前回のブログで、当時のミャンマー軍事政権が1996年を『観光年』とすることを宣言。それに対してアウンサンスーチー女史をはじめとする民主化運動では「ミャンマーに来ないで」とボイコット運動をしていたと書いたが…
どんな感じだったのか?軽く調べてみた。
- ニューヨークタイムズ紙アーカイブ『Weighing The Ethics Of a Trip』
- ビルマ・キャンペーンUK『DON’T VISIT BURMA YEAR 1996』
要するに…軍事政権が“開かれたミャンマー”をアピールするために観光客を大々的に迎え入れる『Visit Myanmar Year 1996』を計画。
ヤンゴンに高級ホテルを建設したり道路建設をしたりと観光客を迎えるための開発プロジェクトが進められ、強制労働や立ち退き(補償なし)があったと。
一例として首都ヤンゴンのミャンマーゴルフクラブは、もともとそこに住んでいた住民たちのせいで開発が思うように進まなかったから、反対する各家から家族一人を刑務所送りにしてやって、残りの家族を25km離れた場所に強制移住させたとか。
国連人権委員会ミャンマー担当の横田洋三氏は95年の現地調査で「バガン遺跡のような観光地の整備のために強制労働が使われている」と報告しているとか。
「旅行者がミャンマーにお金を落とすことで誰かの生計の足しになる」という主張に対しては、アウンサンスーチー女史は「観光客が落とすお金の主な受益者は将軍、外国のホテル所有者、そして観光産業の比較的裕福な労働者だけ」と反論。
当初は1996年の1年間で50万人の観光客誘致を目標にしていたのが、期間を延長して、さらに目標も25万人に下方修正したものの、外貨獲得1億USドルの目標も含めて結果的に大失敗だった模様。
ちなみに、当時のオレはこういう状況を知ったうえで行ったかどうか?という点にかんして言えば、全然知らなかった。
言い訳としては「だってまだ高校3年生だったから」というのが一番しっくりきそうだが、大人になってから色々な状況を知ったうえで確信犯で北朝鮮に行っているので説得力はない。
でも、単純に知らなかったというか…正直言って興味がなかったから知るつもりもなかったのかもしれん。自分が行きたいと思ったところにただ行ってただけ。
AP通信のアーカイブ映像も見たが「人権を蹂躙する極悪な軍事独裁政権のミャンマーに旅行するのは倫理的にどうなんだろ?」と、雰囲気的には今で言うところの“北朝鮮に旅行で行く人”が晒されるであろう雰囲気に似てる。
今にして思うことを書くと…
アウンサンスーチー女史が「観光客が落とすお金の主な受益者は将軍、外国のホテル所有者、そして観光産業の比較的裕福な労働者だけ(だから、一般市民に恩恵はない)」と言ってたけど、それはまさに軍事政権が企んでいたことで、そのための仕組みを作ってオレら外国人旅行者を待ち受けていたんだろうと思う。
あの仕組みがもし完璧に働いていたら、確かにアウンサンスーチー女史の言う通りなのだが、多分みんなが(軍事政権もアウンサンスーチー女史も)思っていたほど上手く働いていなかったような気がする。
最初の仕組みの一つが、強制両替。
オレが行った時で入国時に300USドルを強制的に両替しないといけなかった。強制両替額はその後に変わったりしたみたいだが、いずれにしても外国人旅行者1人がミャンマー国内で落とすお金は最低でも強制両替分以上と計算しやすくなる。
ただ、強制両替から逃げる旅行者(特にバックパッカー)はそこそこいたんじゃないかな? 基本は逃げれると聞いていたのに空港の出口で捕まって連れ戻されたオレだが、その後も「捕まった人の方が珍しい」と言われたからそんな気もする。統計データがあるわけではないので、あくまで憶測だけど。
仕組みの目玉が、外貨兌換券(FECs)。
空港で強制両替することの何がイヤかと言うと、外貨からミャンマーの通貨チャットに両替できるわけじゃなく、外貨から両替できるのはミャンマーから一歩でも外に出ればタダの紙屑にしかならない外貨兌換券(FECs)のみ。
だから軍事政権の設計上は、外国人旅行者はミャンマーで現地通貨チャットを手にすることも使うこともなく、FECsだけになるはずだったんじゃないかな?
公式には外国人が泊まれるのは軍事政権が許可を与えているFECs払いのみのホテルだけだったし、ミャンマー国内の移動もFECs払いのみ(現地通貨チャット払い不可)だったから。
FECsの流れを追えば外国人旅行者の足跡を簡単に辿れるというメリットもある。
この設計の通りだったら、外国人旅行者は軍事政権の息がかかったFECs流通圏の範囲内でしかお金を落とさないから、当然のことながら一般市民には何の恩恵もない。
仕組みとは別に、実際にどうだったか?となると…オレが空港を出て最初に向かったのは市場だった。そこで闇両替するためで、当時のメモには公式レートが1USドル=1FECs=5,700チャットで、闇レートが1USドル=125,000チャットと書いてある。
ちなみに、闇両替自体も違法だし、ミャンマー人が外貨を手にすることも違法だったのでWで違法なのだが、市場に行けば普通に闇両替できた。
というわけで、空港で捕まってゴネまくって80USドルを80FECsに嫌々両替した以外は、市場のおばちゃんにドルを渡してチャットを貰ったし、宿は無許可の闇営業宿(その名もUSAゲストハウス)だった。国内移動だけはバスも(外国人は)FECsでしか払わせてくれなかったのでFECsを使ったが、せっかく住民を強制排除してまでゴルフコースを作って貰ってもゴルフ自体やらねーしで、ほぼほぼチャット流通圏内にいた。
外貨獲得1億USドルに失敗したのって、軍事政権が思い描いていたような、ハイヤーで移動し、高級ホテルに泊まり、ゴルフ三昧の“正しいお金の落とし方(=FECsだけで旅行)”をしてくれる外国人旅行者じゃなくて、オレみたいなレベルの低い旅行者しか行かなかったからじゃねーの?
あと、運用がユルユルで幾らでも逃げ道はあったし。
数日前に、ドキュメンタリー映画『軍事国家ミャンマーの内幕』を観た。
2019年製作なので、今年の軍事クーデターが起こる2年前に作られた映画だ。
軍部が国家権力を握り続けるミャンマー。軍事政権と民主化運動の攻防で、かつてノーベル平和賞を受賞し、“民主化の星”とされてきたアウン・サン・スー・チー氏が、いかに軍部と駆け引きをして政権のかじ取りをするに至ったのか。また、少数民族への迫害を黙認し、世界から非難を浴びながら、なぜ彼女はロヒンギャをめぐる問題で有効な手立てを講じることができなかったのか。本作は、2006年に軍事政権が定めた「玉座」という名の首都ネピドーで、どのような権力闘争が繰り広げられてきたのかを関係者の証言で綴るドキュメンタリー映画。そこには指導者アウン・サン・スー・チー氏の苦悩と、知られざる軍事国家ミャンマーの実像が浮かび上がる。
ロヒンギャ問題も含めて、ミャンマーの権力闘争が知れて面白かった。
かつて軍事政権のトップとして20年間ミャンマーに君臨していたタン・シュエ上級大将。
2011年に(ものすごく意外だったが)あっさりと引退、それまで自身が独占していた権力を二分して後継者を『指名』。
文民大統領としてテイン・セイン、そして国軍司令官にはミン・アウン・フライン(今回のクーデターを起こした人)が指名された。
うーむ、今回のクーデターの裏でタン・シュエの御意向が働いていたんだろか?
映画の最後はこんなナレーションで終わる。
「彼女(アウンサンスーチー)は世界が思うような人でも、言われているほど悪い人でもありません」