ティグレ防衛軍(TDF)

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ちょっと認識を間違えていたわ…

今さらながらティグレ防衛軍(TDF)がティグレ人民解放戦線(TPLF)の軍事部門だと勘違いしていたことに気が付いた。

そもそも、内戦が始まる前からTigray Special Forceという実質TPLFの軍事部門があって、これはエチオピアの各州が独自に持っている軍(ልዩ ኃይሎች)のティグレ州版だったのだが、これをTigray Defense Forceと混同していた。

全く関係ないことはないが、同一視するのは正しくなかった。

前回のブログに「TPLF(=軍事部門TDF)」と書いたが、この書き方は混同していた結果で、実際は完全に間違い。

今回のティグレ戦争で存亡の危機に直面したティグレ州で挙国一致体制(国じゃないから挙州一致か?)の軍事組織としてTPLFだろうが非TPLFだろうが関係なく戦おう!と組織されたのがティグレ防衛軍(TDF)だった。

特にエリトリア軍とアムハラ州の介入と、戦争中の民間人に対する残虐な行為が一般のティグレの人々の激しい怒りを買い、ティグレ防衛軍(TDF)に入って武器を取る市民も大勢いたようだ。

メケレ大学の前学長とか、アジスアベバ大学平和安全保障研究所の初代所長とか、BBCの現地ジャーナリストとかもそうらしいし…ドイツの取材チームに「回復したらTDFに参加して、妹や他の少女たちに同じことが起こらないように戦う」と語ったレイプ被害者の少女もいたようだ。

もちろん数としての主力はTPLFなんだろうけど、TPLFの軍事部門ではなく、TPLFも非TPLFも包括しているのがTDFだと。

海外の安全保障専門家の寄稿なんかでは「TPLF(現TDF)」みたいな書き方をしている人までいるが、イメージ的にはティグレ防衛軍(TDF)はTPLFやその他諸々の“統一戦線”だろうな。

そんなわけで、ティグレ防衛軍(TDF)にはかつてTPLF内部の権力闘争で敗れて追放されて、TPLFと距離を取っていたような人もいる。

誰が言っているのか知らないが、BBCによれば「国際安全保障の専門家から、アフリカにおける現在最高の軍事戦略家の1人と見なされている」68才の老将ツァドカン将軍もそのひとり。

1976年、彼はアジスアベバ大学に在学中に、当時はまだ小さなゲリラ組織だったTPLFに参加し、エチオピアの独裁者メンギスツとの戦いに身を投じる。

その後、分析力・組織力・兵士たちからの人望で頭角を現し、1991年5月に首都アジスアベバ占領とメンギスツ追放を成功させた司令官のひとりに。

メンギスツ政権打倒後はエチオピア軍の再建を任され、エチオピア陸軍参謀総長に。

いわば今日のエチオピア軍の生みの親。

エチオピア・エリトリア国境紛争では、2000年6月にエチオピア軍がエリトリア軍の防衛線を突破。ツァドカン将軍はエリトリアの首都アスマラに向けて進軍するよう進言するも、メレス首相(彼もTPLF)は「目的は達成された」として停戦。

軍事的・政治的方向性の違いからメレス首相と衝突したツァドカンはその後、参謀総長を解任され、軍からもTPLFからも追放されて一般人に。

故郷であるティグレ州ラヤに戻った後は園芸事業を始めて普通のおっさんとして暮らしていたのだが、アビィ首相とTPLFの関係が悪化してきた2019年には間に入って仲を取り繕おうとしてTPLFに裏切り者呼ばわりされている。

ただ、昨年11月にティグレで戦争が勃発した時にはTPLFとの過去のいざこざは置いておいて団結してティグレ防衛軍として戦うことに。

そんな歴戦のゲリラ兵にして、エチオピア軍を知り尽くした老将が、最高軍司令官としてTDFを率いて戦うことになったと。

ツァドカン将軍は、最初の数カ月は新兵の訓練組織化戦闘を同時に行うことに。

さらに重火器で武装していたTPLFを再編成。

重火器は敵の攻撃機やドローンの格好の標的になるうえ、山岳ゲリラ戦ではお荷物になるということで初期段階で重火器の多くを放棄していたようだ。

Gheralta Mountains

写真はティグレのゲラルタ山脈。

代わりに軽武装の10~80人の戦闘員から成る小規模で機動性が高い分遣隊を編成。

外部からの補給支援を望めない以上は、必要な補給は敵から鹵獲した武器・弾薬で得るべく、ティグライ州の奥深くまで入り込んで伸びきったエチオピア軍の兵站線を待ち伏せ攻撃で叩く作戦に。

今年の5月頃に体勢を整えたTDFは、反転攻勢に。

6月のアルラ・アバ・ネガ作戦も含めた一連の反撃で、エチオピア軍の8個師団(投入された全兵力の半分)を破って敗走に追い込んだようだ。

エチオピア軍の敗走を受けて、エリトリア軍は占領していたティグライ州北部の町を放棄して国境近くに防衛線を張っている様子。

さらに、勝手に併合を進めているティグライ州西部のアムハラ州軍も戦々恐々としているようだ。『NEWS: RULING PARTY IN AMHARA STATE WARNS TIGRAYAN FORCES AGAINST ATTEMPT TO RETAKE AREAS IN WESTERN TIGRAY』では、「ティグライ州西部を奪還しようとする不法な試みに警告」と書いてあるが、どの口が「不法」とか言ってるんだか(笑)

反撃に出るまでの体勢を整えたツァドカン将軍だが、5月に最高軍司令官を降りて中央司令部で作戦立案を行っているようだ。

ツァドカン将軍の後任でTDF最高軍司令官になったのは、タデッセ元エチオピア軍中将で、国連アビエ暫定治安部隊の初代軍司令官だった退役軍人。

TDFは「ティグレから敵を全て追い出す」と宣言していることから、今後はティグライ州北部に居座るエリトリア軍と、西部を占領するアムハラ州軍との戦争が続くかと。

エチオピア軍が敗走した今、アムハラ州軍は敵じゃないだろうけど、問題は難敵エリトリア軍だろうな…

動画は、エチオピア軍捕虜7000人以上を引き連れて州都メケレで行われたパレードの様子。

More than 7,000 captive Ethiopian soldiers paraded in Tigray by rebel fighters
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