南スーダンは内戦
稲田防衛大臣が「法的な意味での戦闘行為ではなく衝突」などという言葉遊びをしている南スーダン。
これが、その話題の昨年7月に起こったジュバの様子。
あーホントだぁ~、衝突してるだけで戦闘してなーい! ←棒読み
それ以前もそれ以降も断続的に戦闘が発生しているものの、極端に国内状況を知られることを嫌う南スーダン政府によって報道の弾圧が行われている様子。
町中での写真撮影は拘束・投獄されるようで。
現状の情報量がすごく少ないんだけど、こんな報道が出ているのを見る限りはどうやら事態はあまりよろしくないようだ。
日経新聞電子版『国連安保理、南スーダン戦闘は「犯罪」 即時停戦を要求』
ニューズウィーク日本版『南スーダンは大量虐殺前夜』
ルワンダの教訓を生かせるのか
簡単にいうと南スーダンの(はっきり言っちゃうけど)内戦は、大統領と副大統領の対立が主な原因。
キール大統領は、南スーダン最大の民族グループ・ディンカ族の出。
マチャル副大統領は2番目に大きい民族グループ・ヌエル族の出。
キール大統領がマチャル副大統領を追放し、ディンカ族がヌエル族を狙い撃ちにし出したことで状況は悪化。
現在、キール派による民族浄化(大虐殺)が起こるのでは?という状況。
さて、1994年に起こったルワンダ大虐殺。
100日間で80万人が虐殺されたとする20世紀最大の虐殺、この時PKOは現地にいながらにして虐殺を傍観していました。
この時のPKOはフツ族とツチ族の停戦を監視するだけが目的で、武器の使用は自衛のためだけ。虐殺を避けるために逃げてきたツチ族を保護することは任務外だったので、目の前で殺されても傍観するしかなかったと。
もし虐殺のニュースが出てから2週間で国際社会が5000人の兵を送り込んでいたら80万人の犠牲者の内4分の3は助かっていたのではないか?(Bill Clinton and Rwandan Genocide)と言われていたりして。
まぁ、単純に当時の国際社会は何をやっていたんだ?!と、国際社会に属しているはずの日本人としても思うわけですね。
きれいごとは幾らでも言えるわけで、人道的にどうたらこうたらとか言えちゃう。
ルワンダの場合、実は日本も国際社会としての一員であって当事者ではあるんだけど、所詮はよその話として好きなように言えると。
もしこれが疑いようもなく当事者になってしまった場合は、日本は何を思うんでしょうね。
今後の南スーダンでそんな状況にならないとは言い切れないわけで。
その場にいちゃうと当事者になって後味が悪くなっちゃうんで、やっぱさっさと撤退しておいた方がいいんですかね?
撤退しておけば、その後で虐殺が起こったとしても当事者感が薄れそうだし。
危なかったー!って言って。変なのに巻き込まれるとこだったよ!って。
平和を願っている日本が、南スーダンとかいうわけの分からないアフリカの国で戦闘に巻き込まれちゃうのはイヤですからね。
ルワンダだってそうじゃん? アフリカの資源もない小国で虐殺? 巻き込まれたくない。
これが、もし撤退してなかったとしたら大変。
虐殺を逃れて自衛隊の宿営地に逃げて来られたら厄介ですよ。
逃げてきた人たちを追ってやってくる奴らをどうするか?というのは、日本国憲法との兼ね合いもあるから・・・
とりあえずルワンダの時みたいに目の前で虐殺されるのを傍観しておいた方がいいでしょうね。
目の前で「助けて!」って言ってる人に、「平和を愛する日本国憲法の名のもと断る!」とはっきり言っちゃえばいいんですよ。
まぁ、今にも殺されようとしてる人だろうから「日本国憲法とか知らねーけど、早く助けて!」とは言ってくるでしょうけど(オレなら言う)、日本国憲法を頂く日本人の『平和』って南スーダン人のためじゃないから関係ないし。
それに、南スーダン人なんかの命を助けるために自衛隊員が1人でも殺されたらシャレにならないですよ。
10人助けて1人犠牲が出たくらいじゃ、わりに合わない。
戦後初の戦死者が出たのは戦争法のせいだ! だから宿営地の共同防衛なんかやるべきじゃなかった! そんな汚い仕事は外国の軍隊に任せて自衛隊は表に出るべきじゃなかった!って大騒ぎでしょう。
先ほど書いた「国際社会が5000人の兵を送り込んでいたら80万人の犠牲者の内4分の3は助かっていたかもしれない」って話。
これだって、国際紛争を解決する手段としての武力の行使を永久に放棄している日本としては『それでも送らない』が正解です。
仮に解決手段としての武力行使を選んで60万人が助かるかもしれないといったって、憲法違反だからね・・・残念!!
人の命は地球より重い?
なに言ってんの?スーダン人の命なんかより日本国憲法だろ。
そもそも色々と考え出すと潜在的リスクがたくさんあり過ぎて、一番いいのはPKOなんか止めることだね。
平和じゃないようなところはどうせ平和を愛していないんだから、平和を愛する日本は関与しない!
保護する責任(Responsibility to Protect)を負わない状態というのが気が楽だし。
介入して批判されるより、不介入で批判された方が責任論になりにくいというのもある。
結局、我々はルワンダ大虐殺から何を学んで、何を学んでないんですかね?
何か・・・何が本質か?も含めてもう少し本質的なことへの議論が足りてない気がするのはオレだけか?
プチ情報
ちなみに、今のところは同じマチャル派に属する『ヌエル白軍』と『コブラ派』はホントは仲が悪いよ。
コブラ派は9才とかの少年兵を数千人規模で組織してて、ヤウヤウって男が指揮してるよ。
あと、この2つも同じマチャル派だけど『アグウェレク軍』とアグウェレク軍から離反した『タイガー派新軍(TFNF)』は当然のごとく仲が悪いよ。
反政府勢力は全然一枚岩じゃないから、戦況がどっちに転んでも確実に泥沼化するよ。
あと・・・
アフリカにトラはいないのに、なんでタイガー派を名乗ろうと思ったんだろ?
アフリカハゲコウ派だったら聞いただけでゾッとするのに・・・なんでタイガー?
コメント
初めまして、いつも拝見してます。
主さんに1つ質問させて頂いてもよろしいでしょうか。
多くの日本人は「ルール」や「空気」「現状」を妄信しており、本質的な事を考えずにそれらに従っているように見えます。
その「ルール」や「空気」「現状」は、権力を持つ者が作っている場合が多いと思います。例えば会社の上司とか、大きい話で言えばメディアとかです。
つまり日本人は自分の意見を主張するのが苦手(もっとひどいと自分の頭で考えるのが苦手)で、権力者を過剰に恐れそれらに従っているのだと思います。
日本の大手メディアはニュースを垂れ流すだけで批評精神が希薄ですし、政治家の多くは自分の保身が一番の関心事のように見えます。すいません自分の主観ですが。
で、権力者に影響されやすい日本人も当然目の前の問題に対して無責任無関心でふわふわした感じになります。
では、なぜ日本人は権力者もそうでない者も当事者意識が無くふわふわしているのでしょうか?
主さんはその理由についてどう思いますか?
ちなみに・・・ですけど、ルワンダ大虐殺の時に当事者意識がなかったのは「日本人だから」というわけではないです。
『国際社会』みんなが、だったので誤解がないよう念のため。
一応、フランスは人道的介入を“名目”に虐殺のピークが過ぎた末期に軍を派遣してますが、これは東アフリカで貴重なフランス語圏を英語圏勢力から守るという当事者意識で介入しただけで、結果はその後のルワンダとフランスが国交断絶に至ってるように虐殺する側に加担した(ルワンダ政府の主張)介入でした。
当事者意識があるから・・・介入するから・・・全てが良いわけではないので難しいとこです。
で、
初めましてさん、なかなか面白い意見ですね。
多分・・・理解が正しければ山本七平の本で『「空気」の研究』とか、もう少し読みやすいのであれば鴻上尚史の本で『「空気」と「世間」』とかで書かれている日本人考察に繋がることを言ってるんでしょうかね?