南アから日本に帰る【31】天山南路南道

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第30話に続く第31話。

前回は、中央アジアの話。

今回は、新疆ウイグル自治区の話。

ついに中国入り

南アフリカのケープタウンを出発して1年8カ月、ようやく中国に入った。

キルギス第二の都市オシュを出発し、タルドゥク峠(3,615m)を越え、国境地点のイルケシュタム峠(2,950m)を越えた。

写真は「西部第一関」と書かれた中華風味全開のイルケシュタム税関。

22時間半かけて天山山脈を越えて新疆ウイグル自治区のカシュガルに到着。

イルケシュタム峠越えルートは悪路で有名だったが、全く印象に残っていない。

幸か不幸か旅のスタートがアフリカだったせいで・・・鬼ハードだったローリー移動55時間を初期段階で経験してしまったせいで・・・オレの中で悪路の基準がバカになっていて“悪路”の部類に入らなかったと思われる。

天山山脈をローリーの荷台で凍えながら越えた!とかならきっと覚えているだろうが、オレが乗ったのは中華寝台バス。

道路状況は覚えていないが、寝台バスとやらに初めて乗り込んだ時のことは覚えている。

な、なんだこれ?!

生まれて初めて見た“寝台バス”に軽く衝撃を覚えた。

座席はなく、細長い(狭い)2段ベッドが3列に並んでいる文字通りの寝台バス。

起き上がってる人がいないと死体運搬車みたいな感じだ。あと、他人の足が自分の頭と触れるか触れないかくらいの位置にあるので、足が臭いやつの前になると地獄。

今までは初めて訪れる国ばかりだったが、中国を訪れるのは実に10数年ぶり三度目。

初海外、初一人旅として行ったのが高2の時。その翌年に今度は同級生と2人で訪れているので高校生の時以来となる。

特に愛着はないが、オレにとっては海外デビューの地として特別な国であることは違いないので、久しぶりの中国で自分にどんな感情が湧き上がってくるのか?少し楽しみでもあった。

結論から言うと、自分でも意外だったが懐かしいという感情は一切湧かなかった。

1回目、2回目とも行ったのは沿岸部だが、今回は内陸も内陸の最深部・新疆ウイグル自治区で、雰囲気がまるで違うこともそうだし…

10数年という時間が人民を“文明化”させたようで、オレが知っている人民のクセの強さは鳴りを潜めずいぶんとマイルドになっていた。“文明化”は中国自身がよく使う言葉で、国中に文明化を謳うスローガンで溢れているが、その成果か。

いや、10数年という時間が変えたのはオレもまたそうかもしれない。16年そこそこの人生経験で人民の中に飛び込んだ時の衝撃たるや凄かったが、それから経験値を積み上げてきたせいで多少のことには動じなくなっていた。

よりマイルドになった人民と、より経験値を積んだオレが再び相まみえた結果、懐かしさも特に感じない・・・なんならずいぶんと旅行しやすくなっている知らない国になっていた。

一番大きいのは、昔はもっと国全体から社会主義臭をプンプンに漂わせていたが、ずいぶんと垢抜けてしまっていたことだろう。資本主義の権化マクドナルドにキャッキャはしゃいでいた人民が、今ではすっかり資本主義慣れしちゃっていて…

田舎から上京した同級生と10数年ぶりに会ってみたら銀座のホステスになっていて、イモかった昔しか知らないから懐かしさより「どちら様ですか?」の方が勝つくらい別人になってた・・・みたいな感じ。

それを一言で片付けちゃうと“経済発展”なんだろうけど。

ウイグルの中のキルギス

キルギスから天山山脈を越えて中国に入ったら変わったことがある。

キルギスのオシュに建っていたのはレーニンだったが…

カシュガルに来たら毛沢東になった。

そんな毛沢東に出迎えてもらったカシュガルで開かれる日曜バザール。

手前で売られているのは野菜、奥には肉が塊でぶら下がっている。

東から来た人にとっては西域のエキゾチックさを感じるだろうし、西から来た人にとっては所々で中華の香りを感じる。

新疆ウイグル自治区の中にクズルス・キルギス自治州がある。

その名の通り、キルギス人も多くいる自治州。

カシュガルからカラコルム・ハイウェイで南へ向かうと、やがて世界で最も標高が高い国境であるクンジュラブ峠(4,880m)を越えてパキスタンに入るが、その途中にある。

しかめっ面のおじいちゃんも、ちゃんとカルパックを被っていた。

標高3,600mにあるカラキョル(カラクリ湖)。

山の上に立つと写真のムスタグ・アタ山(7,546m)をはじめ、6~7000m級の山々が連なる雄大な景色が広がっていて、風の音すらしない完全なる静寂に耳がキーンとなった。

自分がちっぽけな存在であることを実感し、これからは心を広く生きていこうと決意を新たにした。

帰る足がなかったので、嫌々だがキルギス人の集落に泊まることに。

彼らの名誉のために言っておくとカルパックを被っているようなおじいちゃんは礼儀正しいし至って普通なのだが、若者は溢れ出る欲望を隠そうともせず「これくれ、それくれ」言ってきてうっとおしかった。

「お前が指に着けているリングをくれ」とか「お前のキャップとオレのキャップを交換してくれ」とか…

そいつのキャップには大きくブランドロゴが入り、猛アピールしていた。

PUME

プーメ!? プーマは知ってるけど、プーメは知らん!!

心を広く生きていこうと決意した直後だったが、いらねー!とイラッとしながら「いやだ」と断った。

その後、夕食として出されたのがナン、丸パン、揚げパンだけで「オールパンっ!?」とまたイラッとした。具など入っていないので、小麦粉しか摂取してない。

どうやら人間は雄大な景色を見たくらいでは簡単に変われないようである。

なお、オレが泊まった新疆ウイグル自治区クズルス・キルギス自治州アクト県は特に貧しい地域で、現金収入を得る手段はカシュガルから日帰りで訪れる観光客から以外ほとんどない。

日帰りなのは泊まるところがないからで、本来なら外国人の民泊は中国では違法。

帰りの足がないオレと、外国人旅行者からお金を取りたい彼らと、お互いのニーズが合致したので対価を払い違法に家に泊まり、対価を払い小麦粉を食っている。

天山南路南道

新疆ウイグル自治区を抜け、甘粛省を通って西安に辿り着くまでの5,000kmを移動するのに2カ月かかった。

新彊ウイグル自治区だけで40日かかったのは、中国最大の行政区画だけあって日本の約4.4倍の大きさがあるせいだ。

シルクロードにもいくつかルートがあるが、天山山脈の北側を通って今のカザフスタン側を通るルートを『天山北路』と呼ぶ。

一方、天山山脈の南側を通って今の中国側を通るルートを『天山南路』と呼ぶ。その天山南路にも、タクラマカン砂漠の北側を通る北道と、南側を通る南道がある。

一般的には北道を通る旅行者がほとんどなので、オレは南道を通って東を目指すことにした。

Kelvin Case, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

天山南路南道は北にタクラマカン砂漠、南に標高6000m級の崑崙山脈に挟まれたルートで、こんな感じで移動した。

細かく言うと、カシュガルを出てから西安に着くまで17カ所に滞在した。

【新疆ウイグル自治区】カシュガル(喀什)→ヤルカンド(莎車)→カーギリック(叶城)→ホータン(和田)→ニヤ(尼雅)→チャルチャン(且末)→チャルクリク(若羌)→コルラ(庫爾勒)→クチャ(庫車)→ウルムチ(烏魯木斉)→トルファン(吐魯番)→ピチャン(鄯善)→クムル(哈密)

【甘粛省】敦煌→酒泉→張掖→武威→蘭州

【陝西省】西安

ヤルカンド(莎車)

かつてヤルカンド・ハン国があった地。

金曜日の礼拝でアルトゥンルク・モスクに集まったウイグル人たち。

中に入れなかった人たちが前の広場をびっしりと埋め尽くしていた。

カーギリック(叶城)

町自体は特に何もないが、カーギリックで道は2本に分かれ、1本は崑崙山脈を越えてパミール高原に入ってチベットのラサに続き、もう1本はタクラマカン砂漠を走る。

チベットに向かう道(G219国道)は平均標高4,500m、最高5,300mの峠を越えるとんでもない道だが、たぶんチベット入域許可証の問題で外国人は通れなさそう。

オレは大人しく、右手に万年雪を頂く崑崙山脈を眺めながらタクラマカン砂漠を通る道を進んだ。

ホータン(和田)

昔々ホータンというところにクルバンおじさんというウイグル人がおりました。

クルバンおじさんは人民解放軍による“解放”にたいそう感謝し、ロバに乗ってタクラマカン砂漠を越えてウルムチへ行き、ウルムチからヒッチハイクで北京に行こうとしましたが失敗。

しかし、ウルムチ政府の温かい計らいにより北京に行って毛沢東主席に直接感謝を伝えることが出来ました。

めでたしめでたし。

侯波, Public domain, via Wikimedia Commons

ということで、クルバンおじさんと毛沢東の銅像がホータン中心部にある団結広場に建っている。

クルバンおじさんは、ウイグルと漢民族の“団結”をアピールする時に官製プロガンダでよく登場する鉄板おじさん。

新疆ウイグル自治区と言っても、最近は漢民族の入植が進んでかなり浸食されている感じがするが、天山南路南道沿いはまだウイグル人の割合が圧倒していて“ウイグルの地”って感じ。

今ほどウイグル人に対する締め付けが厳しくなかった時とは言え、さすがにウイグル人が漢民族をどう思っているか?なんてセンシティブな話を耳にする機会はなかったが、こんなことがあった。

カーギリックなど漢民族がほとんどいない南道沿いで2~3回あった程度なので、「あれ?偶々なのかな?」と迷うくらいで本当はどうなのか?は分からない。

ただ、オレはそう感じたというだけの話。

漢民族がウイグル飯屋に行くことはないが、オレは新彊では中華よりウイグル飯屋によく行っていた。別にどっちでもいいのだが、新彊を出れば中華なんて飽きるほど食べることになるだろうし、ウイグルにはラグマンという美味しい麺料理があるから。

カーギリックで入ったローカルな飯屋でオレは完全に無視された。

あれは気付いていないとかではない。なんなら店員をはっきり呼んで、目が合って、間違いなくオレには気付いていた。

「あら・・・完全に無視ですか?」と思って店を出たが、どうやらオレは漢民族に間違われたっぽいなと感じた。聞かれてもいないのに「私は日本人です」と言って歩くわけでもないので、パッと見で自分たちウイグルと違う・・・漢民族だ!となったと想像する。

大体カーギリックなんかに行く物好きな外国人なんていないから、見た目は漢民族に似てるけど日本人や韓国人の可能性もあるな・・・なんて選択肢はウイグル人の頭に浮かんでこないのだろう。人口の9割以上がウイグル人のカーギリックで、自分たちとは少し違う東アジア顔がいたらそれはもう漢民族として判断してるはず。

昔のインドネシアみたいに「中国人は出ていけ!」と理由を発表しながら石を投げられたりしたらもっと分かりやすいんだけど、非常に地味過ぎて微妙だが「好かれてないのかな?」とは感じた。

「日本人じゃ、ボケ!!」と相手より大きい石を投げ返していたあの頃より大人になっているので、新彊でも無視する理由をはっきり言ってもらえたらよかったんだけど。

たった2~3回だし、それ以外で「好かれてないのかな?」と感じるようなことはなかった。

ホータンの日曜バザール。

ニヤ(尼雅)

かつて栄えた精絶国があった地、ニヤ。

精力絶倫みたいな名前のくせして、もはやインポ並みに寂れている。

不釣り合いに道路だけは立派なニヤ中心部。

びっくりするくらい何もなく、宿全体で客はオレひとり。

ショップが建ち並ぶニヤ最大の繁華街。

チャルチャン(且末)

かつて且末国があった地、チャルチャン。

肉&野菜ショップ。

ニヤよりは少し大きい町だが、一本脇道に入ればこんな感じ。

チャルクリク(若羌)

チャルチャン発チャルクリク行きのバス、途中で壊れる。

中国に入ってからイライラすることが2つあって、そのうちのひとつがバス。

これは中国というより新疆がそうだったのだが、バスでたくさん席が空いているのになぜか隣に座ってくる。

チャルチャン発チャルクリク行きなんて、どっちも誰も知らねー誰も行かねー町だし、人もいないから大型バスに乗客10人だけ。

ガラガラだし、座席指定もないから、それぞれ好きなところに座るのだが、なぜ!わざわざ!こんなガラガラなのに!オレの隣に座る?!

だんだんイライラして来て最終的には「あっち行け」と追い払い、ムスタグ・アタ山を眺めながら心広く生きていこうと誓ったオレはいなくなった。

これだけじゃなく、南道を旅している間ずっとこんな感じ。

車内はガラガラなのに、お互い知り合いでもないのに、最後部の5人席に5人でギュウギュウに並んで座ってたりする。意味が分からん。

ちなみに、イライラするもうひとつはトイレを流さないこと。

これはウイグル人だろうが漢民族だろうが一緒。

人民は、うんこをするだけして十中八九流さない。

バスでムダに固まって座りたがる理由は残念ながら聞いていないが、トイレを流さない理由は人民に直接聞いた。

「水を流すレバーは汚くて触りたくないから」というのと「水の流し方が難しくて分からないから」だそうだ。

うむ、どちらもオレは納得しないぞ。

レバーを触りたくないって、そんな潔癖症なことを言えるほど繊細な人たちじゃないでしょ?あなたたちは。

水の流し方が難しいって…なんだ、それ?!

コルラ(庫爾勒)

タクラマカン砂漠を縦断して南道から北道に出た。

北道に来ると一気に漢民族の割合が増えて、コルラの7割は漢民族になった。

コルラ郊外にあるシルクロードの軍事的要衝・鉄門関。

中国の視点で言えば、ここが西域との最前線だった。歴史的名所“風”にしているが、1989年に建てられているので築35年の中古関所である。

鉄門関が古の時代もこんな姿だったのかは知らないが、この渓谷がかつてのシルクロードだったのは事実。

クチャ(庫車)

かつてオアシス都市国家として栄えた亀茲国があった地、クチャ。

中国四大石窟のひとつキジル千仏洞という仏教石窟寺院があり、西から来た身としてはここら辺から仏教遺跡が増え始めた印象。

UNESCOの世界遺産「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」の一部としても登録されているが、コンクリートでガッチガチに固められて見た目はほぼ要塞。

あと、石窟内部の壁面に中国人観光客が自分の名前と来た日付を記念に彫っている。

ウルムチ(烏魯木斉)

最寄りの海岸まで2,500kmある、世界で最も内陸にある都市ウルムチはびっくりするくらい大都会。

ポーランドで買ったダウンジャケットをイランで人にあげて以降Tシャツで過ごしてきたが、また冬が来てしまった。

もはやTシャツでは耐えられないレベルの寒さになってきたので、ウルムチでダウンジャケットを購入。

トルファン(吐魯番)

新彊で最も古いウイグル人の村がある吐峪溝。

1000年だか2000年だか知らないが歴史は古いようだが、村を歩くと妙に違和感を抱いた。

生活臭がしないというのも少し違って、確かにそこに住民は住んでいるのだが、家々には歴史を説明する案内板が貼り付けてあって、観光客は自由に出入り出来る。

大人たちも働いてなさそうで・・・村ごとテーマパーク化させたんじゃないか?

歴史あるウイグル村ではあるんだけど、それよりウイグルテーマパークに住んでいるウイグル人キャストみたいな雰囲気。

どこか魂が抜けて外側だけ残っているような、すごく不思議な村。

クムル(哈密)

かつて哈密王国があった地、クムル。

たぶん、中央アジア式のイスラーム建築の最東端がこのモスク(エイティガール寺院)じゃないかと。

本当は西安まで書きたかったのだが、長くなり過ぎたので新疆ウイグル自治区だけになってしまった。

次回、甘粛省から日本帰国まで書けるか…

書けたら次回が最後、書けなかったら次々回が最後。

投げ銭Doneru

書いた人に投げ銭する

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