第17話に続く第18話。
前回はバルカン半島を北上してきた話。
今回はスロベニアに2週間ほど滞在した話。
スロベニア
四国ほどの大きさの小さな国スロベニアは、西はイタリア、北はオーストリア、南はクロアチア、北東でハンガリーと接している。
イタリアやオーストリアと国境を接していることもあって、旧ユーゴスラビア構成国の中では一番垢抜けていて経済水準も高い。
首都はリュブリャナ。
ほんのちょっとアドリア海に面していて、47kmだけ海岸線を持っている。
そんな短い海岸線上には北から順にコペル、イゾラ、ピランと町があるが、それぞれ10kmほどしか離れていない。
これはイゾラ。海の向こうに見えているのはイタリアだ。
これは海に突き出たピラン。
行政的にはピラン市に属するポルトロシュという町に2週間弱滞在した。
名前は元々のイタリア語名のポルトロゼ(バラの港)から来ているそうだ。
南に10km走ればクロアチア、北に20km走ればイタリアで、買い物は首都リュブリャナに行くよりイタリアのトリエステに行った方が近いような町である。
スロベニア内陸部は別だが、沿岸部に住んでいる人は歴史的背景もあってスロベニア語とイタリア語、クロアチア語を話すトリリンガルが多い。沿岸部の町はイタリア語も公用語だ。
実は、ケニアのナイロビで知り合って仲良くなったスロベニア人カップルを頼ってやって来たのだ。
モンバサのビーチで強盗にパンガ刀で斬りつけられて入院していた彼ら。
彼女のモニカの自宅がポルトロシュにある2世帯住宅で、彼氏のアリョーシャと一緒に住んでいた。自分たちが住んでいない方の、玄関が違う2DKのお部屋はゲストルームになっていて、そこに滞在させてもらった。
2人とも旅が大好きで、1年の内で数カ月だけ働いてお金を貯め、残りは世界中を旅していた。
オレが行った時も2人とも働いていない!という素敵な状況だったため色々と連れて行ってもらった。
ユリアン・アルプス
「ユリアン・アルプスに行かなかったらスロベニアに来た意味がない!」と言うので、泊りがけでスロベニア北西部のユリアン・アルプスを越える小旅行に出かけた。
スロベニアの最高峰トリグラウ山(2864 m)を擁するユリアン・アルプスを、アリョーシャの運転する3万円で買ったというルノー車で越える。
通ったのは、ヴルシッチ峠。
ソチャ渓谷からユリアン・アルプスに入っていくと、ヘアピンカーブが50ほど連続する峠道になる。
トリグラウ山を回り込むように走る峠道の最高地点は1600m。
この峠道がロシア街道と呼ばれるのは、第一次世界大戦中の1915年にロシア人捕虜1万人が強制労働で作った道だから。当時のスロベニアはオーストリア=ハンガリー帝国領だった。
峠の途中には、道路工事に携わった捕虜たちが建てたロシア正教の礼拝所が今も残る。
ユリアン・アルプスを越えて麓のブレッドという町で一泊。
ここにはスロベニアで最も有名な観光地ブレジスコ湖(ブレッド湖)がある。
Arne Müseler / www.arne-mueseler.com, CC BY-SA 3.0 DE, via Wikimedia Commons
湖畔には小さな城があり、湖に浮かぶ島には中世に建てられた教会がある。
さて、バルカン半島を旅をする時にお世話になるのが「SOBE(部屋)」だ。
民泊のことで、観光地ともなるとバスターミナルや駅で客引きをしている。自分ん家のゲストルームの写真を見せて来ながら「いかに清潔で快適か」をアピールしてくるので、気に入ったら値段交渉をして付いて行くだけ。
コソボのプリシュティナでは大学教授の家に泊まったし、クロアチアのプリトヴィッツェではベランダ付2LDKを貸し切りで泊まった。
客引きをしていなくても、家に「SOBE」の張り紙がしてあれば民泊をしている証。コンコンとドアをノックして「泊めさせてくれ」と言えばいいだけなので、バルカン半島で寝る場所に困ることはない。
ブレッドでも、車で流しながらモニカとアリョーシャが「SOBE」の看板が出ている家を見ながら「ここが良さそう、あそこが良さそう」と言いながら今夜の泊まる場所を探す。
最終的に彼らが決めたのは、マリアンさんという猟師のおじいちゃんが一人暮らししている家。空いている何部屋かを貸し出していた。
全財産紛失
ユリアン・アルプスを巡る小旅行から帰って来て、すごいことに気がついてしまった。
オレのパスポートがないっ!!
いや…パスポートなんかどうでもいい。
米ドルの現金で持っていた全財産がないっ!!
途中でどこかに忘れてきたっぽい!
皆には「えっ?あまり海外旅行に慣れてない人?」と呆れられたが、今までに一度も強盗や盗難に遭ったことがないオレが“どこかに忘れてくる”という一番ダサい方法で全財産を失くした。
可能性としては…猟師のマリアンさん家だろう。
これまでの習慣的にパスポートや全財産を枕の下に入れて寝ていたオレ。起きている間に奪われるより、寝ている間に盗まれている方がきっとショックが大きいだろうという繊細なオレが生み出した用心深さゆえのアフリカから続く習慣だった。
枕の下の全財産を奪おうと思ったら、寝ているオレを起こさないといけない。
どうだっ!?これがオレのテクニックだ!!
マリアンさん家の枕の下に入れたまま忘れてきちゃうくらい鉄壁な防御テクニックだった可能性大。
モニカが確認のためにマリアンさんの家に電話をするが応答がなく、夜になって再び電話をしたら繋がった。
どうやら失くした本人より、マリアンおじいちゃんの方がパニックになっていたようだ。
「ヤポネツ(日本人)がうちの枕の下に全財産を置いてった!」
地元の警察に行ったものの紛失届も出ていないし、どうしたらいいのか困ってしまったマリアンおじいちゃん。
モニカの苗字が、ある地域に多く住んでいる特徴のある苗字らしく、それを覚えていたマリアンおじいちゃんはその地域に住むモニカと同じ苗字の家に電話をかけまくって探していたそうだ。
警察に紛失届が出ていなかったのは、本人が紛失したことにすら気付いていなかったからなんだ、おじいちゃん…
郵送してもらうという話もあったが、日本人的には直接会ってお礼を言うべきだろうということで一人ブレッドに取りに行くことにした。
これも日本人的な感覚で「フルーツ詰め合わせみたいな手土産を持っていた方がいいかな?」と聞くと、モニカもアリョーシャも口をそろえて「必要ない」と言う。
マリアンおじいちゃんの年代の人は絶対に受け取らないだろうし、そういう習慣がないから持っていかない方がいいと。
数日後、ポルトロシュから首都リュブリャナまで仕事で行くというモニカの友だちの車に乗せてもらって一人ブレッドに行く。
小さい国で助かった…と思ったのは、ポルトロシュからリュブリャナまでは高速道路で1時間。リュブリャナからブレッドまでバスで1時間の距離で、片道2時間しかかからなかったこと。
手ぶらでマリアンおじいちゃんの家を訪ると「私は開けていないので中身を確認してくれ」とパスポートを含む全財産が戻ってきた。
この旅で唯一数日間だけ無一文になった話である。
イタリア
実は、ここだけの話…パスポートがあると国境を越えて外国に行ける。
ポルトロシュからクロアチアとの国境までは車で10分もかからないので、パスポートが戻ってきたオレはイストリア半島に日帰りで行っている。
イタリアのベネツィアにも日帰りで行った。
そう、オレは「イタリアに2回も行ったことがある」のは事実だが、2回とも日帰りでしか行ったことがない人である。
ポルトロシュからイタリアのトリエステまでは車で30分、トリエステからベネツィアまでは電車に乗れば2時間だ。
イタリアはトリエステとベネツィア以外を知らない。
まぁ、エチオピアでピアッサ(ピアッザ)にもマルカート(メルカート)にも行ってるし、マキアートも飲んでるし、別れ際には「チャオ」って言ってたし、ダルッダルのスパゲッティも食ってたし、あれだけエチオピアにいればイタリアを満喫したに等しいでしょ?ってことで良しとしている。
イタリアって要するにインジェラがないエチオピアでしょ?違うの?