南アから日本に帰る【30】逃亡犯

スポンサーリンク

第29話に続く第30話。

前回は、ウズベキスタンの話。

今回は、ウズベキスタンを含む中央アジアの話。

レギストラーツィア

2024年にもなって、まだあるのか!!

ちょっと驚いてしまったが、ウズベキスタンでは未だに残っているようだ。

何が?って、レギストラーツィア(Регистрация)と言う、滞在する町ごとに外国人が行わなければならない登録のことだ。英語のレジストレーション(Registration)と同じ。

要するに国内に入ってきた外国分子の動きを把握したいソ連時代の名残り。

主に旧ソ連の国々に多かった制度だが、昔は東南アジアのラオスにもあったし、今でもアフリカのスーダンにはある。

ただ徐々に廃止する国が増えて、今や残っている方がレア。

ちゃんと調べていないのではっきりとは分からないが、旧ソ連の国で2024年にもなって未だにあるのはロシア、ベラルーシ、ウズベキスタンくらいじゃなかろうか? トルクメニスタンも絶対あるだろうが、あそこは別次元で面倒くさいので除外。

滞在する町ごとにOVIR(査証・滞在登録局)という役所に出向いて滞在登録しないといけない国が多かったが、ウズベキスタンの場合は少し違っていて、こちらから役所に出向く必要はないが、宿でレギストラーツィアをしてその証明として紙切れを貰うロシア式。

これ、何が問題か?というと、ボイスンでボボの家に泊まったり、ブハラや首都タシュケントでも民泊をしたのだが、民泊ではレギストラーツィアが出来ない。

レギストラーツィアをしていないとどうなるか?というと、10万円以上の罰金か、国外退去。

実際に、オレもタシュケントを歩いていた時に一緒にいた日本人旅行者が警察に捕まって、そのまま国外退去になるところを隣で見ていた。その場で警察車両に乗せられて、そのまま荷物を取りに行って、そのまま国境へ直行。

即国外退去なのねっ!?

ウズベキスタンでもレギストラーツィアごときでの国外退去は珍しいので貴重な瞬間を目撃させてもらった。

国外退去になった人はウズベキスタン入国後に一度もレギストラーツィアをしていなかった。一方、オレの場合はレギストラーツィアをしたりしなかったりだったし…した時に貰った紙切れの数字(日付)を1→4とか3→8に自分でちょっとだけ書き直してみたり・・・アナログな制度だったから、なんとなく“ちゃんとやってる風”にしていたから無罪放免。

デジタルで簡単に照合できちゃうならまた話は違っていたが、“アナログの良さ”を存分に利用して上手くやっていた。

ウズベキスタンから越境して入った隣国キルギスでは、オシュという町でOVIRに出向いてレギストラーツィアをしようとしていた。

ところが場所が分からず困っていると、女子大生のクララちゃん(21)が「私が連れて行ってあげる」と案内してくれることに。

ただ、外国人登録なんてキルギス人には関係のないことなので、OVIRとかいう地元の人には馴染みのない役所については何も知らず探しても探しても見つけられず。

「レギストラーツィアなんかあきらめて、私の部屋に行こ!」

え?しないと警察に職質された時にマズいが…

女子大生の部屋 vs レギストラーツィア

瞬殺で女子大生の部屋が勝利し、レギストラーツィアなんかきれいさっぱりあきらめてクララーツィアに外国人登録することに。

もはや外国人旅行者の義務などどうでもいいかな?と。

レギストラーツィアなんてそんなもんで、あとは職質されないように警察を見かけた時点で逃げればいいだけの話。

これも“アナログならでは”である。

スマホのマップでOVIRまでのルート検索をしたら、迷うこともないからクララちゃんに出会うこともなく、「今夜はここに泊まっていったら?」と言われることもなく、ただレギストラーツィアを完遂して終わり。

ということで、運が悪ければ国外退去になることもあるが、紙ベースのアナログな運用だったおかげで厳格に適用されていたわけでもない制度。

それが、レギストラーツィア。

警察

警察を見かけた時点で逃げればいい・・・って、何てことを言うんだ?!と思うかもしれないが、何の後ろめたいこともない、レギストラーツィアも必ずやっている善良な旅行者であっても、警察なんてものは見かけたら逃げるもの。

今はどれくらいまともになっているのか知らないが、当時は中央アジアの警察なんて腐敗しまくりで合法的に武装したチンピラと思ってもらえばいい。

どんな感じかと言うと・・・

警官たちに囲まれてパスポートを取り上げられて「パスポートを返して欲しかったら金払え」とか、腕を後ろに捻り上げられて「金払え」とか、首根っこを掴まれて「金払え」とか当たり前。

自国のビザを指差しながら「このビザに発給証明のサインをした奴は誰だ?オレはこいつを知らないから金払え」と、意味不明な理由で2時間絡まれ続けた旅行者もいる。

2人組の警官に「すれ違った時にオレの肩にぶつかっただろ?!」と絡まれ、ぶつかるどころか触れてさえいなかったが、警官はもう1人の警官を指差して「ここに証人がいるからお前を逮捕する。嫌なら金を払え」とか。

そう、もはや警察の制服を着たチンピラでしかない。

だから警察は見かけた時点で逃げるっ!!

いかに善良な旅行者だろうが、あっちはカツアゲで飯を食っているプロだから難癖の付け方なんて無限。しかも警察という公権力でもあるから対応が非常に難しい。

ただのチンピラなら暴れるとか、走って逃げるとか、色々選択肢もあるだろうが、警察相手に暴れたら公務執行妨害でホントに逮捕される。走って逃げても・・・逃げ切れるならいいかもしれないが、途中で捕まったらかなり面倒なことになるのは必至。

ウズベキスタンやカザフスタンの警察もヤバかったが、当時ぶっちぎりで極悪だったのはキルギス。

より正確に言えば、ウズベキスタンはタシュケントの警察、カザフスタンはアルマトイの警察、キルギスはビシュケクの警察。

地方の警察は普通だったりするが、首都クラスの都市部の警察は基本チンピラだから近づかないのが鉄則。

たしか・・・キルギスの首都ビシュケクに深夜に到着した大学生の旅行者が、宿の前の通りで襲われて荷物を奪われていた。

宿のオーナーによると、襲ったのは同じ通りに住むご近所さんの警官とのこと。

たぶん非番中に酔っ払って襲ったんじゃないか?って話で、副業で強盗をやってる警官ということではないらしい。だったら安心だね!とはならないが、もちろん泣き寝入りである。

ビシュケク市内に転がる死体・・・ではない。

サマゴーン(密造酒)を飲み過ぎた酔っ払いがこんな感じでよく転がっている。

夜はまだ元気な酔っ払いがゾンビのように町を徘徊して襲ってくるので危険だし、酔っ払った警察はもっと危険。

ちなみに、サマゴーンは町の商店で売られているアルコール度数高めの焼酎みたいな酒。

密造酒のため店によって味は違うので、お気に入りの店を探そう。100ml当たり5ソム(当時約16円)で量り売りしていて、空ペットボトルを持って行って1リットル買っても160円である。ほどよく飲めば元気に町を徘徊して人を襲えるが、飲み過ぎると写真のように死体化する羽目になる。

なお、オレは中央アジアにいた4カ月間、各国の警察から逃げ切って一度もカツアゲされていない。

逃亡犯になれる素質があるかもしれん。

10代は、夜になると制服を着たまま強盗に変身するプノンペン警察から逃れるため闇夜に紛れて隠密行動をとり・・・20代前半は、月末の金欠時期になると急に増えるタイ警察のスピード違反の取締り(手ぶらで目視なのに30km/hオーバーとか言ってくる)から逃れてきた逃亡練習の成果が、ここ中央アジアで花開いたのだ。

お金

警察に奪われるものと言えば…そう、お金である。

今は20万スム札がウズベキスタンの最高額紙幣らしいが、当時は1000スム札が最高額紙幣だった。

1000スムは日本円にして100円にも満たない。

それがどういうことになるか?というと…100USドル札1枚を両替するとこんな感じになる。

全部500スム札(当時約46円)で渡してきやがって254枚の札束に。

お金持ちになった気分になるが、完全に気のせいである。

偶に100スム札(約10円)で100USドル分を渡してこようとする時もあって、そんなことをされたら1000枚を超える札束を受け取ることになる。

さすがに「それは止めてくれ!」と拒否しないと、非常に面倒になる。

枚数が多いということは、数えるのが大変ということでもある。

両替をして、渡された札束は必ずその場で数えるが枚数が合っていることはほぼない。

計算間違いとかではなく…行員が抜いてるから。

枚数が多いからちょっとくらい抜いてもバレないだろうと思っている。

ウズベキスタン“国立”銀行だろうがオレは一切信用していなかったし、実際に国立銀行の行員だって抜いて渡してくる。

枚数が多くなればなるほど数えるのが大変になるので、たかだか両替ごときなのにひと仕事だ。

さすがに国立銀行で使われたことはないが、民間の両替所だとアフガンマジックを使ってくる。キルギスの両替所なんかはアフガンマジックの使い手だらけの印象。

両替商が目の前で札束の枚数を数えているのを目で追っていると、10枚足りない。

両替商は自分で「あれ?足りない!」と少し驚いた猿芝居をしながら、不足分の10枚をポンと足して渡してくる。

もしそのまま帰ったら、20枚足りていない。

足りないから足す・・・この時にマジックを使っていて実際には抜いている。

数えているところを自分も目で追っているから大丈夫!という心理を逆手に取ったタイプなので、オレはそもそも最初から相手が数えているところを見ていなかった。

「10枚足りないから10枚足すよ!ほら見て!」とか言われても見ない。

アフガンマジックに引っ掛からない確実で簡単な方法は“見ない”こと。

まぁ、見てもいいが、必ず自分で数えること。

渡された札束を自分で数える→10枚足りないと戻す→不足分をポンと足して渡してくる→渡された札束をまた自分で数える→今度は20枚足りなくなってると戻す・・・これを繰り返す。

ずっと繰り返していたら「もう他に行ってくれ」と両替を断られたこともある。

たぶん高レートを提示してカモをおびき寄せているが、実際にその提示レートで両替してしまうと儲けがなくなるのだろう。

アゼルバイジャンではお釣りを誤魔化して渡してくる・・・ウズベキスタン国立銀行の行員はお金を抜いてくる・・・キルギスの両替商はアフガンマジックを使ってくる・・・

ずっとこんな感じだったので、他人など一切信じない!信じるのは己のみ!が染み付いてしまい、日本帰国直後はコンビニだろうが銀行の窓口だろうが渡されたお金は全て自分で数えて確認するまでその場を動かない!というクセがなかなか抜けなかった。

それが普通だったから…

関係ないが、夜道で尾行されていないか常に背後を気にするクセも抜けるまでに少し時間がかかった。これは南アフリカに住んでいた時に染み付いた習性で、逃亡犯としての素質を磨いていた時期でもある。

今ではすっかり他人を信用しきってしまっていて、渡されたお金は数えないし、背後も気にしない隙だらけの人間になってしまった。

いざ天山山脈越え

そのほとんどはウズベキスタンとキルギスの2カ国だが、中央アジアには4カ月いた。

カザフスタンのアルマトイで見かけた、なぜか広場で合唱する高麗人たち。

中央アジアには、ソ連時代にスターリンによって強制移住させられた朝鮮人(高麗人)が住んでいる。カザフスタンも多いが、一番多いのはウズベキスタン。

カラカルパクスタンのモイナクにも高麗人のおばさんがやっている食堂があったが、そのおばさんは「アニョハセヨ」以外の朝鮮語は知らなかった。もちろん個々の環境や世代にもよるだろうが、基本はロシア化していて、ウズベク化やカザフ化しているわけではない。

キルギスの伝統帽カルパックをかぶったおじさんたち。

カルパック・・・カラカルパク・・・

そう、キルギスの伝統帽と見た目はほぼ一緒だが、色が黒いカルパックをかぶっているのがカラカルパクスタンのカラカルパク(黒い帽子)人。

カラ(黒)・カルパック(帽子)がそのまま民族名に。

色が違うだけでほぼ一緒の伝統帽だし、顔立ちもそっくりなのに、キルギス人とカラカルパク人は遺伝子的には遠い関係らしい。

不思議だ。

標高3000mを越えるソン・キョルには夏の時期に遊牧民たちが家畜を連れて集まってくる。

モンゴルではゲル、中国ではパオと呼ばれている移動式住居ユルト。

中央アジアと言えばメロンである。

写真はキルギスのアラメディン・バザールのメロン専門店。

トルクメンバシュ様が好きすぎてメロン記念日として国民の祝日にしてしまうくらい、中央アジアで甘くて高品質なメロンは一般的。

在ビシュケクのウズベキスタン大使館領事部に貼り出されていた紙。

「外国人へ ロシア語が分からないなら通訳を連れて来い」

電話をしても英語なんかで話そうものならガチャ切りされる。された本人が言ってるんだから、本当である。

一度ビザを持たずに国境に突撃してみたが入国できなかったので、改めてビザを取得してタジキスタンに向かった。

今度はちゃんと入国できたのだが、町まで向かう手段がなくて・・・30分ほど国境でボーっとしていたのだが無性に面倒くさくなってきて「ムリしてまでタジキスタンみる必要ある?!」と急に興味を失ってしまい、そのまま出国。

タジキスタンは行ったと言えば行ったが、行ってないと言えば行ってない。なぜなら、オレが見たタジキスタンは国境の景色(写真)のみだから。

中央アジアと中国の間には7000m級の山々が連なる天山山脈がある。

天山山脈の西側にいる分にはまだ日本を遠く感じられていたのだが、越えて東側の中国に入ってしまうと一気に日本が近づく気がして躊躇していた。

だから4カ月も中央アジアをグルグルしていたのだが、タジキスタン滞在30分の辺りから何だか色々と・・・躊躇していることも含めて全てが面倒くさくなってきた。

迷っている自分に飽きてきたというか…結婚したら死ぬわけでもないし、そこまで抗う必要がある?と思って。

タジキスタン滞在30分から1週間後、天山山脈を越えて中国に入った。

スポンサーリンク
広告(大)