女性バックパッカー殺人事件2

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前回の続きで、2000年に起こったイギリス人バックパッカー強姦殺人事件の話。

登場人物が全員怪し過ぎる。

現場保存

通常、タイでは事件事故現場に真っ先に到着するのは24時間体制で警察無線を傍受している報道陣と民間救急隊だ。

民間救急隊にも「報徳善堂」とか「明満善壇」とか色々あるが、縄張り争いや怪我人・遺体の奪い合いで救急隊同士で銃撃戦になることもあるくらい“我先に”駆けつけたがる。

カースティ・ジョーンズの事件発生時も、警察よりも先に現場に駆けつけたのは民間救急隊と報道陣だった。警察が来て指紋や証拠品を採取する前に、20人ほどが彼女の部屋に入り犯行現場を引っ掻き回した。

カメラマンの「ニュース映像用にベストショットを撮りたい」という要望に応えて救急隊員がカースティの遺体を動かしたり、記者がカースティの衣服をくまなく探り、ベッドシーツに触れた。カメラマンはカースティの化粧ポーチを開け、中からコンドームをつまみ上げた。

つまり警察が到着する前に犯行現場はすでに汚染されていたが、当の警察を含めて誰もそのことを気にしなかった。マイペンライ精神である。

当然のことながら、これら全ては後に犯人のDNAを調べるために使用された。

新たな容疑者

2002年1月、新たな容疑者たちが捜査線上に浮かんだ。

4人のツーリストポリスと1人の陸軍将校からなる5人組である。

この仲良し5人組は、よくチェンマイのナイトマーケットを徘徊してはバーでタダ酒をねだり、外国人観光客をナンパしていた。また、市内のゲストハウスに立ち寄っては冷蔵庫から勝手に商品のビールを出して飲んだりしていた。

このこと自体は、どちらかと言えば特に驚くほどのことでもないかな?と。

あの頃…オレが働いていた会社にも管轄警察署の警官が月イチの頻度でバイクに2人乗りでやって来て“みかじめ料”を徴収していってたし、会社でパーティーをやったりするとタダ飯を食いに来ていたりしていた。もちろんどちらも制服を着たまま。

金額としてはビックリするくらい大したことがない額なんだけど、もし払わないと…なぜか夜に泥棒が入ったり、何かあった時に警察に通報しても誰も来ない。ただ、甘やかすと「冷蔵庫から勝手に商品のビールを出して飲んだり」図に乗るから、適度な距離感が大事。

これまで明らかにされていなかったが、カースティ・ジョーンズは殺害される前々夜の8月8日に『バブル』というディスコに行っていた。一緒に行ったのは、同宿のオーストラリア人バックパッカーのネイサン・フォーリーと、『アリーズ・ゲストハウス』の従業員であるサイとナンの女の子2人。

仲良し5人組が女性観光客をナンパするためによく出没するのもディスコ『バブル』だった。

ナイトマーケットや『バブル』でカースティと5人組に何かしらの接点があったかどうかは分からない。

ただ、犯行があった夜に『アリーズ・ゲストハウス』で5人組の内の一人を見たと2人の目撃者が証言をした。目撃者の一人は「彼はゲストハウスの中庭にある木の下でタバコを吸っていて、まるで誰かを待っているかのようだった」と証言し、もう一人(職業:教師)は「同じ男が(カースティの部屋へと続く)ロビーから出てくるのを見た」と証言。

この5人組は、ゲストハウスのオーナーであるアンディー・ギルと、マネージャーであるスリンとは友人であり、よくギルが酔っ払って乱闘騒ぎを起こした時は“助けてあげる”仲だった。

宿のマネージャーであるスリンは真っ先に事件の容疑者になった一人だ。

元々は出家したお坊さんだったが、寺の敷地内で外国人観光客とセックスしていたことがバレて追い出された生臭坊主で、その後は麻薬の売人とゲストハウスのマネージャーをやっていた。

ただ、事件について言えばDNA鑑定でシロだったこともあるし、何よりもアリバイがあった。

妻パンティパと共に『アリーズ・ゲストハウス』の2階に住んでおり、ずっと部屋に一緒におり、犯行時刻には部屋でシャワーを浴びていたことを妻が証言している。悲鳴を聞いて部屋を出て見に行きはしたが、同じように悲鳴を聞きつけて部屋の前まで行った他の宿泊客たちの証言とも整合性が取れる。スリンはカースティの部屋のドアに耳を当ててみたが、室内が静かだったのでプライバシーを侵害したくないと、集まってきた他の宿泊客たちに部屋に戻って寝るように言っている。

ちなみに、カースティ殺害後の家宅捜索で麻薬が見つかって逮捕されたスリン。夫と会えなくなった寂しさから妻パンティパは『アリーズ・ゲストハウス』の2階の自室に立てこもった。首吊り自殺を図るも、ドアを蹴破って突入した警察に助け出され、入院こそしたが一命は取り留めている。

カースティの死から12日後の出来事である。

当初はマスコミの注目を浴びて警察の対応への不満を言うだけで満足していたスリンだったが、徐々に調子に乗って自分にはカースティの魂が乗り移るとか、カーテンを透視して室内でアンディー・ギルとカースティがセックスしているのを見たとか、オカルトチックなホラ話をするようになり誰からも相手にされなくなった。

さて、当初5人組の容疑者たちはDNA採取を拒否した。「バンコクのツーリストポリス本部からの許可がないから」という理由だった。

ツーリストポリスのトップであるサニット警察少将は「新聞を読むまでツーリストポリスに殺人の容疑がかかっていることを知らなかった。容疑者たちのDNA採取を強制することもいとわない。なんなら、チェンマイのツーリストポリス全員のDNAを採取してもいいが、それはお金がかかる」と述べた。

最終的に容疑者全員のDNAが採取されたが…鑑定の結果はシロだった。

年表

最後に、主にイギリス側からみた年表を。

2000年:事件発生

2001年:イギリスのダベッド・ポーイス警察(カースティの地元ウェールズの地方警察)がタイ警察の捜査に“協力”するようになった。主権の問題があるのであくまで協力。

2002年:外交交渉の末、イギリスが殺人犯のDNAをタイ警察からもらう。

2005年:捜査権限がチェンマイ警察からタイ法務省特別捜査局(DSI)へ移行される。

2006年:当時のブレア首相がタイのタクシン首相と会談し、事件の解決を求める。

2010年:タイ当局が、事件のカギを握るとみられる重要参考人への事情聴取をイギリス警察に許可する。

2012年:タイ警察法医学研究所が持つ8万件のDNA型データベースと照合するが、該当なし。遺族が事件の有力情報に1万ポンド(当時約126万円)の懸賞金をかける。

2013年:カースティの遺族がイギリス外務省に娘の殺害に関係する文書の開示請求を行うが、「タイとの外交関係に重大な問題を起こす」として開示を拒否される。

来月(2020年8月)、この事件は時効を迎える。

この事件で起訴された人は、20年間で1人もいない。

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