青ヶ島の最後は、三宝港。
島生活の生命線にして、見た目は要塞というか秘密基地みたいな港。
そもそも船で行きにくい
海の中の大河『黒潮』の真っただ中に浮かぶ青ヶ島。
世界二大海流のひとつである黒潮は流れが速く、最大流速は4ノット。
つまり、青ヶ島のまわりは流れが速い。
一般的に島というのは風が強いらしいけど、伊豆諸島はその中でも風が強い方らしい。
年平均風速は東京24区の2倍以上。
つまり、青ヶ島は風が強い。
風が強いと・・・当然のごとく波の高さは年平均2メートル、冬は平均5~6メートル、台風時は10メートル。
つまり、青ヶ島は波が高い。
湿度は年間平均85%で、各月の平均でみても70%を下回る月はない。
つまり、霧が発生しやすい。
というわけで、青ヶ島に船で渡るのは遥か昔から大変なことで、今の欠航率50%以上などかなりマシになったと捉えた方がいいくらいかも。
『青ヶ島の生活と文化』には「青ヶ島の歴史は海難の歴史」って書いてた。
1474~1719年の246年間のうち青ヶ島の貢舟が八丈島へ無事に着いた回数は、1716年のただ1回だけ
海難史年表をみたんだけど、「行方不明」「暴風で漂流」「波で破船」「沈没」のオンパレード。
読んでて悲しくなるエピソードばかり。
明治22年9月:乗組員7名。
八丈島より青ヶ島へ帰航中に暴風に遭い三重県まで流され、海岸近くで大波で船体転覆。
船を修復し、翌年5月に八丈島まで戻り、八丈島より青ヶ島へ帰航中に暴風に遭い千葉県に流される。同年8月帰島。
八丈島から青ヶ島までのたったの70kmを帰るのに、三重県と千葉県を経由してるからほぼ1年かかってるというね・・・
全然ゴールできない桃鉄みたい。
青ヶ島は行くのも大変だが、着いてからも大変。
そもそも港を作りにくい
島全体が傾斜70~90度の断崖絶壁で囲まれているため、港が造れない。
あと、島自体が火山岩で出来ているからすぐ崩れるのも難点。
昔は神子の浦
江戸の時代から船着場だったのは神子の浦。
ヘリから撮った写真でやたらと狭い海岸が左下に見えるけど、ここら辺が神子の浦。
ちなみに現在は道が崩落しているから降りること出来ず。
集落から近いという点ではいいけど、船が来ても停泊して数時間とか、停泊できずに帰ってしまったりと不便このうえなかった模様。
約90年前に三宝へ
ということで、三宝(さんぽう)が次の港の候補に。
こちら三宝の海岸。
青ヶ島の風向きは南西からが多く、三宝は島の南西に位置するため風が強く吹きつける時が多くなっちゃって、そもそも港の条件としては悪いらしいんだけど、島の形状からここにしか造れなかったという・・・仕方なしの三宝港。
昭和7年、爆破した大岩を平らにして敷いて港っぽくしたもののすぐに大波で流され破壊。
ただ船着き場としては神子の浦から三宝に移ったらしい。
昭和35年、三宝港拡張工事を開始。
工事開始からわずか数カ月で台風による暴風&高波で港湾施設破壊。
昭和44年、三宝港工事中に落石があり作業員死亡。
昭和45年、豪雨で三宝港の裏の崖が崩落。
昭和50年、三宝道路が崖崩れで交通不能になり、5か月後には台風により三宝港擁壁が甚大な被害。
昭和51年、三宝道路が崩れて通行止めになったため食料などはヘリで空輸。
大千代港計画
やっぱ三宝は立地が悪い!!
と、三宝と反対側にある大千代という場所に港を建設することに。
国と東京都とタイアップして進めることになった大千代港の建設は困難な工事であるが、この港が完成すれば青ヶ島の海上交通は一段と便利になるはずなのである。『青ヶ島島史』
昭和53年1月大千代港工事に着手した。大千代港建設は大がかりな長期工事となるだろう。完成すれば、島の航路に画期的進展をみることになる。『青ヶ島の生活と文化』
実はこの2冊の本は、大千代港の工事が始まった直後に書かれた本なので期待にみちた内容になっております。
さて、昭和53年からすでに39年・・・
現在、崖が崩落して大千代港へは近づくことすら出来きず。
Photo by Charly W. Karl: CC BY-ND 2.0 via flickr
この写真で、手前の崖で白くなってるところ。
ここら辺の崖が丸ごと崩落していて、その下に見える大千代港には近づけない。
近くまでは行ってみたんだけど・・・
分かりづらいけど、見えてる道路のすぐ脇、黒くなってるところがガッツリ崖崩れでえぐられてる。
道路は右から来てカーブして左に下っていくんだけど、その先で道路自体も崩落。
どうやら平成9年に崩落したらしいので、かれこれ19年ほど大千代港には近づけない状態が続いている模様。
結局は三宝
そんなこんなで、もはや三宝港しかないんです。
外輪山の尾根を通って三宝港に行く道路は崩落して通れないので、池之沢から外輪山をブチ抜いた青宝トンネルを通ってくるのが唯一のアクセス方法。
青宝トンネルをぬけると、高架道路に出ます。
左側を見下ろすと、波をかぶる短い岸壁。
右側を見ると外輪山の崖が迫る。
クレーンは、漁船をつりさげて海面まで下ろす用らしい。
崖をコンクリートでガッチガチにしてるんだけど・・・
そのちょっと脇では崩落。
高架道路を進んで、クルッと回るとこんな感じ。
真ん中の道を下っていくと岸壁に出ます。
本当は岸壁から三宝港の全容を写真撮りたかったんだけど、定期船が欠航したくらい波が高い日でさすがに岸壁には近づけず。
上の写真では見えないけど、道路の高架柱の裏側には待合室があります。
高波で破壊されて廃墟だけど。
昔はここの屋上にセルフサービスの温泉があったらしいんだけど、今はごらんの有様。
今の待合所は高波も届かない(であろう)高い場所にあるんだけど、崖に近いので落石防護仕様。
崖側の壁がすんごい厚さのコンクリートになっております。
今までに総工費120億円くらいかかってるみたいですよ。
ずーっと船が接岸できない港だったので、沖合に船を停泊させて手漕ぎのはしけ(小舟)で船と三宝港の間をピストン輸送していたのが・・・
昭和39年、はしけが手漕ぎからエンジンにグレードアップ!!
そして平成12年、ついにはしけが必要なくなり、船が直接接岸できるように!!
それまではしけを使っていたのは日本で唯一青ヶ島だけだったそうで。
こうして船が直接接岸できるようにするための160mの防波堤を造るために要した年数は14年。
これだけで事業費87億円。
ここまでしても船の欠航率が50%超って、どんだけ秘境なんだよ!!って感じ。
ヘリコプターが就航するまでは本当に秘境だったんでしょうね・・・