ハドラミー

スポンサーリンク

南アフリカから日本までの帰国旅の話を書いている中で、書こうと思ったけどオレの旅に関係ないし話が長くなるので止めた小ネタを何回かに分けて放出。

イエメン

現在ハドラマウト県という行政区画もあるが、歴史的にはイエメン東部と現オマーン西部の一帯をハドラマウト地域と呼んだ。

内陸部はほぼ砂漠地帯で、名物はとんがりコーン女子。

Embed from Getty Images

このハドラマウト地域は歴史的に移民を多く出している地域で、ハドラマウト・ディアスポラ(ハドラミー)は世界中に分散している。

有名なところで言えば、ウサマ・ビンラディンのお父さんとか。

ウサマ・ビンラディン自身はサウジアラビア生まれだが、お父さんはハドラミー。サウジアラビアに移住して大財閥ビンラディン・グループを一代で築き上げた超大金持ち。

実は、世界で最も多くのハドラミーがいるのがインドネシアだ。

アラブ系インドネシア人という呼ばれ方をしたりするが、その数300万人とも言われている。

東アフリカやインドにはもっと昔から移住していたみたいだが、18世紀頃から東南アジアにも移住していてシンガポールやマレーシアにいるアラブ系はハドラミーが多い。

インドネシアの元外務大臣アリー・アラタスもハドラミーの子孫。

海洋国家インドネシアだけあって、古の時代から海流に乗った人の往来が活発だったようだ。

アフリカのマダガスカル最大の民族グループであるメリナも、1世紀前後に海を渡ったインドネシア人の末裔で、マダガスカル語はマレー・ポリネシア語派に区分されてるし…

南アフリカ・ケープタウンに住むケープマレーも、“マレー”となってはいるが現在でいうインドネシア人(ジャワ人)がほとんどのはず。17世紀にオランダ東インド会社がケープタウンを建設して、そこにオランダ領東インド(現インドネシア)から奴隷として連れて来られた人たちの末裔。ケープマレー料理のソサティ(串焼き)はインドネシアのサテ(串焼き)みたいってのはあるけど、ケープマレーにアジアを感じるか?って言われると、オレは全く感じなかった。

そういえば、アラビア半島からイランに船で渡ろうかどうしようか迷っていた時に、イラン側の町がバンダル・アッバースで「おや?」となった。

なんでもバンダル・アッバースはペルシャ語で『アッバースの港町』という意味になると聞いて、さらに「あれあれ?」となった。

インドネシア語と一緒じゃん!!

インドネシア語のバンダール(Bandar)も『港』の意味だ。

インドネシアの島々を回るのにバンダールという単語は必要不可欠で頭にこびりついていたが、急にイランの地名で登場してしかも意味まで同じだったからビックリした。

調べたら、インドネシア語のバンダールはペルシャ語からの借用語だった。

ちなみに、ボルネオ島にあるブルネイの首都はバンダルスリブガワンだ。マレー語もインドネシア語とほぼ一緒なので、港はバンダル。

人と一緒に言葉も海を越えて行き来していたようだ。

イエメンのハドラミーの話が、いつの間にかインドネシアの話になってしまったが…

ハドラミーに話を戻すと、南アフリカやジンバブエに住む民族レンバ(Lemba)が興味深い。

南アフリカでは主にリンポポ州のセククネランド周辺に住んでいるらしいが、オレは会ったことはない。

レンバという民族名はスワヒリ語のkilemba(ターバン)に由来していて、“ターバンを被っている人々”だったからレンバと呼ばれるようになったんじゃないか?という説と…

「非アフリカ人」や「尊敬すべき外国人」を意味する北東部のバントゥー諸語に使われるlembi(レンビ)という単語に由来している説があるみたいだが…

あくまで他称であって、レンバ自身は自分たちの出身地であるとするセナ(もしくはサナ)を自称する。

セナって…

イエメンのハドラマウト地域にあるセナじゃねーの?って話。

伝承では、レンバの祖先は船に乗って海を渡ってアフリカにやって来たらしい。

実際、レンバのY染色体を分析すると彼らの約半数は中東出身者の遺伝子を持つという。

ということは、レンバはハドラミーの末裔か?って話なのだが…レンバの宗教や文化慣習を見ると、古代イスラエルの失われた10部族の末裔なんじゃねーのか?説もある。

古代イスラエルがアッシリアに滅ぼされて、ユダ族とベニヤミン族を除く10部族が離散。

その一部が今のイエメン・ハドラマウト地域に流れて、後にハドラマウトからアフリカに渡ったんじゃないか?説。

古代イスラエルの失われた10部族の行方には色々な都市伝説があるが、レンバは科学的にも“興味深い”人々かと。

Y chromosomes traveling south: the cohen modal haplotype and the origins of the Lemba–the “Black Jews of Southern Africa”

レンバには12支族あるが、そのうちのひとつからユダヤ人に多く見られるY染色体ハプロタイプであるコーヘン型ハプロタイプが高頻度で見つかったという話。

自分たちは古代イスラエル民族の末裔でハドラマウト経由でアフリカに渡ってきたとする口伝と、遺伝子分析の結果は“矛盾しない”という結果。

ついでなので、もはやハドラミーとは全く関係のない話も…

ケニアのインド洋沿いにあるUNESCO世界文化遺産にもなっているラム島。

ラム島の北にあるパテ島シユ村に、華人の末裔とされる人たちが住んでいる。

15世紀は明の時代。鄭和の大航海中にアフリカ沖合で座礁して沈んだ船の船員たち数百人がパテ島に流れ着いて、現地の女と結婚したという伝承がある。

島の古代の墓は明時代の墓と作りが一緒で、村人の名前もウェイとか中国語の響きっぽいらしい。

面白い話ではある。

チャイナダイアリーの記事には、母親の髪の毛からDNAを採取して鑑定して中国ルーツが証明されたって書いてるけど…

“母親の”髪の毛って、X染色体では父系ハプログループ分からなくね?と思うんだが…

第一世代は華人船員(父)&ケニア人(母)だとして、第二世代から華人の血は入らず600年にわたってどんどん薄まっていく(ケニア人の血が濃くなっていく)ばかりだが、600年後の女性のX染色体だけで大昔に1回だけ登場した華人パパの存在を確認できるもんなんだろか?

素人的意見だが、600年前の父方祖先を調べるには少なくとも男性のY染色体が必要な気がするけど…女性のDNAで中国ルーツを特定ってのがひっかかる。

シユ村に伝わる口伝に乗っかって、中国がプロパガンダで使うために「DNA鑑定でも証明された!」って勇み足で言ってるだけで、ホントに科学的に裏付けされてるんだろか?

個人的にはちょっと怪しんでいて、全く信じないわけでもないが「パテ島には鄭和の大艦隊の乗組員の末裔が住んでいる」と断定しちゃうのには抵抗がある。

投げ銭Doneru

書いた人に投げ銭する

スポンサーリンク
広告(大)
広告(大)

この記事をシェアする

フォローする

関連コンテンツユニット
スポンサーリンク
広告(大)