラバまではバスでたったの1時間。
ブラチスラバなんて大した町じゃなさそうだが、意外と開けていた。もちろんウィーンと比べると、小さくて田舎の首都という感じだが、郊外型ショッピングモールもあって住みやすそう。ウィーンに住みたい人も敢えてブラチスラバに住むのもありかもな。
ブラチスラバから北東に120kmほど行ったところに、トレンチーンという小さな町がある。ほとんど観光客もおらず、町も小さく、まったりできる町だった。
モンゴル軍に攻められたこともあるトレンチーン城。
ポーランド
スロバキアから列車を5回乗り継いでポーランドに入った。
ポーランド南部のクラクフに8日ほど滞在したのだが、アウシュビッツ(写真)に行った以外は特に何もしていない。
世界遺産第1号のヴァヴェル城はクラクフ市内にあるにもかかわらず見ていない。
なぜなら寒かったから!!
南半球にある南アフリカを1月に出発した時は夏だった。そこから基本的にTシャツで過ごしてきたが、11月のポーランドでついに雪が降り始めた。
朝起きたら、一夜にして窓の外が銀世界に様変わりしていた。
クラクフで冬支度を整え、さらに寒さの厳しくなる北へ、バルト三国を目指すことにした。
クラクフで買ったダウンジャケットは、半年後に灼熱のイランで道ですれ違った知らないおじさんに「いる?」とあげるまでオレを寒さからしのいでくれた。
なぜあのイラン人のおじさんは猛暑の中「いるいる!」と喜んで貰ってくれたのか?は謎だが、オレも邪魔だった荷物がひとつ減ってwin-winに。
仲良くなったポーランド人に車で送ってもらい、クラクフのバスターミナルから国際バスに乗り込んだ。
ローマ(イタリア)発ウィーン(オーストリア)経由ビリニュス(リトアニア)行きという、ヨーロッパを縦断するダブルデッカーバスだった。
首都ワルシャワには行っていない。
バスもワルシャワに途中停車することなく素通りして、スヴァウキ回廊を越えてバルト三国のひとつリトアニアの首都ビリニュスに入った。