第19話に続く第20話。
前回は中欧を北上した話。
今回はバルト海に沿って北上を続けてロシアに入る話。
ロシアがウクライナに侵攻している最近の情勢以前の、あくまで昔の話。
バルト三国の首都はそれぞれ旧市街が世界遺産になっていて雰囲気も違う。
リトアニア
ポーランド南部のクラクフから国際バスでリトアニアの首都ビリニュスに入った。
今ではこんなに小さい国になってしまったが、かつては現在のベラルーシやウクライナの大部分を支配する広大な領土を持つリトアニア大公国の首都だったビリニュス。
夜明けの門は唯一残っている旧市街の門。
門の外側は敵からの攻撃に備えて大砲用の穴が複数開いているが、内側はビリニュスを旅立つ人を祝福する礼拝所になっている。
写真は日曜日のミサの様子。門の2階の窓から神父が外に向かって説教しているので、信者たちで混んで夜明けの門は通りにくくなる。
他にも教会が沢山あり、信心深い人が多いのか?町は日曜礼拝に向かう人で溢れていた。
120年近い歴史を持つハレス市場の肉売り場。
ラトビア
リトアニアの首都ビリニュスからラトビアの首都リガまでは、バスでたった5時間半。
意外だったのだが、ビリニュスよりリガの方が都会で垢抜けていた。
そのうえ、旧市街の雰囲気も好き。ビリニュスで「おぉいい感じ!」と思ったが、リガに来て「もっといい感じかも!」と思い、この後にタリンに行って「一番いい感じかも!」となった。
ビリニュス(リトアニア)→リガ(ラトビア)→タリン(エストニア)と、南から北に行くほど物価も上がってゆき、都会度も増してゆく(北欧資本の進出が目立つ)し、個人的には旧市街の雰囲気も良くなっていった。
実際にバルト三国に行くまでは逆だと思ってた。
ドイツ騎士団が領有していた歴史もあって、リガ旧市街は「ドイツよりドイツらしい」街らしい。
ドイツらしい街っていうのがどういう街並みを指すのかよく分からないので「へ~、ドイツよりドイツらしいんだぁ~」と素直に思っていたのだが、リガは『バルトのパリ』とも呼ばれているらしい。
どっちだよ?!
ドイツなんか?フランスなんか?
大体、『○○のパリ』とか『○○のヴェニス』とか形容している場合はほとんどが無理やり感が強すぎて似ても似つかないから信用しない方がいい。
ちなみに、オレは『アフリカのスイス』として知られるウガンダのブニョニ湖に行っている。
なにをもってスイスなんですか?とは思った。
リガが「ドイツよりドイツらしい」のか「バルトのパリ」なのか知らんが、リガはリガであって他の地名を使って形容しなくていい。
リガ市内にある自由の記念碑では、昼の間は毎時00分に儀仗隊の交代式が行われている。
銃の代わりに木の枝を持った子供が交代式に飛び入り参加していた。
エストニア
エリトリアと間違えそうになる国、それがエストニア。
エリトリアはアフリカの独裁国家、エストニアは世界最先端のIT国家で、全くもって違う国だが名前が似ていてややこしい…
ビリニュスやリガと違い、タリンの場合は城壁が残っているのではっきり「ここから旧市街です」というのが分かりやすい。
歴史的価値のある建物が多いのはリガ旧市街らしいが、個人的にはタリンにはクロアチアのドゥブロヴニク以来の雰囲気の良さを感じた。
結局のところ、ビリニュス、リガ、タリンは人によって好みが分かれそう。
フィンランド
エストニアのタリンからフェリーに乗ってフィンランドの首都ヘルシンキに上陸した。
タリン⇔ヘルシンキの船は安くて速い。水中翼船だとたったの1時間40分だ。
この旅で3回目となる船での国境越えになった。
最初のジブチからイエメンまで乗った木造貨物船アル・ナスル号から段々とグレードアップしてゆき、エジプト⇔ヨルダンのカーフェリーを経て、今回乗ったカーフェリーは船内にスロットマシーンが並ぶ大きな船だった。
北欧と言えば物価高。フィンランドの消費税も25.5%(2024年9月時点)と世界的にみても高いが、国際フェリー内は免税なので乗客たちがビールやウイスキーなどを大量買いしていたのが印象的だった。
ヘルシンキ市内。
過去を振り返って「ああしておけばよかった、こうしておけばよかった」と後悔することはほとんどないが、この旅でほぼ唯一の後悔らしい後悔は北極圏まで足を伸ばさなかったこと。
当時、行くかどうしようか迷っていたルートが…
首都ヘルシンキからフィンランド国内を1100kmほど陸路で北上して北極圏のイヴァロ(北緯68度39分)まで行き、イヴァロからバスで国境を越えて北極圏最大の都市であるロシアのムルマンスク(北緯68度58分)へ。ムルマンスクからロシア国内を1300kmほど陸路で南下してサンクトペテルブルクに入るというもの。
直行バスに乗ればたったの8時間ほどで行けるヘルシンキからサンクトペテルブルクを、北極圏経由で2700kmも遠回りして行こうとしていた。
ただ…冬の北極圏はオーロラやスキーのために来る観光客が増えてハイシーズンに突入しており、宿代が上がって旅費がかなりかかりそうだったことが一番の問題だった。
もうひとつがオレの荷物の多さ。
悩みに悩んだ末に、遠回りして北極圏には行かず大人しくヘルシンキからサンクトペテルブルクまで最短ルートの直行バスで行った。
今となっては多少ムリをしてでも北極圏に行っておけばよかったな、とは思っている。
旅費の高さが諦めた最大の理由だが、改めて日本からイヴァロやムルマンスクに行く費用と比較してしまえば安い。日本からわざわざ行くことはないだろうから、あの時にムリしてでも行くことが最も安く行ける方法だった。
あとは…アフリカ最南端から北極圏まで行っていた方が“北上したった”感は強い。
この旅での最北到達地点はフィンランドのヘルシンキである。
ロシア
ヘルシンキからロシア第二の都市サンクトペテルブルクに入った。
ロンドンにも、パリにも、ローマにも、ベルリンにも行ったことがないので自分では比較が出来ないが、もしかしたらサンクトペテルブルクはそれらと比較しても負けず劣らずのすごい都市なのでは…とは来た早々に思った。
ピョートル大帝が建設したロシア帝国の首都として栄華を極めただけあって、重厚感あるデカい建物が沢山あって威圧感がすごい。ウィーンも建物がデカかったけどサンクトペテルブルグの方が雰囲気があって、プラハにも負けず劣らずの風格と雰囲気がある。
思っていたより遥かにすごい都市だった。
玉ねぎドームがロシアっぽい血の上の救世主教会。
鐘楼の外壁は教会建設のために寄付をしたロシアの都市や州の紋章で覆われている。
現在、女帝エカチェリーナの膨大な美術コレクションを公開しているエルミタージュ美術館として使われているのは冬宮殿。
下手したらウィーンのシェーンブルン宮殿よりすごいかもしれん。
大理石に、金に、贅の限りを尽くした豪華さ。
ヨルダン階段はロシア皇帝に謁見する時に玉座の間へ行くために使った階段だそうが、もはや謁見する前に階段で土下座しちゃいそうである。
他に、壁も天井も金で覆われた逆金閣寺みたいな黄金の客間もある。
そんな豪華な宮殿にはルノアール、ゴーギャン、モネ、ゴッホ、ピカソ、レオナルド・ダ・ヴィンチなどなどオレでも知ってる画家の絵がずらっと。
ロープも柵もないからパンチしようと思えば簡単に出来るし、ロダンの彫刻に飛び蹴りしようと思えば100%成功する。
宿泊客
サンクトペテルブルクでは4人部屋に1週間泊まったのだが、色々な人と相部屋になった。
ただ、自分と同じような旅行者とはひとりも会っていない。
まず、ケニアのナイロビから来た女の子2人。
なんでもツーリズムを学びに留学で来たと言う。
ツーリズム?!
ロシアから学ぶことなど何もなさそうだが、ロシアの奨学金を使った留学プログラムしか選択肢がなかったのだろうか。いかに無愛想に客対応できるかを学ぶのか?
次は、ロシア人の女の子2人。
彼女たちが流した音楽が平井堅だったのでビックリして聞いてみると、1人は日本語を少し話せた。これから2人で山口の宇部に“ダンサー”として行って働く予定だと言う。日本語を話す子はこれが2回目、もう1人はこれが初めての日本らしい。
宇部?!
なぜそんなところに?とは思ったが、オレが知らないだけで実は宇部はバレエが盛んな地なのかも知れない。もしくは興行ビザの関係上、ダンサー設定の踊るホステスか。
何ダンスを専門としているか?はあえて聞かなかった。
その次は、モルドバ人の20代の兄妹。
お兄ちゃんも良い人だったが、妹からもモルドバのお金をもらったり、モルドバ語(=ルーマニア語)を教えてもらったり、ブレスレットをプレゼントされたりと、すごく優しかった。
ちなみに…2人は毎日夜9時過ぎになると一緒にお出かけをし、帰ってくるのは決まって深夜遅く。偶に早く帰ってくることもある。
お出かけする時の妹のメイクと格好を見て、伊達に性なる都バンコクに長年住んでいたわけではないオレはピンときた。
体を売っとるな…
お兄ちゃんは妹専属のポン引きだろう。モルドバからロシアまで出稼ぎに来ていると思われた。
同じ部屋ではないが、いつも部屋を開けっ放しにしているロシア人のおっさん3人組がいた。
いつもおっさんたちの部屋の前を通る度に声を掛けられていたのだが、ある夜「一緒に飲もう」と部屋飲みに誘われた。
3人は警察官だと言う。仕事で各地からサンクトペテルブルグに集まったらしいが、1人はマガダンという恐ろしく遠いところから来ていた。シベリア流刑の拠点だった極東の町で、国内線なのに8時間もかかったと言っていた。
「真珠湾攻撃ベリーグッド!!」
別にオレが立案・参加したわけでもないのだが、なぜか日本人を代表して真珠湾攻撃を褒められた。
3人ともアメリカが大嫌いだと言う。
南ア時代の同級生にロシア人がいて彼女もまたそうだったのだが、ロシアは世界で一番大きい国であり、かつてはアメリカと張り合った大国(ソ連)、東側陣営の盟主だったという自尊心と、ソ連崩壊以降に色々な意味で落ちぶれたロシアの現状に挟まれて若干こじらせているタイプかもしれん。
アメリカに対する感情も、ライバル意識と同時に嫉妬が混ざった歪んだ大国意識の反動のような気がした。そんなこじらせロシア人の代表格がプーチンだろう。彼もまた“強いロシア”の再興を掲げ、国民もそんな彼に夢を託した結果が今だ。
3人のうちで一番年長のおっさんがいて、田舎で畑を耕していそうな極々普通のおっさんだったが、実は自他共に認める『狙撃のプロ』で他の2人から「彼はヒーローなんだ!」ともてはやされていた。
最年長おっさんは過去にアンゴラ内戦、アフガニスタン侵攻、チェチェン紛争に参加したことがあるらしく「今までに11人のアメリカ兵を殺したことがある」というのがヒーローたる理由だった。
アンゴラ内戦もアフガニスタン侵攻も冷戦下での戦争とはいえ、アメリカは軍事顧問団の派遣はしていただろうが狙撃されるくらい前線で戦う戦闘部隊の派兵はしていないと思うが…
かなり信憑性に疑念はあるが、いずれにしても11人のアメリカ人を殺した実績でヒーロー扱いされていた。
今は組織犯罪対策の部局にいて、マフィアなど45人を狙撃したと言っていた。
オレも酒は強い方だと思っていたが、ロシア人との飲み会を経て考えを改めた。
飲むのはウォッカ一択。
『水』を意味する単語вода(ヴォダ)をかわいらしくしてводка(ヴォートカ=お水ちゃん)なので、要するにほぼほぼ水みたいなかわいい飲み物である。
グラスになみなみと注がれ、その場の最年長者(この時はスナイパーおっさん)がグラスを持ち上げたら、全員でグラスを持ち上げる。
最年長者が「ロシアと日本の友情に乾杯!」とか口上を述べたら、一気飲み。
チビチビとか半分だけとかダメで、絶対に一気飲み。
一気飲みしてグラスが空いたら、また勝手に注がれる。
一番酔うのは自分のペースで飲めないこと。最年長者がグラスを持ち上げて口上を述べ出したら合わさざるを得ないので、スナイパーおっさんペースで飲む羽目になる。
4人でウォッカのボトルを3本空け、4本目に入ったところで立ち上がってトイレに行こうとしたオレは膝から崩れ落ちた。
酔いが足から来たのは初めての経験だった。
トイレでエチオピアのインジェラの味を思い出した後、ギブアップした。