由来が気になり出しちゃったので、タイ語で「オオトカゲ」と「サイ」がなぜ侮蔑語なのか?AIに調べさせた。横断的に調べるのは自分でググるより、AIに調べさせた方が速い。
まずはオオトカゲから。
「เหี้ย(オオトカゲ)」が強い侮蔑語になった背景は、生態+民俗信仰+言語回避の三点が絡み合った結果と見るのがいちばん筋が通る。
- 生態(嫌悪資源)
バンコク含むタイ中部の水路・運河まわりに普通に出没し、死肉・残飯を漁る/家禽を襲う/民家に侵入するなど人間生活圏で“厄介者”として体験されてきた。近年も都市部で人との軋轢ニュースが続く。こうした負の接触が「汚い・図太い・災いを呼ぶもの」という評価を固定化させやすい。- 民俗信仰(不吉語)
昔から「เหี้ยが家に入る=凶兆」という観念が語られ、言及自体を忌むムードがあった――という説明が、タイの歴史・カルチャー系媒体で繰り返し紹介されている。そこで直接名を言わないための婉曲表現「ตัวเงินตัวทอง(“銀のもの・金のもの”)」が広まり、悪い運気を避ける呼び替えだと解されることも多い。忌み語→呪詛語化の自然な流れ。- 言語事実(罵倒語としての定着)
現代タイ語では叫び・間投詞から対人罵倒まで幅広く用いられ、法学サイトの解説でも「『ไอ้เหี้ย』は侮蔑的表現」と整理される。つまり「動物名」→「不吉・嫌悪の象徴」→「人身攻撃語」への語用拡張が実際に起き、定着した。行動連想だけでなく不吉観や穢れ観(タブー)が強く、“名指すこと自体が縁起を損なう”→“呪詛として投げつける”という呪術的回路が働いた。学術的にも、タイ社会のあだ名・罵倒語文化でオオトカゲが文化固有の強い侮蔑指標になっていることが指摘される。
なるほど、忌み嫌う存在としてヒア(オオトカゲ)があって、その名を相手に向けて呪いのように投げつけることで攻撃にしてるのか。
ということは、性別ターゲットとしては別に男性限定じゃなく、女性に対しても問題なく使えるってことだ。“問題ない”かどうかはわからんが。
「เหี้ย」は基本的に“対象の性別を問わない強い罵倒語”です。
呼びかけで性別が示されるのは、語頭の接頭語(人称・呼称)によるもの。男性に向ければ ไอ้เหี้ย(アイ・ヒア)、女性に向ければ อีเหี้ย (イー・ヒア)と言い分けます(いずれも非常に攻撃的)。
何となくのイメージで主に男性向けと思っていたが、ただの思い込みだったようだ。
e-Here!(イー・ヒア)で覚えよう。
文化的背景を見てみると、罵倒語としてはオオトカゲである必然性があった。
同じ爬虫類でも、チンチョ(小型ヤモリ)やトッケー(中型ヤモリ)は縁起が良いとか幸運の象徴とされているのは知っていたが、体長2.5メートルで犬や猫も食べるヒア(オオトカゲ)が不吉なものとしてここまで忌み嫌われているものだとは知らんかった。
好かれていないのは何となく気づいていたが、デカくて怖いから嫌われてるのかと思ってた。名前が呪詛語化するほど不吉の象徴だったとは。
一方、サイは何でだろ?
タイで「แรด(サイ)」が侮蔑語として使われる事実は辞書・用例で確認できます(本義=動物名、転義=“(主に女性が)はしたない/性的に奔放”など)。慣用句「แม่รีแม่แรด」(“出しゃばって人目を引く”)も定着しています。
侮蔑語義が“いつ”生まれたかの一次資料(初出年・文献)は未確定です。少なくとも近代以降に「出しゃばる/目立つ」を指す成句・口語が広まり、そこから性的ニュアンスが強い罵倒へスライドした(語用拡張)可能性が高い、というのが証拠に基づく控えめな結論です。
【流布している説明と検証】
- 「メスのサイは発情期にオスをめぐって争う=“がっついた女”の比喩になった」説
テレビ/まとめサイト系の解説で広まっていますが、行動生態の一般的記述(サイは多くが単独性で、交尾期はオス同士の争いが顕著、メスは子連れ時に攻撃的になりやすい)とは整合しません。学術系・事典系では「オスが繁殖権をめぐって争う」ことが明確で、この“メス由来説”は民間語源の域を出ないと見たほうが妥当です。(メスが攻撃的になる場面はありますが、主に子の防衛で説明されます)- 「厚い皮膚・角の外見性=図太さ・けばけばしさの比喩」説
辞典の語釈そのものは語源説明ではありませんが、「แรด」が形容的に“けばけばしい/生意気/目立ちたがり”の含意で使われることは成句にも残っています(例:成句「แม่รีแม่แรด」=“人目を引くように振る舞う”)。動物の属性を人の品行に転用するタイ語の比喩パターンとも合致します。こちらは語用の連想経路として無理が少ない説明です。タイ語には、同じ語形で動物名と侮蔑的比喩が併存する例が少なくありません。制度語源が残らないまま「比喩→常用→語義化」するのが普通で、「แรด」もこの経路に乗ったとみるのが自然です。
なお、百科事典には「แรด(サイ)」の別称として文語のระมาด(クメール語由来)が挙がりますが、これは侮蔑語義とは別系統の名詞用法です。
- 歴史的な生息と地名・文語語彙の痕跡
タイ中部には「ระมาด(=サイ)」由来とされる地名が残り(例:バンコクのบางระมาด)、文語でも「ระมาด」=サイの語が併存してきました。“いたことがある動物”としての文化記憶は濃い。- 大動物メタファーの一般則
タイ語では動物属性→人間性質への転用が普通(例:ควาย(水牛)=愚鈍)。「แรด(サイ)」も厚皮・角・図太さ・“出しゃばり”といった視覚的・行動的イメージから非難的形容に転じ、さらに性的奔放へ意味がエスカレートしたと読むのが、成句史と用例に合います。- “現在は不在”でも語は生きる
局地絶滅後も語彙は存続します。ジャワサイ/スマトラサイのタイ域内での絶滅は20世紀後半までの話で、語の転義化には十分な時間幅がある。「昔の(野生が普通にいた)時代から“女性侮蔑語”だった」と断言できる一次根拠は未発見です。「身近にいない動物名を罵倒語にした」というより、かつて身近だった大型獣の記憶が残ったとみるのが自然です。現時点で確実なのは、①歴史的生息の事実、②成句「แม่รีแม่แรด」に見られる“出しゃばり”義の定着、③それが近現代に強い侮蔑語へ発展した、という三段階モデルまで。
なるほどね…
元から女性に特化した侮蔑語だったわけじゃなくて、変化した可能性が高いってことね。
これを研究テーマにして「タイ語における『แรด(サイ)』の語義の歴史的変遷」で論文が書けそうだが、「แรด(サイ)」だけにこだわった研究論文は今のところ見当たらないらしい。
タイの大学生、院生、誰かやればいいのに。
書いたら、読まないけどざっくりした要点だけ教えてほしい。
聞いたら、へ~って言うから。
ちなみに、パッと頭に浮かんだオレの仮説。
19世紀末から20世紀初頭までのタイ(当時シャム)には多くの日本人“からゆきさん”(=娼婦)がいて、当時の資料を読む限りではタイ人娼婦もいたはいたけど、それほど大きく目立つ存在ではなかった。タイ人娼婦は人気がなかったという記述があったから。
それ以降で、語義の転換点として怪しいのが…
1960~1970年代のベトナム戦争期。タイが米軍の保養地として脚光を浴びた頃から、パタヤを筆頭にして性産業が急激に盛り上がり、特に地方の貧しい娘が性産業に従事することが“選択肢のひとつ”として少し一般化してきた(一般化という言葉には語弊があるが、以前と比べて相対的にという意味で)。この流れの中で、それまで「出しゃばり」という意味を持っていた「แรด(サイ)」が、けばけばしく化粧をする性産業従事者に対する蔑称という形で意味が変化した可能性は?
証拠ベースで評価します。
何が史実として言えるか
- 19~20世紀初頭のシャム(タイ)に「からゆきさん」がいた事実は、村嶋英治の一次研究で裏づきます(1885年頃~1910年代、バンコクに日本人娼妓の存在)。
- 1960~70年代のベトナム戦争期に、タイが米軍のR&R拠点となり性産業が地理的に拡大した、という経済・地理分析(基地立地×需要ショックの実証)はあります。
- 「แรด」=サイ→女性への侮蔑という語義は、王立学士院系の解説・辞書に明記(「女性の言動・振る舞いが“過ぎる”、とくに性に関わる含意」)。また成句「แม่รีแม่แรด」(出しゃばる・人目を引く)も辞典に立項しています。
仮説の妥当性(暫定評価)
- 「出しゃばり(แม่รีแม่แรด)」という既存の比喩核は確実にありました。その後、戦後~高度成長期に“性風俗の可視化”が進んだタイ社会で、けばけばしい装い・客引き=“出しゃばり”の極端形として、女性蔑視×性的非難の方向へ語用が強化された——という意味変化の“推進力”は十分に想定可能です。
- ただし、「性産業従事者=“แรด”というレッテルがこの時期に新たに生まれた」とまでは、現状の公開一次史料だけでは立証不能です。語釈自体は辞書にあるものの、初出年・用例の時代分布が未確定だからです。
どこを押さえれば「立証」に近づくか(実務プラン)
- 新聞・雑誌コーパスの年代トレース
1950年代~1990年代のタイ語紙(ไทยรัฐ・เดลินิวส์・มติชน 等)の見出し・本文から「แรด」を含む記事を抽出し、共起語(โสเภณี=娼婦、อาบอบนวด=マッサージパーラー、พัทยา、ทหารอเมริกัน 等)との時系列相関を取る。ベトナム戦争期に性産業語彙との結びつきが統計的に強まるなら、仮説を補強できます。- 辞書・用例集の版面比較
王立学士院辞書・学校辞典・俗語辞典の版ごとの語釈の書きぶりを比較し、「性的ニュアンス」明記の有無や表現の強度がいつ濃くなるかを年表化。- 映像台本・大衆小説の談話分析
1970~90年代のドラマ台本・映画字幕・雑誌小説で「แรด」が誰に向けられ、どの文脈で笑い/蔑罵として機能するかを分類(バービアの会話、ゴシップ欄、コメディ台詞など)。- 地域差
パタヤ・ウドンタニ(基地圏)と他地域で語の出現率を比較。ベース近傍で“性的蔑称”としての濃度が高ければ、R&R起点説の地理的裏づけに。中間結論
- 仮説の方向性は十分にあり得る:既存の「出しゃばる」義に、1960~70年代の“性の可視化”が女性蔑視・性的非難のラベル強化として重なった可能性。
- ただし現段階の公開資料は「傍証」止まり。用例年表と共起分析をやれば、“比喩核(出しゃばり)→性的蔑称化(風俗のイメージ付与)”という時間軸をかなりの確度で検証できます。
- 先行のマクロ史(R&Rが性産業の地理分布を規定した)と、辞書が示す語義の存在は、仮説の“環境条件”としては一致しています。
ほら、仮説を立証できる/できないは別として、十分に論文向きの題材なんだよ。
研究テーマに悩んでる人文学系の学生に教えてあげたい。言語学、社会言語学、地域研究あたりにぴったりじゃね?
研究したら、結論だけ端的に教えてほしい。
聞いたら、へ~って言うから。
ちなみに、知らなかったが実はバハサ(インドネシア語・マレー語)でもオオトカゲとサイは比喩として対人にも使われるらしい!!
biawak(オオトカゲ)
マレー語の成句「mendukung / menanggung biawak hidup(生きたオオトカゲを背負う)」=“厄介者を抱え込む・寄生される”という意味で広く定着しています。辞書・ことわざ集でも明記(「人にたかって迷惑をかける者」)。また「lidah biawak(オオトカゲの舌)」=“二枚舌・信用できない”の比喩もあります。
badak(サイ)
インドネシア語で「muka badak / kulit badak」=“恥知らず・面の皮が厚い”という慣用があり、教育サイトや語彙解説でも“無恥・図太い”と説明されます。サイの“厚い皮”という外見連想がそのまま人の性質へ転用された例です。
ただ、ニュアンスはタイ語のそれとはかなり違うようだ。
タイ語「แรด」=“性×女性性”を強く帯びる侮蔑語(女性に向けられやすい)。
インドネシア語「muka/kulit badak」=“厚顔無恥”の一般的非難語(性別中立、非性的)。
タイ語「แรด」
本義はサイ。俗語では(主に女性に対して)性的に奔放・はしたないという侮蔑の意味で使われます。王立学士院系辞典にも「女性の素行がだらしない」の比喩義が明記されています。
同フィールドの語として「ดอกทอง(淫らな女)」が並び立つことからも、性と女性性への非難が語用の中核です。
インドネシア語「muka/kulit badak」
直訳は「サイの顔/皮」。慣用では“恥知らず・面の皮が厚い”(=図々しい、厚顔無恥)の意味で、性・性別のニュアンスは通常伴いません。国語辞典(KBBI)に「muka badak=恥知らず」、見出し「muka」にも用例「— badak = 恥知らず」が立項。学習サイト・語彙まとめでも「kulit badak=恥知らず」と説明されます。
【侮蔑のベクトル】
「แรด」:性的自己表現/挑発を攻撃
露出・色目・“男あさり”といった性的アピールや、その“あつかましさ(出しゃばり)”を女性に貼るラベルとして機能します。辞書義が女性の「素行」へ向くため、性別ターゲットは女性寄りです。
「muka/kulit badak」:羞恥心の欠如を攻撃
役所の不正、借金踏み倒し、無礼な態度など公共の規範を恥じない態度を非難する幅広いレッテル。男女どちらにも使え、性的評価軸とは独立です。
バハサにおけるオオトカゲやサイは、タイ語のそれより弱くて侮蔑ってよりかは否定的比喩表現ってとこか。
なんでサイの持つ意味が「出しゃばり」から変化したのか?は謎のままだが、オオトカゲは由来がわかってすっきり。

