第33話に続く最終話。
前回は、ババを引いたり引かせたりの話。
今回は、蹴ったり蹴られたりして日本に帰国した話。
上海
ついに日本に帰国するチケットを買った。
南アフリカのケープタウンを発ってから1年11カ月。
日本を出た時は19才だったオレも、もう29才になっていた。
内陸の西安から16時間かけて一気に沿岸部まで移動し、上海に到着して早々に1週間後の日本行き国際フェリーのチケットを取った。
上海発大阪行きの蘇州号に乗って日本に行き、オレの海外生活は終わる。
少し気持ちが高ぶっていたせいもあると思うが、気が早いことにチケットを買ったその足で帰国に備えた買い物をすることにした。
服や靴を新しく買い揃えてきれいな格好で帰国したい。
出会い
買ったばかりの蘇州号のチケットを手にしたまま、上海随一の繁華街である南京路で服を探した。
スニーカーはアディダスが欲しいな、と思いながらショップを探しているとあった!!
近づいてみると、アディダスじゃねぇ!!
あぶねー、遠目ではアディダスのマークに見えてたから、気付かずに買い物してたら全身wandanuで日本に凱旋するところだった。
アディダスもどきのワンダヌショップの前で佇んでいると、20代前半くらいの中国人女性に声をかけられた。
中国語で話しかけられたので「中国語は話さない」と言うと、英語に切り替えて「あなたはどこの国の人?」などと言ってくる。
こいつは素人ではないな
と、直感した。
彼女は「昨日、青島から上海に遊びに来た」と言うが、試しに本物のアディダスの路面店はどこにあるか聞いてみたところ「あっち」と即答してくれた。
あら、昨日来たばかりなのにずいぶんお詳しいこと。
さらに彼女は携帯で友だちを呼び、やはり20代前半と思わしき「一緒に青島から遊びに来た」という日本語を少し話す女性が数分後に合流。
日本語を少し話すのは「日本が好きだから」だそうだ。
基本的に、怪しいやつらは偶然を装って接触してくるが、その偶然が不自然。
さらに最初の接触から仲良くなろうとするまでの持ち込み方が少し強引で不自然。
オレだったら…最初の接触でインパクトだけ残してすぐに別れて密かに尾行、少し時間をおいて偶然の再会を装って二度目の接触をした方が「あれ?さっきの?」となって、もう少し自然だと思うけど。
彼女たちの狙いは何だろう?
美人局かな?
10年の海外生活で色々と体験してきたが、残念なことに美人局にかんしては未体験。
美人局ってどんな感じなんだろ? 「なにオレの女に手を出してんだ!」とか死ぬほどダサい脅し文句をホントに恥ずかし気もなく言ってくるのかな?
でも美人局って、夜じゃなくてこんな真っ昼間からやるもんなのか?
少しワクワクしてきたオレは彼女たちに付き合ってみることにした。
日本帰国のチケットを手に入れたことと、初美人局体験の可能性に、少し舞い上がっていたことは否定できない。
コーヒーショップ
連れて行かれたのは、南京路の入口に建つ上海世茂国際広場。
国際広場という名前だが高級ホテルとショッピングモールが合体した複合施設だ。
高さ333.3mの超高層ビルで、高層部にはマリオット系列のル・ロイヤル・メリディアン上海(2022年からコンラッド上海)が入っていて、低層部は大型ショッピングモールになっている。
彼女たちに連れられてはじめて入ったが、モール内は開放感に溢れ、多くの買い物客たちで賑わっていた。
出典元:世茂集団
てっきり路地裏の怪しいバーみたいなところに連れて行かれるとばかり思っていただけに、少し拍子抜けした。
一度ちゃんとしたところを挟んでオレを安心させて、完全に気を緩めた状態にしてから本題に入っていく回りくどいパターンかしら?
連れて行かれたのは、モールの3階にあるコーヒーショップ。
オープンな感じの小ぎれいな店だった。
席に座って落ち着いてから、改めて店内を見渡した時にはじめて違和感を覚えた。
どのテーブルを見ても、ひとつの法則性があった。
あっちのテーブルも…そっちのテーブルも…男性客はどうも全員日本人っぽい。
きっと20代であろう2人組は旅行者だろうか?
あっちの40代くらいの人は海外出張で来ているサラリーマンだろうか?
そして、その日本人男性客たちのテーブルには必ず中国人と思わしき女性がいる。
店内にいた4~5組のグループ全て、日本人男性と中国人女性という組み合わせだった。
なにかおかしいぞ…
これは絶対に偶然なんかではない。
偶々入った異国のカフェで、男性客が全員日本人なんて出来過ぎている。
あれ?美人局だと思って女の子たちにホイホイ付いてきたが…
ル・メリディアンの下にあるショッピングモール内だから何の疑問も抱かなかったが…
どうやら読みを誤ったかな?
オレの第六感が危険を感じていたが、まだ疑念だけで確信がない。
後になって思えば、違和感を抱いた時点で席を立っていれば良かったのだが、疑念を疑念のまま終わらせるのがイヤだったオレは「正解を確認したい!」という気持ちの方が勝ってしまい、席を立つという選択肢は頭に浮かんでこなかった。
1杯30元(当時約470円)のコーヒーを頼むと、頼んでもいない特大フルーツ盛り合わせや、大盛りのおつまみセットが出てきた。
もしかして、これは日本人男性をターゲットにした日本人ホイホイ的ぼったくりコーヒーショップなんじゃ…
うわぁ…どうしよう?
素早く頭の中で対処法を考える。
海外生活10年の経験を全て結集させ、オレの持てる限りの思考力でこの危機から脱出する天才的な方法を思いついてやる!!
と、思ったのだがホントな~んにも対処法が思い浮かばなかった。
あまりに何も思い浮かばなかったので、潔く考えることを止めた。
思考を停止してしまえば、もはや心をかき乱すこともない。
無の境地!!
一切抵抗せず流れに完全に身を任せることにした。
彼女たちは、やたらと“男女”の話をしてくる。
それと同時に「あれ頼んでいい?これ頼んでいい?お酒も飲みましょ?」と聞いてくる。
なるほど、男性の「もしかしてこの後に…ムフフ」という下心と、「女性たちにいいところを見せたい」という虚栄心を同時に刺激する作戦ね。
小賢しいガキどもがっ!!
もちろん「いいよ!好きなの頼みな!」と全て受け入れた。
そもそもの話…
オレはお金をほとんど思っていなかった。
カード類は持ち歩いていないし、蘇州号のチケットを買ったり、いくつか買い物したばかりで4,000円しか持ち合わせがない。
この際だから…
少なくとも所持金以上は飲み食いしてやろうと思った。
食べ放題・飲み放題に来たと思えばいい。
そんなわけで、勧められるものは全て受け入れ、出された酒は全て飲んだ。彼女たちはもはやオレに聞くこともなく勝手にウィスキーをバンバン頼んでいたが、もちろん全部飲んだ。
そして会計の時。
出てきた請求書には6,000元(約9万5千円)と書かれていた。
ビンタ
うわぁ、美人局じゃなかったかぁ…ぼったくりコーヒーショップが正解だった!!
正解を確認できて個人的にはもう満足したのだが、この後が大変だった。
請求書を持って来た店長風の年増の女に伝えると、中国訛りの日本語でこう言われた。
初めて聞く斬新な日本語!!
己の身に暴力を欲するほどMっ気があるわけではないが、暴力すらすんなり受け入れたオレに年増女は命令した。
仕方ない…虎の子を出すか。
大人しく250元とは別の札束を年増女に差し出した。
1,000トルクメニスタン・マナト(約5円) 60ベラルーシ・ルーブル(約3円) 100ウズベキスタン・スム(約9円) 80ザンビア・クワチャ(約2円) 50セルビア・ディナール(約90円) 1沿ドニエストル・ルーブル(価値ゼロ)
なかなかのボリュームはあるが、価値としては合計100円にも満たない強盗対策用のオレの虎の子を差し出した。
なぜかチラっと見て、ポイっと捨てられてしまった。
沿ドニエストル・ルーブルに貨幣価値はないが希少価値はあるぞ!
こいつ…ホントに金を持ってないのか?!と、引く年増女。
ぼったくりコーヒーショップに、大金持ちかのように注文しまくって飲み食いしたくせに金を持っていない無銭飲食もどきが来た…という、どちらが犯罪者なのか分からない状況。
なんとなくだが…ここは問題視するポイントをずらして、ぼったくり請求については一切無視して、お金がないにもかかわらず鬼のように飲み食いしたオレが悪い!という設定がいいような気がした。
店が加害者でオレは被害者なのではない!オレこそが加害者で店は被害者だ!
オレがそう言った時の相手の反応を見て、この設定でいけそうと思ってしまった。
表には出さなかったが、警察に行って問題化することを間違いなく嫌がっている。
5人の若い男性店員たちがワラワラと集まってきたオレを取り囲むと、年増の女店長がオレに向かって言い放った。
いや…急に自分の知り合いを発表されましても…
こっちは「オレを警察に突き出せ」と言ってるのに「ヤクザが知り合い」という返しは噛み合ってない。
警察に突き出されたがる男 vs 知り合いの職業を突然告白する女
この謎の状況に一番慌てふためいていたのがオレをこの店に連れてきた女の子2人だった。こんなことになるとは予想していなかったようで、半泣きになりながら言ってきた。
そう、本当はここで終わらせることが出来ていたのだ。
それを…なぜか『何が何でも警察に突き出されないと気が済まない男』モードのスイッチが入ってしまっていたオレは、警察に突き出されることに固執してしまった。
完全にオレの失敗である。
そんなオレを、体格の良い強面店員のお兄さんが「よしっ、じゃあ警察に行くぞ!」とグイッと力任せに引っ張った。
ここだけの話、オレは引っ張られるのがめちゃくちゃ嫌いだ。
押されるより、引っ張られる方が断然イラつく!!
英語でFワードを混ぜて言ったら、なぜか「何っ?!もう一度言ってみろ!」と蹴られた。
リクエストに応えて言い直してあげたところ再び蹴られた。
ここからはカオスであった。
年増の女もギャアギャアわめいてうるさかったので…
英語でBワードを混ぜて言ったら、なぜか…
ビンタされたっ!!
えぇーっ!!今まで女性に一度もビンタされたことがないのに!!
ビンタされるようことを人生でしたことがないので当然といえば当然だ。
そんなオレの記念すべき初ビンタが、上海のぼったくりコーヒーショップのババア!!
※ちなみに、その後もビンタされていないので今のところ人生で唯一のビンタだ。
“女性の私”なんてわざわざ女性性を強調してくるから笑ってしまった。
そこからさらにオレが火に油を注ぐようなことを言ってしまい、5人の男性店員から胸ぐらを掴まれて壁ドンされ、何やら色々と脅し文句らしいことを言われていたが…幸か不幸か中国語がさっぱり分からないので脅し文句と決めつけてしまうのもよくないかもしれない。
シチュエーション的に「コンクリート詰めにして東シナ海に沈めんぞ」とか言われてそうってだけで、実際は胸ぐらを掴んで「おまえ、すごくお肌がスベスベだな!」と褒められていた可能性はないだろか?
だって、中国語で何を言われてたかなんて分からないから。
騒ぎに乗じて、オレを店に連れてきた女性2人は逃げていなくなっていた。
店で大騒ぎになったせいか、ショッピングモールの警備員が来ていた。
大ごとになってきたからなのか、飽きてきたからなのか、店員たちに「もう行け」と言われて解放されたオレを警備員が離れたところに連れてゆき「あの店には近づくな」とジェスチャーで伝えてきた。
目には目を、歯には歯を
さすがに疲れたな…
ショッピングモールの外に出て、とりあえずタバコでも吸おうとタバコを口にくわえるが、ライターがない!
あの店に忘れてきた…
仕方がないから「ライター忘れちゃったみたい」と戻った。
そしたら、さきほど買ったばかりの上海の地図も忘れていて「おぉ、すっかり忘れてた!」と返してもらったが、肝心のライターがない。
結局、先ほど揉み合った店員からライターを貰った。
ちなみに、後でポケットの中を探ったらライターはあった。
一服しながら、どうしようか?考える。
250元(約4千円)を取られたことはどうでもいい。
どうでもいいというか…払って当然だ。
だが、あの店員がオレを蹴ったことはなんか腹が立つな。
年増女のビンタは…許す!!
在上海日本領事館に電話をして、最寄りの警察署の住所を聞いた。
ついでに「中国の警察ってどうなんでしょう?」と聞いてみた。
警察が腐ってるような国だと、裏でぼったくりコーヒーショップと繋がっていて警察に行っても無意味だったりすることがあるから、もしそうなら行くだけ時間と労力の無駄だ。
すると「少なくとも上海の警察はまとも」との返答。
領事館の人によると上海では暴力バーが流行っているらしく「注意を呼びかけているんですけど…」と言っていた。
共産党独裁国家だから、プロレタリアート人民によるブルジョアジーの手先どもを暴力で粉砕するコンセプトのお店が流行ってるのかしら?
教えられた住所の警察署に行き、英語を話す警官に通訳してもらいながら怖そうな顔の警官に経緯を説明する。
彼は別の仕事をしながらこちらを見向きもせずフンフン聞いているので、オレが一方的に話した。
その後、放置プレイ。
あれ?質問とかしないの?
ボーっと警官たちに囲まれながら、何がどうなっているのかも分からないまま待っていると、スッとオレの隣りに立った人がいる。
ん?見たことがある顔だな…
と思ったら、オレを蹴ったあの店員じゃねーか?!
何だ、この手際の良さは?
完全に常習犯で、警察も直ぐ誰と特定出来るんじゃねーか?
店員は、いきなりオレに250元を返してきた。
が、「金は要らない」と突き返す。
すると店員は「何だ?!お前は何がしたいんだ?!」と声を大きくした。
「オレも酒をカパカパ飲んじゃったしお金は仕方がないと思ってるけど、お前がオレを蹴ったことが許せん」と言うと「じゃあ、何だ?!何がしたい?!」と聞いてくる。
「じゃあ、オレと寝ろ!」と言ったら、こいつビビるかな? でも「いいよ」って言われたら、今度は逆にオレがビビるしな…などと考えていると、「どうしたい?オレを蹴るか?!」と向こうから提案してきた。
おっ、それいいね!!
ハンムラビ法典みたいだ。目には目を、歯には歯を、蹴りには蹴りを!
「何発、オレを蹴った?」と聞くと「3発」と言う。
そんなに蹴ってたんかい!! 2発は覚えているが3発目は知らんぞ。
警察からもOKが出たので、全身全霊のローキックを3発蹴らせて頂いた。
オレのローキックを見届けた警官が「よしっ、これで終わりだ!」と事件の終息を高らかに宣言し、店の名前を書いた紙を破り捨てろと指示された。
そして、なぜか店員と握手するよう促された。
一度は断ったものの「やっぱり返せ」と250元を返してもらい、警察署で店員とは別れた。
結局タダで酒をいっぱい飲ませてもらった。
何だか、今日は濃厚な一日だったなぁ~
と思いながら、警察署から地下鉄駅に向かっていると女性2人組に中国語で話しかけられた。
「中国語は話さない」と言うと、いきなり英語に変わり「この辺りに本屋さんはありますか?」と聞いてきた。
えっ?外国人に聞きます、普通?
だが、心優しいオレは地図を買った本屋さんを教えてあげた。
すると「一緒にお茶でも…」と誘われた。
もういいって!! もう一回あの店に連れて行かれたら店員たち皆ビックリするかな?と、ちょっとだけワクワクしてしまったが、さすがに連続はしんどい。
後日また南京路を歩いていたら、オレをぼったくりコーヒーショップに連れて行った女性を見つけた。
聞きたいことがあって声をかけたが、走って逃げて行ってしまったので聞けずじまい。
予想で話をすると、たぶん女性たちは町中でカモを見つけてお店に連れて行くとキックバックが貰えるシステムなんだろうとは思う。
「これ頼んでいい?あれ頼んでいい?」とやたら言ってたということは、売上の何パーセントをバックするみたいなシステムになっていそう。
そこら辺のパーセンテージなどの詳しい話を本人に聞きたかったんだけど、走って逃げられたので不明。
最後の船旅
上海国際フェリーターミナルから蘇州号に乗り込んだ。
乗客はほとんどおらずガラガラだったが、2024年現在は旅客輸送サービス自体を中断してしまっているようだ。
上海を出港して11時間後に「時計を1時間早めて日本時間に直して下さい」と館内放送があった。どうやら日本の海域に入ったようだ。
翌日、陸地が見えていた。
船員に聞いてみると、見えているのは五島列島だと言う。
船は五島列島の西を北上し、関門海峡を通って瀬戸内海に入り、四国を右手に見ながら大阪に向かうという。
上海を発って46時間後、大阪港国際フェリーターミナルから日本に上陸して旅は終わった。
これが南アフリカから日本までのルートだ。
通ってきた国と地域は以下の通り。
- 南アフリカ
- ジンバブエ
- ザンビア
- タンザニア
- ブルンジ
- ルワンダ
- ウガンダ
- ケニア
- エチオピア
- ジブチ
- イエメン
- オマーン
- UAE
- エジプト
- ヨルダン
- シリア
- トルコ
- ギリシャ
- アルバニア
- マケドニア
- コソボ
- モンテネグロ
- クロアチア
- ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
- スロベニア
- イタリア
- オーストリア
- ドイツ
- チェコ
- スロバキア
- ポーランド
- リトアニア
- ラトビア
- エストニア
- フィンランド
- ロシア
- ベラルーシ
- ウクライナ
- モルドバ
- 【自称国家】沿ドニエストル
- ルーマニア
- ハンガリー
- セルビア
- ブルガリア
- グルジア
- 【自称国家】南オセチア
- アゼルバイジャン
- アルメニア
- 【自称国家】ナゴルノ・カラバフ
- イラン
- トルクメニスタン
- ウズベキスタン
- タジキスタン
- キルギス
- カザフスタン
- 中国
- 日本
南アフリカから日本まで52カ国3地域を通った。
『モスクワの変』以来、牛歩戦術で粘りに粘った末に帰国したが…
帰国から1カ月も経っていない住所不定無職の状態で入籍することになった。