1996【2】地獄に仏

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硬座

上海から南京に移動した日の日記。

午前9時半、上海発南京行きの快客列車に乗った。硬座を予約していたので、普通の汚い列車を想像していたが、列車を見たときはまったく逆でびっくりした。2階建てで硬座といえども真っ青なシートが被せられたクッションのある座席で豪華な感じだった。わずか3時間ほどで南京に到着。改札口を出たとたん旅館の客引きが10人以上で押し寄せてきた。そのうちの1人と交渉してついていったのが紫金苑酒店という所で、ツインに1人38元(530円)で泊まることにした。

「普通の汚い列車」とか書いている時点で、だいぶ『普通』の感覚がイカレてるな。

当時、中国が『ハードな旅先』としてインドと双璧をなしていた理由は…“移動の大変さ”が一番大きかったんじゃないかと思う。

あれだけ広大な国なので移動時間が長くなるのは当然だが、旅人を苦しめていたのが『硬座』の存在。

中国の列車には4つの選択肢があり、当時の定義で言えば…

硬座:カッチカチに硬い木製の座席で背もたれも直角(自由席)

軟座:クッションが入ってる普通の座席(指定席)

硬臥:カッチカチ3段ベッドで狭い(指定席)

軟臥:クッションの効いた普通の2段ベッド(指定席)

なぜか当時のバックパッカー界隈では、二桁時間以上を硬座で移動した経験のある人は強者認定されるという謎の風潮があった。

そんな強者への登竜門である硬座だっただけに、上海から南京までの列車に乗り込んだ硬座に驚いたのだ。

硬座なのに(実質)軟座じゃん!!みたいな。

まぁ…「乗った列車が近距離路線の快速だったから」だけの話なんだけど、後に真の硬座の恐ろしさを知るのだった。

黄山

明時代の旅行家・徐霞客が「五嶽帰来不看山,黄山帰来不看嶽」(五岳から帰ってきたら他の山なんて見れないけど、黄山から帰ってきたら五岳も見れない)とベタ褒めした天下の名山。

前年に五岳のひとつである泰山を制覇していたオレとしては、そんなことを言われちゃったら黄山もやっつけるしかないな…と。

南京から夜行列車で黄山に向かう。

長距離を硬座で移動しようなどというマゾ癖は持ち合わせていないので、もちろん購入したのは最も快適な軟臥(ふかふか寝台)である。

当時から黄山はすでに世界遺産で、ロープウェイもあったが訪れた時には動いていなかった。

「電気が来ていない」という素敵な理由であった。

仕方がないのでヒザをプルプルさせながら山を登る。

疲れたーっ!!歩きたくなーい!!

そんなオレのような人、もしくは老人向けに存在しているサービスが山駕籠である。

いや…絶対に乗りたくないだろ、これ。

急峻な階段を斜めになりながら担がれるって怖すぎっ!!

自分の足で歩いた方がマシ、と8時間もかけて山を登った。

場所によっては鎖にしがみつきながら蟻のように頂上を目指す。写真の真ん中に見えるのが登山客たちの列だ。

こんな場所なのにハイヒールで登ってる女がいたりして…

え?アホなの?!と思って。

山頂から眺める景色はまさに水墨画の世界。

確かに泰山も雲海が素晴らしかったが、黄山はちょっとスケールが違う天下の名山であった。

武夷山

黄山から南下して福建省邵武に向かう。

ここである問題に気が付いた。

上海発とか、南京発とか、大抵の列車はそれなりに大きな都市を発着にしている。これまでは、そんな大きな都市から出発する始発に乗っていたので気にならなかったのだが、田舎町の黄山から途中乗車するとなると状況が変わる。

指定席はすでに始発駅から乗っている客で満席で、途中乗車するような客が買えるのは自由席の硬座(カッチカチ座席)のみ。

だが、選択肢がない以上は硬座に乗らざるを得ない。

黄山から邵武まで471kmの移動なのに所要11時間もかかるが、硬座料金はたった32元(約450円)であった。

早朝4時半発の列車に乗り込んで…直ぐでした、えぇ。

いや、これはムリっ!!って。

車掌に「硬座以外だったらどこでもいいけど、硬座はムリ!!」と泣きつくと、偶々軟臥(ふかふか寝台)が空いているというのでお金を払って移動。当時はオンライン化なんてされていないので、駅では買えなくても乗車してから買えることもあったのだ。

ふかふか寝台で辿り着いた邵武からバスに乗り換えて2時間半ほどのところに武夷山がある。

町自体はただの田舎町である。

走っているのはボロボロのバス。

おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行く。

道端では毒蛇酒が売られていて、木箱の中にはヘビがうじゃうじゃ。

そんな武夷山になぜ行ったか?と言うと、桂林(写真)っぽいのが見たかったのだ。

Photo by farfar on Unsplash

中国の絶景のひとつ桂林で漓江下りしてみたかったのだが、ルート的に行くのは厳しい。

しかーし、中国人が一生に一度は訪れてみたいというのが桂林、黄山、そして武夷山なのだ! しかも、武夷山も桂林と同じく水墨画の世界を川下り出来ると言うではないか!

もう行くしかないでしょ?!

と、行ってみました。

え?思ってたより山が低くね?!

別に「一生に一度は行きたい」ってほどじゃなくね?!って。

オレは一生に一度をクリアしたのでもう行かなくてもいい。

地獄に仏

武夷山から再び邵武に戻り、さらに南下して福建省の厦門を目指す。

黄山の時と同様、邵武でも硬座しか買えなかったが「前回同様に乗ってからお金を払って席を移動すればいいや」と余裕であった。

これまで列車のチケットは毎回オレが買っていたが、初めてミノくんが挑戦して無事に買えたこともあって、そっちの方に気を取られていた。

やったね!出来たね!つって。

邵武駅で撮った写真は二人ともサングラスしてるからそのまま載っけちゃうが、まだミノくんも笑顔である。二人ともこの直後に地獄が待ち受けているとは夢にも思っていない。

15時40分、邵武駅に到着した列車に乗り込むと、車内はすでに人人人で溢れ返っていた。

3人掛け席が向かい合ったボックスシートになっているのだが…

その3人掛け席に4~5人が座っちゃっている。

座席下の隙間に入り込んで寝ている人がいる。

通路も両側に寝ている人がいる。

荷物を置く網棚にも人が乗っている。

そして座れない&横になれない人たちが溢れて、通路や連結部に立っている。

12億人がひしめく国の混み具合は尋常ではなかった…

人が溢れているうえに、乗客たちがピーナッツの殻とかゴミを全て床に捨てているので車内は恐ろしく汚い。もちろん痰も床に吐く。

いや、これはムリっ!!って。

車掌に「硬座以外の席!!」と泣きついた。

没有(ない)!!

さっくりと一言で切り捨てられ、詰んだ…

空いていた唯一のスペースが便所の真ん前しかなく汚いし、臭いし、暑い…

あのニーハオトイレを生んだ中国で硬座車両の便所なんて…もうそれはそれは恐ろしいことになってるんだから。

列車に乗る前に駅の温度計が34度だったから…列車内は40度近かっただろう。

こんな地獄のような状況こそ、あの必殺技を繰り出す時だろ?

ボクたち、17才だよ!!

ところが…

隣にいたのはオレたちより年下の15才であった。

「これから丁稚奉公に出ます」みたいな謎のファッションの少年に17才アピールは無意味だ。

この写真を撮った後に周りの大人たちから注意された。

悪い人もいるからカメラを出さない方がいい

便所の目の前で5時間を過ごし、心身ともに限界を感じてきた時だった。

偶々通りかかったおっさん人民が、オレとミノくんを哀れに思ったのか自分の席(もちろん硬座ではあるが)に連れて行ってくれた。

そしてオレらを席に座らせ、自分は立ってるという。

真の日本人ならば、ここは「いやいや大丈夫です」「まぁまぁ」の応酬を何ラリーかする遠慮合戦を繰り広げて、最終的に「そうですか?そこまで言うなら…」的な儀式をするのが正解かもしれないが…5時間があまりに地獄だったので、

謝謝!!

って直ぐ言った。「座れ」って言われた瞬間にもう「謝謝!」って。

周りの人たちも食べ物を恵んでくれて、何とか飢えをしのぎながら残りの11時間を過ごした。

硬座はカッチカチで直角の木の座席?だからどうした?!

便所前の床と比べたら…なんて恵まれているのでしょう!

列車内での筆談のやり取りがノートに残っているが…

左ページの真ん中に書いてある「在厦門市…小心流氓多(厦門にはチンピラが沢山いるから注意しろ)」とか、やたらと『小心』(気をつけろ、注意しろ)と気を使われている。

厦門 硬座での16時間を耐え抜き、ヘロヘロになりながらようやく厦門に到着。 めちゃくちゃ親切にしてもらった周りの人たちに別れを告げ、宿を探す。 ...
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