1998-2000【12】再訪問

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第11話に続く第12話。

東マレーシア

インドネシアから国境を越えてマレーシアに入国した日の日記にはこんなことが書いてあった。

今日はこのままサンダカンまで行こうと思っていたのだが、バスはないとのことなのでタワウに1泊することにした。ちょうど道を聞いたおじさんが「家に泊まれ」と言ってきたので、このおじさんについて行った。

全然覚えていない…

同じ時期のことでも鮮明に覚えている事と全く覚えていない事のふり幅がすごい。

知らない人の家にノコノコとついて行く?普通?

どんな家だったか?とか、どんなおじさんだったか?とか、もう少し覚えていても良さそうなものだが何一つ覚えていない。バリクパパンの宿なんて部屋内の配置まで覚えているのに。

サンダカン

ボルネオ島の北、スールー海に面した港町サンダカンに日本人墓地がある。

太平洋戦争関係の墓ではない。

それよりもっと前、明治から大正、昭和初期にかけてこの地で亡くなった“からゆきさん”たちの墓だ。

サンダカンの町を見下ろす高台に彼女たちの供養塔があった。

“からゆきさん”―戦前の日本で十歳に満たない少女たちが海外に身を売られ、南方の娼館で働かされていた。そうした女性たちの過酷な生活と無惨な境涯を、天草で出会ったおサキさんから詳細に聞き取り綴った、底辺女性史の名著。

親や兄弟に売られ、ここサンダカンで体を売っていた日本の少女たち。ここ東南アジアだけではなく、遠くアフリカのザンジバルまで売られて行った“からゆきさん”たちもいる。

あれ?どこかで似たような話があったな…

1990年代、親の借金で売られてきたベトナムの少女たちが異国の地カンボジアのスワイパーで体を売ってたのと同じ構図じゃん。そしてそれを買うのは、まさかの『からゆきさんたちの母国』日本からやって来た年金ジジイという皮肉。

オラン・ウータン

サンダカンの郊外にセピロック・オラン・ウータン保護区がある。

4400ヘクタールの広さを誇る世界最大のオラン・ウータン保護区と聞いたが、そもそもオラン・ウータン自体がボルネオ島とスマトラ島の一部にしか生息していないんだから世界で比較しても意味なくね?

鬱蒼としたジャングルの中に、怪我をしたり、孤児になったオラン・ウータンたちを自然に返すためのリハビリテーションセンターがある。

想像と違って野生感がほぼないうえに、意外と子ウータンしかいなかったという…

スラバヤ動物園で大人ウータンを撮っておいて良かった。

まぁ、それを言い出したら日本の動物園でもオラン・ウータンを見れるから…オラン・ウータンを見るためだけにわざわざボルネオに行く意味はあまりなさそう。

フィリピン

サンダカンから急きょフィリピンに船で渡ることにした。

過去に現実感があまりない。つい昨日のことでさえ遠い昔のことのようにしか思い出せない。そして未来に関しても数カ月先までの漠然とした計画は一応あるものの、行動を決定づけるような計画に至っては長くて2日先までだ。その時その時の自分の気分で旅をしている。明日フィリピンのザンボアンガに着くが、明後日には自分がどこにいるのか今は予想もつかない。明後日の自分の気分次第だ。大体、このフィリピン行きだって全く予定していなかった。2~3日前に船があることを知り、船賃も安いので「行っちゃおうかな」というノリで決めた。

3カ月オープンの往復チケットを100リンギット(当時3000円)で購入。

3カ月以内には再びサンダカンに戻ってくるので、不要な荷物を預かってもらって身軽になってフィリピンを旅することにした。イリアンジャヤで買ったコテカとか、オーストラリアで買ったアボリジニのブーメランとか、バリで買ったバティックとか、どこかで買ったムダにでかい木製のビールジョッキとか、柳刃包丁とか…邪魔なやつを持って旅していたオレ。預けられるものは沢山あった。

当時、サンダカンとザンボアンガ間を就航していたのは『レディーメアリージョイ2号』。乗客はほぼフィリピン人で、マレーシアに出稼ぎに行っている人たちの足になっているようだ。

乗船していきなり驚いた。

サンダカンとザンボアンガを往復する船なのに、徳島市観光案内板が…

日清カップヌードルの自動販売機や、記念メダル刻印機までそのまま置いてある!!

当然のことながら全て使えなかったけど。

かつて徳島と大阪を結ぶ定期カーフェリーだった『あきつ丸』が払い下げられて、マレーシアとフィリピンを結ぶ“国際船”になっていた。

もっと驚いたのが寝る場所。カーフェリーの“カー”の部分にずらーっと並べられた2段ベッドがオレが買ったエコノミーだった。

そして、日本ではエコノミーだった船内の雑魚寝部屋はエアコンルームと名前を変えてワンランク上の扱いになっているという… まぁ、エアコンルームとは名前が付いてはいるけど、エアコンが壊れているから蒸し風呂状態で、果たしてどっちがいいか?というのは微妙なとこ。

“カー”の部分は風が当たるから暑くないけど、肌にべっとりとまとわりつく潮風というね…

また、インドネシアでの船旅との決定的な違いは、ショットガンを持った警備員が6~7人もエコノミーをウロウロしていること。

いよいよフィリピンか…

それを見て、いやがうえにもフィリピン行きを実感する。

防犯対策もあるだろうし、ソマリア海賊ほど有名ではないけど実はスールー海も海賊が出る海域だから海賊対策もあるのかも。フィリピンは町中のコンビニにもショットガンで武装した警備員がいたりして、初めて行った時はビックリしたもんだ。

ちなみに、オレにとってはこれが2度目のフィリピン。高3の時に一人でアジア6カ国を回った時、パキスタン航空のストップオーバーでフィリピンに寄っている。その時はフィリピン北部のルソン島だけしか行っていない。

当時の日記を読み返してみると…

ルカップという町で野宿していたオレはアルバートという人と知り合い、彼の家に泊まりに行っている。場所はルカップからバスで1時間半のところにあるダクパンというよく分からない町で、泊まった家はこんな感じ。

ここに11人家族で住んでいて、写真を見るとアルバートには弟や妹が沢山いたようだ。

ちなみに…ほぼ記憶にないという薄情なオレ。親切にして家に泊めてあげたくらいじゃ、すぐ忘れちゃうみたい。アルバート自身の写真はないので顔も覚えていない。バリクパパンのように寝込みを襲われてティンコをしゃぶられるぐらいしないと記憶に残らないのかも。

日記によると、アルバートは「マニラは治安が悪いから送っていく」とわざわざ5時間かけてオレと一緒にマニラまで付いてきてくれたようで…めっちゃ良い人だったっぽい。

2度目となる今回のフィリピンは、前回と反対にフィリピン北部ではなく最も南部のミンダナオ島の端にあるザンボアンガから入ることになる。

なお、オレが乗った『レディーメアリージョイ2号』は2006年に退役。その後継になった『ダニカ・ジョイ2号』は2016年9月22日に沈没しているが、799名の乗客はすぐに救助されて死傷者なし。そのため現在は『レディーメアリージョイ3号』が就航しているようだ。

この『レディーメアリージョイ3号』は、那覇と大東諸島を結んでいた初代『だいとう』だ。沈没した『ダニカ・ジョイ2号』は、フィリピンのこのブログによると神戸と愛媛を結んでいた『おれんじホープ』らしい。

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