前回の『エチオピアの戦争にある背景』に追加して、もう一つの側面を。
この側面から見れば、ティグレ防衛軍(TDF)と軍事同盟を結んだオロモ解放軍(OLA)がなぜ同じ民族なのにアビィ首相と敵対しているのか?理由が理解できるかと。
いちおう、先に断っておくけどエチオピアの専門家でも何でもないので、これは「あぁ、この人はこういう認識なのね」程度に読むべきもの。
エチオピアを悩ます『民族主義』対『汎エチオピア主義』の二極化問題。
民族主義のTPLFと、汎エチオピア主義のアビィ首相の構図で見る戦争。
民族主義
まずは過去30年、TPLFの主導下でエチオピアを形作ってきた『民族主義』。
民族それぞれが自分たちの意思で色々決めて行こう!的な民族自決を強力に進めてきたのが今のエチオピア。
民族連邦制の下で強力な権限を持った各民族の州があって、州には「エチオピアから独立する自己決定の無条件の権利」(エチオピア1995年憲法第39条第一項)も付与されているという…けっこう特殊な国。
これはこれで良いことのように思えるんだけど、なかなかそう簡単な話じゃない。
両手で数えられるくらいの民族だったらまだしも…
エチオピアには80だか85だか知らんが、とんでもない数の民族がいる超多民族国家。
各州が自分たちの民族名を冠している中、『南部諸民族州』というなかなか雑な名前の州があるのもそれだけ民族のるつぼと化しているから。
2020年、民族自決の旗印の下でシダマ人が南部諸民族州から分離してシダマ州が出来た。
さらにオモ語系を話す民族だけで別な州も…的な話が出てて、80だか85だかの民族がみな自決権を追求すると副作用として大混乱は必至。
しかも隣人同士で仲が悪かったり、見下していたりしたらなおのこと。
『The Politics of Ethnicity in Ethiopia: Actors, Power and Mobilisation Under Ethnic Federalism』(2011)という本に、南部諸民族州に住むウォライタの長老へのインタビューが載っている。
我々ウォライタはシダマとは絶対に結婚したくない。我々は今までずっと、そして今も、シダマをしもべとして見てきた。シダマの女がミルクを売りに来て去った後、女が座っていた(座布団的な)葉は捨てる。シダマの臭いが付いて穢れている。
ちなみに…逆にシダマもウォライタを見下していて、お互い見下し合っているとのこと。
こういう状況下で下手に民族主義が高まると危険で、実際に今の南部諸民族州は崩壊の危機。
あとは、そもそも民族って何?!という話も。
その点、故パウゼヴァング氏の書いた『The Two-Faced Amhara Identity』は興味深い。
民族とは、血統や人種ではなく文化的アイデンティティであって、生物学的カテゴリーではなく主観的カテゴリーだと。
現在の“オロモ人”が持っている民族アイデンティティは1960年代の発明であって、それまではほとんどのオロモ人は自己をアルシもしくはボロナとして認識していたとか…
職業マイノリティも“民族”になる。
いわゆる日本の穢多非人と同じで、皮革業(皮なめし)やカバを狩猟している(カバ肉を食ってる)と…例え同じ民族であってもワッタとかフーガとかハディチョとか呼ばれて別の民族扱いされると。
あの狂暴なカバを狩ってたら普通は勇者扱いだろ?とオレは思うが、扱い的には『奴隷』のひとつ上の位置(昔のカーストの名残)。
つまり、これは純粋な生物学的人種の違いはないのに異なる民族として認識されてしまう一例だと。
実際に、シダマの中の職業マイノリティが自分たちの民族名をシダマ・ハディチョとして民族自決権を要求している。
とまぁ…細かいことを言い出すと限がないんだけど、『民族』というもの自体のくくりがゆるゆるガバガバだし、民族自決は難しいもの。
1991年以降、ティグレ人民解放戦線(TPLF)を中心にエチオピアは『民族主義』にもとづいた国づくりをしてきて早30年。
非常に矛盾しているんだけど、強権的なメレス首相(TPLF)が各民族の不満を力でねじ伏せていた時は今のような混乱はなかったと。力でねじ伏せてきた時点で民族自決権はどこに?ってなるんだけど。
そのメレスが死んで、抑え込まれていた民族主義が爆発しているのが今。
汎エチオピア主義
汎エチオピア主義というか、統一主義というか、「エチオピアはひとつ」的な。
これだけ聞くと全然良いことのように思えるんだけど、なかなかそう簡単な話じゃない。
「エチオピアの公用語はアムハラ語でしょ?」と考える人が多いのがいい例。
エチオピア帝国の700年の歴史の中で、支配者側であるアムハラ人と被支配者側である諸民族という構図が作り上げられちゃったこともあって、どうしても“エチオピア代表”はアムハラである的になっちゃうと。
わずか47年前までエチオピア帝国だったわけで、それまでは高等教育を受けるにも、役所や軍で出世するにも、アムハラ語が出来ないとムリ!とか、700年続いた構造の名残で諸民族と比べて相対的にアムハラが優位なのは事実。
ようするに…反対の立場のエチオピア人からすれば「汎エチオピア主義って、つまり全エチオピアのアムハラ化だろ?」みたいな受け止め方をしちゃう。
上述のパウゼヴァング氏の『The Two-Faced Amhara Identity』にも書いてあるが、『アムハラ』と言っても血統や人種を指す場合と、帝国時代に文化や言語で同化してアムハラ化した他民族の場合とあるけど…
民族主義的には全部ひっくるめて「アムハラ人がっ!!」となっちゃう。
民族主義の権化みたいになったTPLFを殲滅させようとしているアビィ首相だが…
抑えが外れて民族主義が爆上がりしているオロモ人の中には「あいつはアムハラのエリートたちと結託してアムハラ膨張主義に加担する民族の裏切り者」と捉えちゃう人もいると。
実際にそうなのか?は別。
しかも、アビィ首相に呼応してアムハラ州が全力でティグレ州に攻め込んだりしてるもんだから、そう受け止められても致し方のない状況ではある。
オロモ解放軍(OLA)が、ティグレ防衛軍(TDF)と軍事同盟を結んだのは、「アムハラ膨張主義に染まった裏切り者アビィ首相と戦って民族自決権を守る!」的な理由であって、決して“ティグレ州のために”共闘してるわけではないはず。
まぁ…己のアイデンティティを民族(エスニック)に持つか?国家(ナショナル)に持つか?というところは数年そこらの話で解決する問題でもないだろうしな。
宗教も絡んで来たりすると、もっと面倒くさいぞ。
最後は、エチオピア・レゲエ界の大御所ラス・ヨハンネス(白いキャップを被った人)と、彼の嫁エルサレム、ドレッドのDJ Kamの曲で、その名も『エチオピア』。
エチオーピア~♪
彼らラスタファリが(ボブ・マーリーも含めて)、現人神として崇めていたエチオピア帝国の最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世が殺された後、思想がどう変化したのか知らんが…
この前SNSを見たら、ハイレ・セラシエ生誕129周年を祝ってたから未だに神なんだろか?
肉体は死んでもハイレ・セラシエの魂は生き続けている的な?