エチオピア・ティグレ州の展開が早すぎっ!!
ここ最近の目立った出来事としては…
先週22日(火)13時頃、エチオピア空軍がティグレ州トゴガの市場を空爆、民間人に死者64人、負傷者180人を出す。
翌23日(水)、兵員と弾薬を輸送中だったエチオピア空軍のC-130輸送機が撃墜され、生存者なし。
ちなみに、このC-130輸送機はトランプ大統領時代にアメリカからプレゼントされたやつだったのだが、貰ってからわずか3年で木っ端微塵に。
そうこうしている間に…
ティグレ防衛軍(TDF)がアクスムやアドワ、シレ、ウクロ、フメラなどなどティグレ州内の主要都市を次々と奪還。
一昨日28日(月)にはティグレ人民解放戦線(TPLF)がついに州都メケレを完全に取り戻したと発表。
これを受けてエチオピア政府は“無条件の一方的な”停戦を宣言。
「エチオピア軍が負けた」とまで言い切れるかは微妙だが、「ティグレ州内の軍事行動は失敗した」ことは確実。
昨年11月に戦争が始まって、同月にはエチオピアのアビィ首相が「勝利宣言」をしていたが、あれは何だったんだ?というね。
なんか…フルボッコ状態のTPLF(=軍事部門TDF)はもっと細々とゲリラ戦を展開していくと思ってたけど、いきなり電撃反攻作戦を発動して1週間ちょっとで状況をひっくり返しやがった。
29日(火)付でティグレ防衛軍(TDF)中央司令部が「6月21日から始まったアルラ・アバ・ネガ作戦により、28,300人の兵士を殺害し、6,011人を捕らえ、ファシストのアビィ(エチオピア首相)の33,000人以上の兵士を無力化した」とする声明を発表。
人数がどこまで正しいかは別として、動画を見る限りだと相当数を捕虜にしているのは間違いなさそうだ。
アルラ・アバ・ネガ作戦が具体的にどんな作戦だったのか?は分からん。
作戦名として名前を使われたアルラ将軍は、19世紀のエチオピア帝国(ティグレ朝)時代の最高軍司令官。
エチオピア・エジプト戦争では、数で勝るエジプト軍を撃退。
エリトリア戦争(という名前だけどイタリアとエチオピアの戦争)では、ドガリの戦いでイタリア軍をほぼ全滅させる。
ドガリの戦いの報復として、イタリアが攻め込んで来た第一次エチオピア戦争の時はもう最高軍司令官ではなかったものの、69才なのに戦場へ。
当時のヨーロッパで「アフリカが生んだ最高の軍人であり戦略家」と称されたティグレの英雄であるアルラ将軍。
興味深いのが、エチオピア・エジプト戦争も、第一次エチオピア戦争も、その後のムッソリーニが起こした第二次エチオピア戦争も、敵(エジプト軍やイタリア軍)が今のエリトリアからティグレ州に攻め込んで来るパターンということ。
第一次エチオピア戦争では、イタリア軍に現地で徴用されたエリトリア人部隊もティグレ州に攻め込んでいる。で、イタリア軍がエチオピアに負けて、捕まったエリトリア兵たちは手足を切り落とされたとか。
この19世紀辺りから現代の今この瞬間までずーっと続くティグレ州とエリトリアの仲の悪さ。
実は同じ民族(ティグリニャ人)のくせに。
若干の方言の違いはあるものの言葉も同じなくせに。
さて、ティグレ州からエチオピア軍を駆逐して戦争が終わったか?というと、微妙。
ティグレ州で散々悪事を働いたアムハラ州とエリトリアに報復するべく攻め込むと言っているTPLF指導者もいて、正直まだどうなるか分からない。
というか、ティグレ州の逆転どんでん返しで、ある意味アビィ首相の“正しさ”が立証されたと言えなくもない。
各州に強大な権限がある今の連邦制度から、アビィはもっと中央集権的な国家にしようとしていたのだが…
普通に考えて、たったひとつの州の軍隊が、2カ国の国軍に加えて幾つかの州軍や民兵たちに束になって攻め込まれて劣勢になりながらも逆転できちゃうっておかしくない?
州の分際で、どんだけ強力な軍を持ってるんだ?!っていう。