未だにエチオピア政府軍とアムハラ民兵組織FANOの間でやり合ってる紛争の話を書こうかと思ったが、止めた。
世界遺産ラリベラがヤバいかもしれんって。
ラリベラの何がすごいって…ここって「建てた」わけじゃなくて、巨大岩を“建物”型にくり抜いて造られた石窟教会たちってこと。
写真の聖ギョルギス教会の他に10カ所あるが、先月の話で迫撃砲の衝撃波で10カ所の内ひとつ(どれかは分からない)が損傷したとかしてないとか未確認情報もあるが、この話は止めた。
そもそもがあまり興味がないというのもあるが、あえて話題にしたり触れたりすることもないことを、サイレント・マジョリティとしてあえて書いてみることにした。
FANO…ラリベラ…聖ギョルギス教会ときたら…
やっぱ羽生結弦の結婚&電撃離婚だろ。
なんか電撃結婚したと思ったら、数カ月で離婚したとかでニュースになってたな。
他人が結婚しようが離婚しようが、そこは個々人の勝手だからオレは「どうでもいい派」なのだが、なんだかオレの知らない色々なことが色々あって色々と大変なんでしょうね。
前にテレビか何かで羽生結弦のインタビューを見たんだけど、彼が自分自身のことを話しているのに「僕として」とか「僕の演技」ではなくあえて「羽生結弦として」とか「羽生結弦の演技」と表現していてずいぶんと面白い人だなと思ったことがある。
本人自身の性格に加えて周囲の理想像すら取り込んでいって、“羽生結弦”というキャラクターを作り上げているのかもしれないけど、素の自分とは別に“羽生結弦”を演じている彼がいるような印象を持った。
いや、分からんぞ。素の自分とキャラが乖離している段階などとっくの昔に通り越して、“羽生結弦”というキャラを完璧に演じ切っているのが羽生結弦みたいな次元にまで行っているのかもしれん。
他人が望む人間ではなく、私は私がなりたい人間になる(モハメド・アリ)
あくまで勝手な印象だけど、モハメド・アリとは逆の人なのかもしれん。
どちらが良いか悪いかというのはないと思うし、「他人が望む人間こそが私がなりたい人間」みたいな思考も全然いいと思うけど正直「そっちの方が大変だろうな」とは思う。
何が大変って…(ファンとか)周囲が期待する“羽生結弦”の理想像に合わせ続けるって相当な労力がいるだろうから。その対価として承認欲求はすごく満たされそうではあるけど。
結婚して騒ぎになったとして…「うるせーバ~カ!オレが誰と結婚しようがお前らに関係ねーだろ!グチグチ言ってくる奴○ね!」って言えば済む話なんだけど、(たぶん)多くの人の中では「“羽生結弦”はそんなこと絶対に言わない!そんな人間じゃない!」みたいな理想像があるわけで、実際にそんなことは言わなかったから理想像も壊れることはなかった。
みんなが望む“羽生結弦”こそが私、って人だから…みんな(多数)の理想像を壊さず、妻(1人)との結婚を諦めたのかな?と。
いや、おまえに羽生結弦の何が分かるんだ?!みたいな話になると思うけど…
それを言うならお前もそうだろ!って、そっくりそのまんま返す。
我々は誰も本当の彼を知らん。
あれ?オレは今年最後になるであろうブログに何を書いてるんだろ…
エチオピアの話を書こうと思って書き出したら、急に書く気が失せて、なぜか代わりに羽生結弦が電撃結婚&電撃離婚してたな…と思い出して書いてしまった2023年の終わり。
良いお年を。