不定期読書記録。
ミルトン・オズボーン著『シハヌーク 悲劇のカンボジア現代史』
オーストラリアの元カンボジア駐在外交官が書いた本。
まだシハヌークが存命中だった1994年(日本語訳は1996年)に出版されているので、絶版なのか?古本でしか手に入らなかったが、シハヌーク中心で見たカンボジア現代史として考えると古さは気にならない。
「天才的ばか」という章もあるくらい、この本ではシハヌークを批判的に書いているが、著者も「率直に書こうという意欲がそがれるからシハヌークに目を通してもらうことも助言を求めることもしなかった」と前書きで書いている。
シハヌークの功績を多角的にみる意味で言えば、評価している本だけじゃなく、こういう批判的な本も必要かと。
文中でシハヌークを直接的にバカ呼ばわりしているわけではないので、正確な「天才的ばか」の意味するところが分からないが、著者もシハヌークを単純にバカだと思ってるわけではないと思う。
オレの解釈だけど。
ある種で天才的なところはあるけど、ダメダメな側面もあるみたいな意味かな?
だって、18才で国王に即位してからフランス植民地時代、日本占領時代、独立、ポルポト時代を生き残ってまた王制復活するって…しかもいつの時代もキーパーソンであり続けたって、ただのバカならムリかと。
そういう自分の身の振り方というところでは“天才的”な嗅覚の持ち主ではあったんだろうけど、支配者としてみると“バカ”評価みたいな?
そもそもシハヌークは国家の問題にあまり関心がなくて、女遊びに忙しかったらしい。
シハヌーク自身「遊び過ぎといわれた方が男色者か性的不能者といわれるよりまし」と言っていたくらいやりまくりだったみたいで、自分の叔母さんとか従姉妹にも手を出している。
「当時の王族の間で流行っていた」と書いてあったが、近親相姦は流行っちゃいかん!
曾祖父は数百人の女を王宮に連れ込み、祖父は妻だけで60人いたのと比べれば、シハヌークはおとなしい方だとも書いていたけど。
隣国ベトナムでの内戦の影響を受けて問題が山積みになると、現実逃避のため自身で脚本、監督を手掛ける映画を3年で9本もつくったくらい映画製作に没頭。
映画撮影のために軍のヘリコプターの一群を動員したため、タイとの国境紛争で負傷したカンボジア兵は撮影が終わるまで負傷者救出用のヘリコプターが来るのを待ってないといけなかったとか。
ちなみに、映画は“途中で席を立ちたくなるくらい”アマチュア映画でつまらないらしいが、シハヌーク自身は芸術的で優れていると思い込んでいて、批判すると追放されたらしい。
自分でプノンペン国際映画祭を主催して、自分の映画をエントリーして、自分の映画に最優秀賞であるゴールデンアプサラ賞を受賞させてたみたい。
どんな映画を作ったんだ?と思って調べてみたら、基本的には自分の家族や友だち、取り巻きなどを起用したド素人が出演する映画で、逆にどんな演技をしているのか興味は湧く。
かなりヤバそうではある。
シハヌークの長編映画での監督デビュー作は1966年製作『អប្សរា(アプサラ)』らしいが、主役に抜擢されたのはカンボジア軍の将軍にして、首相代行や財務大臣、外務大臣を歴任したニエク・トゥロン。
俳優じゃなくて、軍人政治家のおっさんが主役!!
お友だちキャスティングじゃん。
1969年製作『សន្ធិប្រកាស(夕暮れ)』では、なんとシハヌーク自身が主役を演じている! アンコール遺跡を舞台に、自分と女性2人との三角関係を描いたラブストーリーで、ヒロイン役には自分の嫁(王妃)を起用。
一応それとなく調べてみたら見つけちゃった!!
冒頭で出てくるスーツ姿の男がシハヌーク、車に乗って登場する女が嫁のモニーク。
1969年、ベトナム戦争が激化し、カンボジアを含む周辺国にも戦火が拡大して第2次インドシナ戦争の様相をていしていた国際情勢の中で、現実逃避したくなって主演と監督をつとめた映画である。
この翌年、子飼いのロン・ノル将軍がクーデターを起こしてシハヌークは追放される。ロン・ノルを映画に出してやらなかったから拗ねてクーデター起こされたんじゃねーの?
追放されたシハヌークは、これまで自分が徹底的に弾圧してきたクメール・ルージュ(ポルポト派)と共闘してロン・ノルと戦うことに…
ちなみに、1960年代のモニーク王妃は利権でぼろ儲け、シハヌークの母親コサマック王太后は首都プノンペンの売春宿からのみかじめ料を独占してたっぽいから、今も続く権力者による利権と汚職ってカンボジアの伝統みたいだ。
読後の感想としては以下の言葉に同意する。
結局、シハヌークの行動なり決断がカンボジアの政治的難題をつくり出したのである。だが、だれか、カンボジアをもっとうまい方法で運営できただろか
根本敬・粕谷祐子編『アジアの独裁と「建国の父」 英雄像の形成とゆらぎ』
人物評伝ではなく、権威主義体制の維持という観点から「建国の父」というシンボルをどう利用したか?というアジア近現代史における比較政治論。
要するに、政権が正統性を国民にアピールするのに「建国の父」をどう使ったか比較。
毛沢東(中国)、金日成(北朝鮮)、ホーチミン(ベトナム)、カリモフ(ウズベキスタン)、ニヤゾフ(トルクメニスタン)など出てくるが、オレ的に一番わかりやすい例だったのはアウンサン(ミャンマー)。
独立に尽力していたアウンサンは独立直前に32才で暗殺される。
若くして非業の死を遂げている(本人はもういない)ってところで、「建国の父」シンボルをどう利用するか?その時々でゆらぎが如実に出てる例。
独立直後は、内戦で大変だったのでアウンサンを「諸民族の団結を促した人物」として偉業をアピールすることで利用したけど、特に神格化したり政権の正統性に利用してはいない。
国軍がクーデターを起こしてネ・ウィン将軍が軍事政権を樹立すると、アウンサンを「建国の父」であり「国軍の創設者」として大々的にアピールして“あのアウンサンが作ってファシスト日本と戦ったオレたち国軍”的に自分たちの正統性に利用。
そしたら、大規模民主化運動が起こってアウンサンスーチーが登場。
そもそもアウンサンの娘だし、その娘が「アウンサンが作ったのは国民を守るための軍であって国民を抑圧する軍ではない」と言い出して国軍を否定したもんだから…
国軍は急にアウンサン利用を控えだして、国営メディアではアウンサンスーチーの名前からアウンサンを省いてスーチー呼ばわりするように。
議会制民主主義が導入されると、再びアウンサンは「建国の父」として復活。
2021年に再び国軍がクーデターを起こして、今も続く内戦の混乱があってアウンサンをどう利用するかどころじゃないが、もう国軍側はアウンサンを利用できないだろうな。
もし将来的に今の国軍が解体的再建されるようなことがあれば「旧国軍とは違ってオレたちはアウンサンの想いを継承した真の国軍だ!」的にまたアウンサンを利用し出す可能性はありそうだけど。
アウンサンという同じ人なのに、政権によって扱い方をコロコロ変える“英雄像のゆらぎ”。
なんとなくだが…アウンサン・ブランドの利用履歴を見るかぎり、どちらかと言うと「建国の父」アウンサンになんとな~く民主的“風”なイメージが付き出してきちゃって(本当はどうか?なんて本人が死んでるから誰も分からない)、権威主義的な政権はアウンサン・ブランドを使いづらくなってる気もする。
ちなみに、カンボジアのシハヌークも一章を使って取り上げられている。
シハヌークの場合「オレは建国の父か?」国民投票を実施して、99.8%の圧倒的賛成で「建国の父」になった。
もし反対票を投じたら国王に対する不敬罪で有罪にするという脅し付きで、治安警察に監視されながらの投票だけど。
そもそも「国王」って時点で正統性はあるのに、承認欲求の塊のシハヌーク監督はそれに加えて「建国の父」と「クメール朝の王の末裔」のトリプルで正統性アピール。
もちろん「クメール朝の王の末裔」は自称。滅亡してるからな、クメール朝。