1995【2】手編みセーター

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第1話に続く第2話。

外国人料金

ちょうど外国人旅行者専用の外貨兌換券が廃止された年で、ようやく外国人も人民元を使えるようになったが、まだ外国人料金は存在していて人民料金の2.7倍も高かった。

北京駅のチケット売り場も人民窓口と外国人窓口があり、外国人は専用窓口で買わないといけない。「外国人料金だから」というのもそうだが、当時はまだ未開放地区(外国人立ち入り禁止区域)が多く、外国人に未開放地区に行かせないための専用窓口だった。

外国人窓口はガラガラに空いているが、人民窓口は恐ろしく混んでいる。

ただ…席自体は全く同じなのに2.7倍も高い金を出すのはイヤ!!と、オレも中国人のふりをして人民窓口に並んだ。

混んでいるうえに全然列に並ばない人民たち。

チケットを買うだけなのに、丸1日が潰れる大仕事である。

まだ16才で吸収力も高く、だいぶ“中国人化”が上手くなっていたオレは、オラオラで前の人を突き飛ばしたり、割り込んでくる人民を弾き飛ばしながら1日かけて窓口まで到達。

髪の毛をわざとクシャクシャとさせて“だらしない感じ”にして中国人ぽさを演出。

駅員と客たちの間にはガラス製の仕切り板があり、半円に切り抜かれた窓口に向かって前線の客たちは一斉に金を握りしめた手を突っ込む。先頭とか関係ないから、自分が先頭“集団”に入ったと思ったら我先にと手を突っ込むのだ。

経験から言うと、手を突っ込む時に他の人の手より上になってしまうと、手を抜くときにガラスの淵で手の甲が擦れて「痛い!痛い!」ってなるから、他の人の手より下になった方がいい。

そしてオレは人民たちと丸1日戦い、窓口に手を突っ込んだまでは良かったものの「おまえ…人民じゃねーな?!」と速攻で駅員にバレた。

もちろん強制的に戦線離脱で、丸1日が全てムダになったというね…

チケットを買う時は「何月何日発の車次○○○(列車番号)で××駅まで硬座(座席の種類)を1人分」と伝えないといけないため、中国語がしゃべれない時点で直ぐバレる。

翌日、誰1人として並んでいないガラガラの外国人窓口で2.7倍の値段を払ったらアッという間にチケットは買えた。

ちなみに、列車のチケット購入はハードルが高かったが、故宮とか毛主席記念堂とかは中国人のふりをして人民価格でいけた。

髪の毛をわざとクシャクシャとさせて、人差し指を立てて「一介(イーガ)」とか「一介人(イーガレン)」とボソッと言っておけば余裕。

係員の眼前でカーッ、ペッ!と痰を吐くところを見せつけてやれば、より“ぽい”。

泰山

京華飯店にいた日本人バックパッカーたちに見送られ、北京から山東省の済南まで移動。

ここから本当の“一人旅”が始まった。

済南を経由して向かったのは道教の聖地泰山

一応、世界遺産らしいよ。

3000段の階段を登って頂上にある神憩賓館という宿に一泊したのは、ご来光と共に現れる雲海を泰山の山頂から拝むためだ。

宿ではおっさん人民数人と同じドミに泊まることになった。

中国語を話せないので、人民とのやり取りはこんな感じで筆談である。

ドミのおっさんたちとも筆談で会話をしていたのだが、突然おっさんの1人が「南京大屠殺をどう思う?」とぶっ込んできた。歴史問題でバトルを…というより、彼らからしたら普段なら絶対に出会わないであろう日本人現役高校生の生の意見を聞いてみたいと思ってる感じで、決して喧嘩腰ではなかった。

ただ…お題が面倒くせーっ!!

そもそも言語的ハンデを抱えているのに歴史問題を筆談でなんてムリっしょ!と、「不知南京大屠殺(南京大虐殺を知らない)」と筆談で返答。

オレの返答にざわつくおっさんたち

「え?日本では学校で習わないのか?!」って聞かれ、「そんなの習わない。知らない。聞いたこともない」とパワープレイで押し切った。

あの時の筆談がオレのノートに残ってないんだよな…

おっさんのノートでやり取りしたのかな?

朝の山頂は非常に冷えるので、宿で人民解放軍御用達の人民コートを貸し出している。

オレもドミで一緒だったおっさんたちに借りてもらって着たが、温かいけどすんげー重い。

ニーハオトイレ

北京から地方に出てきたことで、劇的に変化したのがトイレ環境だった。

決して北京が良かったとは言わないが、都会はまだ選択肢がある。

田舎に行けば行くほど選択肢はなくなり、ニーハオトイレの一択。

これが一番のカルチャーショックだった…

まぁ、有名なのでいちいち説明するまでもないが、要は仕切りのない解放感のある空間で腹に溜まってるもんを解放しようぜ!的なコンセプトで作られてるのか知らんが、個室がない中華スタイルがニーハオトイレ。

ただの溝が一本あって、そこに一列に並んでウ○コするパターンもあるし…

先頭の人が「出発進行!」と言えば電車でGO!!ごっこだって出来ちゃう縦配列便器パターンもある。先頭車両に乗って自分のを見せつける運転手派か、後方車両に乗って他人のを見る車掌派かの究極の選択。

どっちもイヤっ!!

真ん中の車両で自分のを見せつけながら、他人のも見る乗客派はもっとイヤっ!!

基本的におぞましいほど汚くて、トイレが一番辛かったなぁ…

便器からちょっとだけ横に外れたところにウ○コがあったりして、え?なんで?!みたいなことは普通にあったわ。

外国人は宿泊不可

泰山から再び済南に戻り、バスで煙台という町へ移動。

夕方17時発で目的地である煙台には深夜に着くバスだったが、途中でバスが故障し「どこ、ここ?!」という場所で放り出された。

ボク、16才だよ!!

事前にバス車内で“ボクまだ16だからアピール”をしていたおかげで、案の定チヤホヤしてくれる人民たち。事前アピールしておいてよかった…

「この子を煙台まで乗せて行ってくれ」

乗客たち総出でヒッチハイクしてくれているのをボーっと高みの見物をするオレ。

乗せてくれる車が見つかったら、皆に見送られながら目的地の煙台に向かった。

同じ車に一緒に乗り込んだお姉さんが煙台でホテルまで探してくれて、オレは文字通り何もしていない。

わたしまだ16だから~♪

今はそれほど気にすることなく旅行出来るが、かつては外国人が宿泊できる宿は本当に限られていた。大雑把に言えば、名前に『賓館』とか『飯店』が付いているような三ツ星ホテル以上のクラスなら公安の認可を受けているから外国人も泊まれるが、名前に『招待所』が付いているような安宿は外国人が泊まれなかった。

公安に無許可で外国人を泊めると宿側に罰則があるので、いくら頼み込んでも断られる。

煙台の次に移動した威海という町では宿探しに苦労した。

外国人を泊めさせてくれるような宿は高級ホテルばかりで、安宿はどこに行ってもお断りされ途方に暮れた。何軒もまわってヘトヘトになりながら入った某安宿で、対応してくれたのが姜さんだった。

お願い!泊めさせて!
うちは外国人が泊まれない宿だから…
そこを何とか!お願い!

宿泊客としてオレを泊めてしまうと、宿が公安に捕まってしまう。

じゃあ…私の部屋にこっそり泊まってもいいよ

姜さんはホテルの一室に住み込んで働く従業員だった。

正規の宿泊客としてではなく、公安には内緒でこっそり姜さんの部屋に転がり込ませてもらうことに…

正直言って、16才的には9才も年上の25才なんてほぼ“おばさん”である。

とは言いながらも、さすがに小さなベッドが1つしかない姜さんの部屋で一緒に泊まるとなると興奮して「ウキキーッ!!」と発情サル化してしまうのは、もはや思春期の不可抗力。

わたし“もう”16だから~♪つって。

いくらプロレスラーみたいなパンツを履いていようが…である。

直前まで何を履いていようが脱がせれば一緒だしな!

今にして思うと、文化大革命の時代ではないので「毛主席の指し示す航路に沿って、入りまーす!」みたいに、いちいち会話に政治スローガンを加える必要もない平和な時代であった… 文化大革命の時代にそんなピロートークしてたか?は知らんけど。

姜さんは、威海から船で韓国に渡る予定のオレのためにチケットを買うのを手伝ってくれたり、第一次世界大戦までドイツ領だった名残を残すヨーロッパ建築の建物を見に連れて行ってくれたり、色々と親切にしてくれた。

そうなると、当然のことながら次のステップは…

結婚話である。

「えぇーーっ、重っ!!」と思って、筆談で必死に「16才の男は結婚できないし、18才になっても親の許可が必要だからムリ」的なことを説明した痕跡が…

わたし“まだ”16だから~♪つって。

「うちの親は厳しいから18才になっても絶対に結婚を許可しない」つって。

20才で成人するまで、まだ4年もあるから何とか逃げ切れそうという計算をしていたことは否定しない。

後年、オレがタイに住んでいた頃に実家から連絡があった。

「中国の姜さんって人から手編みのセーターが届いてるけど…」

手、手編みのセーター!?

手編みっていうのが重い!!

灼熱のタイで手編みのセーターを着るほどオレの温度感覚もバカではないので「要らない」と実家に置いたままであった。

今も実家にあるのかな? もしかしたら捨てられてるかもな…

第2話に続く最終話。 金橋号 かつて金橋号という貨客船が中国山東省威海から韓国仁川までを18時間で結んでいた。 今は新金橋7号が、同じルートを...
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