人生再設計第一世代

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「へぇ~」と思いながら読んだネット記事がある。

『わたし、定時で帰ります。』はゆとり世代のある問いから生まれた

なんでも、最近ドラマになったやつの原作者が書いたらしい。

「へぇ~」と思ったのは、「上司の言いなりになって働く」とか「長時間労働体質」とか自分とは違う世代、というか自分よりも上の世代の話のように感じながら読んだからなのだが、読み終わった後にフッと調べてみたら驚愕の事実が…

オレ、原作者の朱野帰子さんと同学年かひとつ上ですわ!!

ゴリゴリ同世代の話だった…

「○○世代」とカテゴライズした時に、実は自分も「就職氷河期世代」だというのをすっかり忘れていた。

“就職活動”を経験するような年齢の時期に日本にいなかったせいもあり、オレ自身は正直いうと当事者感は全くなく、「あなたは就職氷河期世代です!」と言われても「へぇー」と他人事のように捉えてしまう。

なにやら、今月になって政府が「就職氷河期世代」の呼び方を「人生再設計第一世代」にするという報道が出ていて、他人事のように思っていたが…

え?オレ、人生再設計第一世代なの?!

なんだそれ、だっせー。

オレ自身はというと、同世代であるはずの朱野帰子さんのように「上司の言いなりになって働く」とか「長時間労働体質」とは真逆の労働思想を持っている。

別に、どっちが進歩的とか、どっちが仕事に対して美学に持っているとか、そういう話をしたいわけじゃなく、単純にそれぞれの思想を抱くに至った背景が違うだけの話だろう。

オレの労働思想は、間違いなく台湾華僑の下で働いていた時期に形成された部分が大きい。

それは、オレにとって“きちんとした形で”就職した初めての会社だったというのもある。やはりある程度の齢を重ねて何かしらの色に染まった状態での経験よりかは、あまり色に染まっていない若い状態での経験というのは思想を形成するうえで影響を受けやすい。

働き始めた時、一番最初にはっきり言われた。

“頑張り”とか過程は一切評価しない、評価するのは結果だけ
別に昼間から女の部屋に行っててもいいよ、売って数字さえ出してくれれば

まぁ…これもこれで極端ではあると思うけど、とにかく結果しか評価されない中での働き方がオレの思想のベースにあるのは間違いない。

働いているうちに、最小の労力(労働時間)で最大の結果を出す“上手い方法”はないか?と色々と考えるようになる。自分の体はひとつしかないから、幾ら営業で走り回っても限界がある。タイ全国をオレひとりで…となると、いくら“頑張った”ところで結果は知れてる。じゃあ、広告宣伝を打とうとか、商社を使って販路を拡大させようとか…とにかく効率的に結果を出す方法ばかりを考えていた。

究極のところ、楽して結果だけ出したい!という一心である。昼間から女の部屋にしけこみながらも数字だけは出したい!という一心である。

もちろん、考えたことを好きなようにやらせてくれる裁量を与えられていたことも大きい。その代わりめちゃくちゃドライで、数字を出していなかったら簡単にクビを切られる。

あと、華僑は売上至上主義ではなく利益至上主義であった。だから、オレも好きなように広告宣伝を打ちながらも費用対効果をものすごく気にしていた。コスト意識だって、ある意味で「楽して(少ないコストで)結果は出したい!」という考えだ。

もちろん職種の違いがあるのは分かっている。営業だったオレと、朱野さんのように事務系ではかなり違うだろうし、エンジニアにはエンジニアの環境がある。ただ…「楽して結果だけ出したい!」と育ってしまったオレ的には、どうしても長時間労働がものすごく非効率なものとして刷り込まれてしまっているのだ。

そんなわけで、突発的な業務量の増加で残業をするのは全然問題ないが、残業が常態化となるとちょっと意味が分かんない。

「イヤだ」って普通に言っちゃう。

人間の集中力の持続時間を考えれば、長時間労働をすればするほど(生産量じゃなくて)生産性は下がると信仰しているから、自身の思想に基づく良心的残業拒否。そんな生産性悪さげな働き方は良心が許さない。

「人数が足りていないんだから仕方がないじゃない。あなたが残業しないと回らないんだから」と言われたら、こう言ってやればいいと思う。

え?旧日本軍の方ですか?

業務の改善の余地があるのに無駄があることで残業が発生しているのだったら、まずは無駄を省くべき。

もう改善の余地もないのに、残業が常態化してしまう状況なら…

それは必要な人的リソースを確保できない、もしくは正しく配置できていないマネジメントの責任

そんなマネジメント側の問題を現場に押しけるのは完全なる責任転嫁だと思うけどね。

やってることは旧日本軍と一緒じゃん。本来はマネジメント(指揮官)の問題なのに現場(最前線の兵士)が「何とか頑張ろう!」と精神論に走って負けたんだろ?

「残業しないから仕事が回らない?まぁ、回らないのは仕方がないね」という話なのだ、本当は。「仕方ない…」と諦めるのは現場ではなくマネジメント側の話なのだ、本当は。

とは言っても…普通は会社のマネジメント陣に面と向かって旧日本軍呼ばわりするのもなかなかむつかしい。

なぜか?

「貴様、上官の命令に従えないのかっ?!」と、旧日本兵の疑似体験をする羽目になる可能性が大なのと…もうひとつ。

朱野さんが答えを書いている。

生き残るために、たどりついた答えは、ただひとつ。上司の言いなりになって働くこと

「生き残るために…」と書いている時点で、会社に身も心も依存している。上司の言いなりにならないと、長時間労働をしないと生き残れないと思っているから、生き残るためには自分は会社に依存しないといけないんだ、と思い込んでいたわけだ。

個人的に依存は弱みにしかならないと強く思ってる。

逆説的だが、会社を作った時に痛感したのだ。

生まれたての小鹿より足をプルプルさせて、ちょっとでもタックルされたらすぐ潰れちゃうくらい不安定なのが会社の立ち上げ段階なわけで…足腰がしっかりするように成長するまでに、どうしても従業員の働きに依存せざるを得なかった。

最初の営業は結果を出さなかったので3カ月でクビにした。彼が売上ゼロ=会社も売上ゼロ、なのだ。もう足のプルプルが超音波レベルの振動になっていく。2人目の営業で何とかプルプルが収まってきたが、依然として会社が彼に強く依存していたのは紛れもない事実だ。たった一人だが、急に抜けられたらプルプルを通り越してパタンッと倒れちゃう一蓮托生の関係は危険過ぎる。

だから、特定の個人が会社に与えるインパクトをいかに小さくさせるか、会社として特定の個人に依存しなくともやっていけるようにしなければ!という視点があった一方…オレは華僑の会社で「オレ様がいなかったら困るだろ?!」となるくらい、会社における自分のインパクトを大きくしたい、会社が従業員である自分に依存するようになればいいという野望も持っていた。

その時に思ったのだ…本来は、お互いがお互いに「依存させよう」「依存しまい」とするせめぎ合いが相乗効果を生んで成長に繋がるんじゃねーか?と。それこそ対等な関係なんじゃねーか?と。

もしくは…お互いに依存し合わない関係ね。

従業員5人の会社なら1/5のインパクトだが、従業員1000人の会社なら1/1000のインパクトしかなく、まさしくただの“歯車”でしかない。会社は大きくなるごとに特定の個人に依存しなくても済むようになってゆくのだ。

そっちがそうなら、こっちもこっちで会社に依存しない!というのが理想形。

実際には、普通の会社員は全収入を会社からの給料で賄っているからどう考えても生活を会社に依存しているんだけど…そこは別に、はったりでも構わないと思ってる。

「え?オレ、全然依存してませんけどっ!」

「会社を辞めても全然困りませんけどっ!」という体で、昔のことだが給料を30%上げてもらったことがある。日本で。

「あっそ、どうぞ」って言われる可能性もある中、ハイリスクハイリターンで試してみた。

案外はったりでもいけるもんだな…とは思ったが、試すなら自己責任でお願いします。

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