南アから日本に帰る【17】バルカン

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第16話に続く第17話。

前回は地中海沿いにヨーロッパに入った話。

今回はバルカン半島を北上して行く話。

アルバニアから旧ユーゴスラビア構成国に入ってマケドニア→コソボ→モンテネグロ→ボスニア・ヘルツェゴヴィナ→クロアチア→スロベニアと北上した。

旧ユーゴスラビア構成国の中でセルビアだけは4カ月後に行く。

アルバニア

アルバニアを「ヨーロッパの秘境」と形容していたりするのを偶に見るが…

「秘境」と「親日国」というワードは頭悪さげなので自分では好んで使わない。

そもそも道が通っていて車で行ける時点で秘境ではないから(※オレ定義)、アフリカですら秘境と呼べる場所なんてほとんどない。某テレビ局がエチオピアのオモ渓谷を「地球最後の秘境」と形容していたが、そんなわけがない。あそこは車で行けるし誰でも手ぶらでも回れる。

舗装道路で隣国と接続しているアルバニアが秘境なわけがないが…ヨーロッパで一番地味な国(※オレ調べ)ではある。

いや、モルドバといい勝負か?

アルバニアの場合、1990年代まで鎖国していたせいもあるかもしれない。

しかも開国した直後にネズミ講が大流行して、その結果アルバニア国民の多くが全財産を失うという…とんでもない経験をしてきた国だ。

ネズミ講は破綻に近づくにつれ、月利10%→月利30%→月利50%(2カ月で元金が倍)と高利回りを謳って金集めに走り、アルバニア国民の3分の2が自宅を売ったり家畜を売ったりしてネズミ講に金を突っ込み…そして破綻した。(IMF:The Rise and Fall of Albania’s Pyramid Schemes

その瞬間、国中に悲鳴に近いオボボ!がこだましたのは確実だろう。

いや…さすがに全財産を失ったレベルになるとオボボでは足りないな。

ウブブ!!

乗っていたバスが爆発しそうになってもオボボ止まりだったオレ未体験のウブブが国中から聞こえていたのは間違いない。

鎖国もネズミ講も過去の話だが、要するに素朴で人懐っこい人たちが住む田舎、それがアルバニア。

首都ティラナの中心スカンデルベグ広場。

巨大なモザイク壁画が正面に掲げられた国立歴史博物館も広場に面している。

国立歴史博物館にはマザーテレサのパビリオンも常設されているっぽい。中に入っていないから見てないけど。

マザーテレサは民族的にはアルバニア人。

マケドニア

アルバニアからバスでマケドニアに入った。

ギリシャとの長年にわたる呼称問題が決着して2019年から『北マケドニア』に国名変更しているが、オレが行った時はただの『マケドニア』を自称していた。

ざっくり言えば、アレクサンドロス大王のギリシャ系古代マケドニア王国と、現在のスラヴ系北マケドニア共和国に繋がりはない。ただのマケドニアだと、古代マケドニア王国の後継国みたいに思われるって話。

マケドニア随一の見どころは、世界遺産のオフリド湖。

湖畔のオフリド旧市街は坂だらけ&石畳で散歩はしんどい。

たぶんマケドニアで最も有名な景色が、このオフリド湖畔に建つ聖ヨハネ・カネヨ教会。

コソボ

マケドニアの首都スコピエから、バスでコソボに入った。

コソボの地位が曖昧だった時期なので、当時のコソボは国連コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)の管理下にあり、“入国”というよりUNMIK管理下コソボへの“入域”なのでオレのパスポートにはUNMIKのスタンプが押された。

「強盗や窃盗事件が頻発しており旅行者が訪れるような状態ではない」とか「未だ沢山の地雷が埋まっている」とか書かれているガイドブックを、コソボに来ちゃってから読んで・・・

こ、こえーっ!となった。

ガイドブックって行く前に読んだ方がいいっぽい。

当時州都、現首都のプリシュティナは雰囲気は落ち着いていて、高級車が走り、若者たちはオシャレをして夜の町に繰り出していて、至って普通の町だった。

ただ…気になることと言えば、道路標識がかなり特殊だったこと。

これはプリシュティナ市内に入る直前の幹線道路沿いに立っていた道路標識。

トラックと戦車の速度制限が一緒だ。道路標識を立てるくらい戦車がたくさん走っているのか?と言えば、戦車は一度も見てない。ただ軍用車両はやたらと走っていたので、デザイン上は戦車だけど軍用車両全般に対しての速度制限かもしれん。

あとは、「バスステーション」と書かれた標識にはアルバニア語とセルビア語が併記されているが、セルビア語はペンキで消されていた。

あとは、「ここはアルバニアか?」ってくらいコソボ中にアルバニア国旗がはためていたのも印象的だった。

セルビアの一自治州だったコソボで、アルバニア系住民たちが一方的に独立を宣言して今の『コソボ共和国』があるわけだが、あの景色だけ見たら「コソボっていうか、もはやアルバニアじゃん!」と思うのはオレだけじゃないはず。

今はくすぶっている大アルバニア主義がいつ燃え上がるか?は誰にも分からない。偶にチロチロっと火を見せる時があるが、もしかしたら燃え上がらないかもしれない。でも「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるバルカン半島の火種であることは間違いない。

ちなみに…2024年現在のJ1鹿島アントラーズの監督はコソボ生まれのセルビア人。

彼が生まれ故郷に里帰りするのは難しい。

プリシュティナ以外では中世の街並みが残るという古都プリズレンに行っている。

行ってはいるのだが…「え?どこが中世の街並みなの?」と見どころを見つけられずに帰って来ている。

Embed from Getty Images

こんな景色は見ていないんですけど!!

モンテネグロ

首都ポドゴリツァからバスに乗りアドリア海に出た。

バルカン半島はアドリア海沿いを国境をまたぎながら自分でドライブしたら楽しそうである。

コトル湾はリアス式海岸になっていて、背後にはディナル・アルプスの険しい山々が迫っている。少し北上してクロアチアに入ると山々も丸みを帯びてくるので、ゴツゴツとした山々が海岸線まで迫る景色は“モンテネグロらしい”かと。

そんなコトル湾にあるのが、世界遺産コトル。

中世はヴェネツィアの支配下にあった天然の良港だ。

背後の山にはオスマン帝国の侵入を防ぐために張り巡らされた城壁があり、城壁まで山を登ればコトル旧市街を見下ろせる。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ

ボスニア・ヘルツェゴヴィナは美しい国だ。

当然訪れる季節にもよるだろうが、オレが行った時は緑が溢れる山々の間を碧色の川が流れるのどかな景色が続いていた。

ただ、当時はバルカン半島の中で最も戦争の痕跡が残っている国でもあった。

首都サラエボに残る古い建物には必ずと言っていいくらい弾痕が残っていたが、これは時間の経過と共にやがて消えゆくかと。

戦争の暗い過去を求める観光客のニーズを満たすため、ボスニア・ヘルツェゴビナのダークツーリズム市場は拡大しているっぽい。

2016年に疑似戦争体験ができるその名も『ウォー(戦争)ホステル』という名前のホステルがサラエボに開業したらしいが、理由は不明だがすでに営業を停止している。

宿泊客がホステルに到着すると軍服姿のオーナーが出迎えてくれ、戦時中の父親のコードネームである「ゼロワン」と呼ぶよう求められる。 背後では砲撃音や銃声などの戦争音が絶え間なく流れている。 床は泥で、ベッドはマットレスのない木製の台で当然枕やシーツはなく、部屋にはスモークがたかれている。 ホステルには明かりも窓もなく、宿泊客には電池の切れた古い懐中電灯が配られ、滞在の大半を暗闇の中で過ごすことになる…という、全く落ち着けないことが売りのホステルだったようだ。

オレが行った時は『ウォーホステル』は存在していなかったが、別の意味でウォーホステルのようなところに泊まった。通常1泊10ユーロだが、若い1人旅の男は場合によっては5ユーロで1泊2食付きという恐ろしいほど破格の値段になる。“場合によっては”というのは、オーナー女性の「お眼鏡にかなったら」という条件付きの話だから。オーナーは26~32才を自称しているが、どこからどうみてもお婆ちゃん寄りのおばちゃん。このご時世なのでオブラートに包んで言うと、美魔女から美を取ったような見た目をしている。破格の値段で泊まってしまった(=条件をクリアした)男性旅行者は夜中に布団の中に薄着のお婆ちゃんが潜り込んでくる。

偶にいる「お年を召してから性欲が爆発した」タイプなのか何なのか知らんが…

これぞある意味ウォーホステルであり、真のダークツーリズム!!

耳たぶをお婆ちゃんに甘噛みされて目が覚めて戦慄したという宿泊客は直接知っているが、お婆ちゃんとやってしまったという人は噂レベルでは聞いたことがあるがさすがに直接は知らない。戦争と同じで心に傷を負うことは必至だろう。

まだご健在なんだろか?と、ちょっとだけ気になる。

写真はサラエボ旧市街の中心バシュチャルシヤ。

クロアチア

バルカン半島で最も旅行者にポピュラーな国と言っても過言ではないクロアチア。

特に有名なのが「アドリア海の真珠」ドゥブロヴニクだろう。

城壁に三方を囲まれた旧市街は非常に雰囲気が良く居心地も良かった。

首都ザグレブから南に100kmほど南に下ったところにあるのが、世界遺産でもあるプリトヴィッツェ湖群国立公園。

エメラルドグリーンの水が流れる滝と湖がたくさんある。

クロアチアの北には、アドリア海に突き出たイストリア半島がある。

ウマグ、ポレチュ(世界遺産)、プーラと中世の街並みを残す町は沢山あるが、個人的に一番好きなのはロヴィニ旧市街。

小さな島(実際は陸と繋がってる)にギュッと凝縮されていて、雰囲気が良かった。

生活感が溢れるロヴィニをブラブラしていたら夜になった。

歴史的な繋がりから、ロヴィニにはイタリア人コミュニティがあって町の公用語もクロアチア語とイタリア語だそうだ。

スロベニア

あとはオーストリアさえ通ればドイツに着く!!

ドイツを目前にして気が緩んでしまい、スロベニアで2週間ほど足踏み状態に。

そんなスロベニアは次回。

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コメント

  1. 匿名 より:

    10年くらい前から拝見してますが、ここ最近(※オレ定義)とか「このご時世なので」なんて守りに入っちゃってどうされたんですか。あれだけ尖っていたゆずさんもさすがに丸くなられましたか。

    • より:

      残念ながら、今までの人生で尖っていたことがありません。
      常に時代に迎合し、犬のように尻尾を振って生きてきたので周りからは「角がないトゥルントゥルン」な男として評価されています。
      10年前と同じならそれはそれで痛いので、より丸みに磨きをかけているところです。