南アから日本に帰る【32】河西回廊

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第31話に続く第32話。

前回は、新疆ウイグル自治区の話。

今回は、河西回廊(今の甘粛省)を斜めに横断して行く話。

敦煌

甘粛省で最初に入ったのは敦煌。

文豪井上靖の小説『敦煌』などの影響もあってか、日本人にはシルクロードの中でも特に人気だった時代もあるらしい。

有名な観光地といえば、多数の洞窟内に壁画が描かれたり仏像が置いてある仏教美術・莫高窟だろう。

今もまだ残っているのかは知らないが、莫高窟の見どころと言えば多分これ。

莫高窟のすぐ前の目立つところにあった。

日本創価学会名誉会長池田大作先生!!

なんでも「日中友好と文化交流に長年尽力し、車6台、1000万円を寄付してくれた記念」だそうだ。

ちなみに莫高窟の中には入っていない。

キジル千仏洞(クチャ)、ベゼクリク千仏洞、吐峪溝千仏洞(トルファン)と、千仏洞×3で3千仏は見ちゃってるからもういいかな?と思って。

莫高窟のすぐ外で写真を見たが、新彊にある千仏洞と違ってずっと仏教勢力下にあったおかげなのか莫高窟の保存状態が一番良さそう。

敦煌市内にあった緑洲(オアシス)超(スーパー)市(マーケット)。

なぜか日本語でも『緑洲スーパーマーケット』と書きたかったようだが…

緑洲ヌーハーマーターツートと、謎の呪文に。

万里の長城最西端

5,000m級の山々が連なる祁連山脈に沿って河西回廊を東に向かっていたが、ついに雪が降り始めた。

酒泉の郊外に、万里の長城(明時代)の最西端がある。

これがその万里長城第一敦。

反対側から見ると、北大河の絶壁でブチっと途切れる。

ホントに万里の長城?ってくらい原形をとどめていない、ただの塊として存在している。

500年という時間の経過を考えれば当然だ。

一方、こちらも明時代の懸壁長城。

うーん…

もう少しエイジング加工できなかったかなぁ?

新し過ぎて全然スッと入って来ない。

まぁ、これを言い出すと大阪城だってどうなんだ?という話になるので、模擬復興された創作長城という前提で見に行く必要がある。“明時代の懸壁長城”として見に行くと何だか騙された感がすごいから。

そして、嘉峪関は万里の長城最西部の砦というか関所。

「万里の長城につながる関の中で唯一建設当時のまま残される建造物」って言われてるんだけど絶対に違うと思うけど…

いや、だってボロボロに崩れ落ちた万里長城第一敦と同じ明時代の建造物なのに、けっこう新築感が出ちゃってるよ。

これが「内部には建設当時のまま残る建造物も一部あるが城壁を含む大部分はレプリカである」だったら納得する。確かに古そうな建造物は一部あったはあった。

これとか。たぶん、現存するこういう古い建物の周りを大々的にレプリカの城壁や建物で囲んで嘉峪関の関所感を再現してテーマパーク化させている気がする。

中国人は廃墟の遺跡はあまり好みではないっぽい。

トルファン近郊にある交河故城は、2000年前の漢時代から残る中国唯一の遺跡。

オレはここがすごく良かったのだが、中国人観光客たちは全く興味なさそうで入口から少しだけ入って奥まで全然来ないのでほぼ独り占めで見て回れた。

交河故城には全然興味なさそうだったが、新築かっ!?ってくらい“きれいに復元”されている場所はすごく楽しそうにしていたので、その基準でいくと懸壁長城や嘉峪関みたいになっちゃうのかもしれん。

酒泉から東へ向かい張掖という町に入った。

地味に居心地の良い町で「東方見聞録」を書いたマルコポーロも1年滞在したという町だ。

張掖

夜10時頃、前夜に続いてまた部屋の電話が鳴った。

ホテルの外部から電話がかかってくることはないだろうからフロントだろうか。

前夜は無視したが、外国人だと分かればもうかけてこなくなるだろうと電話に出た。

女性の声で何か言っていたが「ティンプートン(言ってることが分からん)、我不是中国人(私は中国人じゃない)」と何度か繰り返すと、相手は何かを納得したように電話を切った。

これでもうかかってくることはないだろう。

数分後、部屋のドアがノックされた。

出てみると女性が2人立っていて、手にはなぜかバケツを持っている。

どうやら先ほど電話をかけてきた人のようだ。

女性は何かをまくしたてると人の部屋にズカズカと入り込んできて、シャワールームで持参したバケツに水を溜め始めた。

ん?何がしたいんだ?

漢字で筆談をしようとノートとペンを渡す。

するとオレの年齢を聞いてきた。

いや、その前に…今、オレは知らない中国人女性2人に部屋に押しかけられて、なぜか勝手に人のシャワーでバケツに水を溜められている・・・まず、この状況が何なのか?を説明して欲しい。

と思いながらも、素直なオレは年齢を答える。

すると、女性2人は顔を見合わせて「看起来20(20に見える)」と返してきた。

え?どういう状況?

なんでオレの部屋でバケツに水を溜めてるんですかっ?!

っていうか、そもそもあなたたちは誰ですかっ?!

この謎だらけの状況とオレの年齢に何か関係あるんですかっ!

そんなオレの疑問に答えるかのように、再び女性はペンを走らせる。

「この子を何才だと思う?」

そして後ろに立つもう一人の若い女性を指差した。

え?どういう状況?

なんでオレの部屋で勝手にバケツに水を溜めているのかがめちゃくちゃ気になる!!

と思いながらも、素直なオレは「23~4才?」と答えた。

すると、「17才」と正解が発表された。

え?どういう状況?

部屋から水を盗んでいる間、オレの気を逸らすために年齢当てクイズ大会してるのか?

と思いながらも、素直なオレは「大人びているし美人だから23~4才かと思った」と感想を返した。

すると水窃盗の主犯格の女性がジェスチャーをはじめた。

まずオレを指差し・・・次に17才の女の子を指差し・・・次に部屋のベッドを指差した。

そして寝るジェスチャーをし、セックスするジェスチャーをした。

うむ・・・あなたたちが何者なのか?は分かったが・・・

なんでオレの部屋で勝手にバケツに水を溜めてるんですかっ?!

オレがずーっと気になっていた水窃盗にかんしてだが、残念ながら理由は未だに不明だ。

しばしの押し問答の末、女性たちはバケツいっぱいに溜まった水を持って帰って行った。

翌日、オレは彼女たちの部屋に遊びに行った。

水窃盗の時に「部屋に遊びに来い」と誘われていたのだ。

彼女たちはオレが泊まっている部屋のひとつ上の階に“住んでいた”。

客室を改装して普通に住居として使っていたことから考えるに・・・どうやらホテルに住み込みで宿泊客相手に商売をしてるようだ。

“単身の男性宿泊客”としてオレの部屋番号もホテルが彼女たちに教えたのだろう。

システムは分からないが…推測するに、ホテルの“宿泊客”である女性が同じ宿泊客である男性を相手に“勝手に”商売してる体(てい)でやっているとは思う。万が一警察沙汰になった時のリスクヘッジとして、ホテルは無関係だと逃げ切れるような体には絶対しているはず。

ただ、客室を改装して女性たち用に住居化しちゃっているくらいだからホテルが無関係なわけがないのだが、直接雇用は考えにくい(ホテル側のリスクが高い)ので、1カ月いくらと固定でシャバ代を取っているのか、1回いくらの歩合で取ってるかだろうな。

1回いくらはホテル側で把握・管理が難しいし、あまり関与を深めると帳簿とか証拠が残りやすいから、月額固定のシャバ代で“個人事業主”の彼女たちを住み込ませて・・・なるべく関与しないが裏でゆる~く組んでいるシステムの気がする。

タイ在住時の知見を元にしたあくまで推測だが、それほど大きく間違ってはいないはず。あとは・・・タイだったら地元警察に賄賂を払って“黙認”保険をかけておいたりするが、中国でも地方ならありそうではある。中国で汚職摘発がよくニュースになるということは、逆に言えば普通にあるということだから。

怪しさなんて全く感じない普通のホテルだったけどなぁ~

歩いていた時にたまたま見つけたホテルで、1~3階は中国全土で200店舗ほどチェーン展開している有名火鍋レストランで、4階から上がホテルだった。

フロントの対応も雰囲気も極々普通。

あまり安くなさそうだったので期待はしていなかったのだが、値段を聞くだけ聞いてみようと思ったら・・・

古さはあるが、トイレ・シャワー付きのシングルで1泊たったの35元(当時約600円)!!

トイレ・シャワー付きでこの値段は安っ!!と思って泊まっていたのだが、まさかそんな裏サービスがあるホテルだったとは思いもしなかった。

二人は母娘だった。

40才前後と思われる母親と17才の娘で、お隣の四川省から来ていると言う。

母親が客引き兼マネージャーで、実際に男性の相手をするのは娘という役割分担がされていた。

なぜか、張掖に滞在中は夜以外のほとんどの時間をこの母娘と一緒に過ごすことになった。オレが連れ回されたという方がより正確か。

「郷土料理を食べさせたい」という彼らに四川料理屋に連れて行かれ、半強制的に腹が破れそうになるまで食べさせられた。

オレが払うと言ったが、払わせてくれなかった。

公園に遊びに行ってハトにエサをあげたり…

釣り堀に行って魚を釣ったりした。

ちなみに、オレは気持ち悪いから釣りエサを触らないので、全部彼女たちにエサを付けてもらい、魚がいそうなポイントに投げてもらう。

投げてもらったら、あとは釣り竿をオレに渡してもらって魚がかかるのを待つ。

結局、3人とも1匹も釣れなかったのだが、母親が近くで釣りをしていたおじさん客に色目を使ってフナを1匹わけてもらった。

それをレストランに持ち込んで調理してもらった後、テイクアウトして二人の部屋に帰宅。魚料理以外は母親が作ってくれて、また腹が破れそうになるまで食べさせらる…そんな日々。

あれ?似たような状況が昔あったな…

19才の頃、バンコクでママに家でよく飯を食べさせてもらっていたことを思い出した。

ママも客引き兼客取りの二刀流で、主に16才の娘メイが客を取っていた。

3人でルンピニー公園に遊びに行ってスワンボートに乗ったりしたなぁ、そういえば。

母親が客引きをして10代の娘が客を取る、そんな母娘に飯を食わせてもらってあちこち遊びに連れて行かれる…

人生においてあまり生じる機会がない状況に思えるが、意外と何回もあるものらしい。

これもひとえにオレの隠し切れない心の広さ、にじみ出まくりの人柄の良さ、「どこぞのお公家さまかしら?」と思ってしまう上品さ、どんなに営業されようが断る貞潔さが評価されての結果だろう。

マジメな話…

バンコクの母娘とは、たった数日しか一緒にいなかった張掖の母娘とは比較にならないくらい長い期間いたので、ママとメイの話をする。

オレは彼らに対して職業的嫌悪感もないし、かわいそうとも全く思わないが、単純に興味はあった。仕事をしていない時は何をしてるんだろう?とか、どんな生活をしているんだろう?とか。

だから、客にはならないくせに誘われたらすぐ家に遊びに行っちゃう。

そこから「うちにご飯食べにおいで」と電話がかかってくるとよく彼らの住むアパートに遊びに行っていた。昼間は一緒に遊びに出かけたり、夜「仕事に行ってくる」という彼らを見送って彼らの部屋でひとりゴロゴロしながら帰りを待っていたこともある。

ママは、メイとオレを部屋で二人きりにして出かけることが何回かあった。

出かけることそれ自体は普通のことだが、他にも色々な要素があったうえで「ん?なんかわざと二人きりにしているな」と思わせるような状況。

なんとなくの勘だが…ママはメイとオレをくっつかせたいのでは?と思った。

『先進国の国籍を持った彼氏が娘に出来て、将来的に結婚でもすればより安定した人生を手に入れられるかもしれない。娘は16才、この日本人は19才で年の差的にもおかしくはない』

ここまではっきりとは考えたかどうかは知らないが、心のどこかで似たような計算が少しだけ働いていてもおかしくはない…というか、その方が自然だ。

オレの勘が正しければ…メイ自身のオレに対する態度からいこうと思えばいけそうな気はしていたが、ママの思惑を考えると下手に手を出したら面倒なことになりそうな気がして一度も手を出さなかった。

これ、日本でも普通に皆がしていること。

性格、容姿、価値観など個々人が持つ主要要素でその人を判断するし、

それと同時に地位、経済力、学歴などの二次的要素でも判断している。

フリーターをやってます!という優しくて楽しい人と、都内で美容クリニックを数店舗経営してます!という性格の悪いつまらない人と、どちらがモテるか?を考えれば二次的要素が主要要素を凌駕する可能性だってあることを示している。

そもそも何が主要であって、何が二次的なのかの定義すら人によって違うかもしれない。

お互いの国との間に経済的に格差がある人間同士で人付き合いをした時、より裕福な方の“国籍”という看板が二次的要素としてプラスに作用することがあるのは事実。ただあくまで相対的なものなので、その国が経済的に逆転されたり落ちぶれていけばプラスには作用しなくなる。

失敗国家ソマリアの国籍に誰も魅力を感じないのは二次的要素としてはマイナスにしか作用しないのと一緒。

心の広さ、人柄の良さ、上品さ、貞潔さというオレの主要要素に好印象を持ったのか…

日本という一応まだ先進国である国から来た人というオレの二次的要素が影響したのか…

それは張掖の母娘、バンコクの母娘、それぞれしか正解を持っていない。

まぁ…主要要素だけだろうけどな。

ちなみに、張掖の17才の子は1回500元(当時約7,900円)だそうだ。

トルクメニスタンのマルで「10万マナト(当時約480円)でどうだ?」と言われたことがあるので、16倍高い。

ウガンダのカンパラでは出合い頭で会った女に「あなたとセックスしたい」といきなり言われて恐れおののいた。いきなり町で会った知らない人に一言目で言われたら誰でもビビる。最初の言い値は2万シリング(当時約1,280円)だったが、1万シリング(約640円)まで値切るだけ値切って逃走。

今回、西安どころか蘭州にすら到着できなかった…敦煌から張掖(写真)までのちょっとしか進んでいない。

投げ銭Doneru

書いた人に投げ銭する

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