1998-2000【15】再々インドネシア

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第14話に続く第15話。

せっかくボラカイ島まで北上したのに、直線距離で2,600km南下してまたまたインドネシアの首都ジャカルタまで戻るという超ムダな動きのお話。

ポーリン温泉

標高4,095mの東南アジア最高峰キナバル山の麓に、太平洋戦争中に日本軍が掘削・開発したポーリン温泉がある。「ポーリン」はボルネオ島の先住民カダザン・ドゥスン族の言葉で『竹』を意味するらしいので、ようは『竹温泉』だ。

『キナバル・ゴールド・リゾート』というリゾートエリアの中に宿やレストラン、温泉がある。温泉は大浴場スタイルではなく、大小様々な浴槽があって“自分の浴槽に入る”スタイルで、前の人が入った後のお湯を全部捨てて新しくお湯を張る入り方だからとっても清潔。

湯加減も日本人好みで熱めなのがまた良い。

エリア内には、熱帯雨林を上から眺めるための『キャノピーウォーク』もある。

一生で2~3日しか咲かない世界最大の花ラフレシアを探しながらキナバル山をトレッキングして、疲れた体をポーリン温泉で癒す…ボルネオ島を一周したオレが考えるベストなボルネオ島の楽しみ方。インドネシア?わざわざ行かなくていいっしょ。

ジュルドン・パーク

ボルネオ島の北西部に三重県と同じ大きさの国がある。東マレーシアにぐるっと囲まれたその国の名前は、ブルネイ・ダルサラーム国

首都は皆さまご存じバンダルスリブガワン。クアラルンプールをKL、コタキナバルをKKと呼ぶように、略してBSBと呼ぶ。

石油で潤っている国で、国王はロールスロイス600台、フェラーリ450台を含む高級車5000台を所有しているなど、かつては総資産3兆円を超えて世界の王族で一番のお金持ちだった。ネット情報だと今は世界ランク2位みたいだけど。

国民は医療費や教育費が無料で、首都BSBには家と言うよりお城みたいな家がバンバン建っていて、ポルシェ、ベンツ、BMWなどの高級車もゴロゴロ走っていた。

そんなお金持ちの国ブルネイで、王族が国民の娯楽のために建設した遊園地こそジュルドン・パークだっ!!

今は知らないが、当時は東南アジア一の規模を誇り、最新の遊具が揃っていた。

これが園内の全景。よく管理されていてゴミひとつ落ちていない。

最新の絶叫マシンもあり、スプラッシュ・マウンテン風の乗り物もあった。

ここの何がスゴイって…

なんと全てタダっ!!(当時の話。今は違うらしい)

ゲーセンもあって、スタートボタンさえ押せば無限に遊べる…これぞまさに“夢の国”。

ちなみに、マイケル・ジャクソンは生前ここでコンサートを開いている。もちろん出演料は王族負担なので観客はタダだったそうだ。

さらに…

客が誰もいないから、完全貸し切りっ!!

アトラクションに乗るのに並ぶ必要がないから、並ぶことが大嫌いなオレにとってはこっちこそが“夢の国”。乗りたいアトラクションの所へ行くと、係員がスイッチを入れ自分だけのために動かしてくれる。もちろんタダだから、何度乗ってもOK。

ゴーカートを飽きるまで乗り、ウォータースライダーでびしょぬれになり、ジェットコースターで気持ち悪くなり…めっちゃ楽しかった(と日記に書いてある)。

野郎ひとりで遊園地というのもどうかな?と思ったので、BSBで知り合った女の人と2人で行っているのでご安心を。静まり返った園内で自分ひとりだったら、さすがに心が折れる。

ちなみに、なぜジュルドン・パークが貸し切りだったのか?は後で分かった。

オレらは午後から行ったのだが、ブルネイでは灼熱の炎天下に行くバカはいないそうで、普通は日が暮れた後に行くのだそうだ。

楽し過ぎて最終バスを逃したオレらは、当時国内に3~5台しかないと言われていたタクシー(国民みな車を持っているから需要がない)を呼び、市内まで3,000円で帰る。

遊園地の入場料だと思えばタクシー代なんて全然安い!と思ったジュルドン・パークだった。

再びの南半球

バンダルスリブガワンからスーリアクアラブライトとブルネイを縦断し、国境を越えてマレーシアに入ってからはスンガイトゥジュミリクチンと鬼のように刻みながら南下。

クチン(Kuching)はマレー語で『猫』のことで、名前の通り町中には猫が溢れている。

本物じゃなくて猫モニュメントが…だけど。

クチンからは陸路で国境を越えてインドネシアに入るだけ。当時、海洋国家インドネシアで唯一の陸路国境越えポイントがここだった。

フィリピンで聞いていたポンティアナックでの民族衝突は収束していたようだが、他にも200kmほど離れたサンバスという町で大規模なダヤック族とマドゥラ族の衝突が発生していたこともあって、国境が開いているか?も含めてインドネシアの治安情報を収集する。

あーあ、これからインドネシアか… 7時半発のバスのチケットを34.5リンギットで購入したが、乗客は皆インドネシア人。運賃が高い方のバスにはマレー人や中国人が沢山乗っていて、そっちにすればよかった… やっぱりというか、当然というかポンティアナックまでの10時間、周りはずっとお金の話。本当インドネシア人はお金の話が好きだ。ボクが少しインドネシア語をしゃべれると分かった途端にペラペラ話しかけてきて「日本でビジネスをする時は呼んでくれ」とか、うっとおしい。

そんなに嫌なら行かなきゃいいのに(笑)

インドネシアのポンティアナックは西カリマンタン州の州都で、赤道の南数百mのところにある。インドネシアの中では異色の町で中華系の割合が3分の1を占めるが、マレーシアから入ってくると経済力の違いが歴然としていた。

特に見所らしい見所はないが、一応『赤道記念碑』なるものがある。

アフリカはウガンダの赤道モニュメント(下の写真)よりは立派だが、ただそれだけ。

ポンティアナックからは船で1泊2日かけて首都ジャカルタへ。三度目のジャカルタである。

朝5時にジャカルタのTGプリオク港に到着し、バスで市内に向かう。朝っぱらからバスの中ではギターを弾きながら歌うやつ、詩を朗読するやつ、タイガーバームみたいなのを実演販売してるやつがいてやかましい。彼らはそれで乗客に金をせびるのだ。こんなことがあるのは東南アジアでもインドネシアだけだろう。特にジャカルタではバスに乗っている時は絶えず下手くそな歌かわけのわからん演説を聞かされるのだ。

そんなに嫌なら行かなきゃいいのに(笑)

ちなみに、ジャカルタでオレはなぜかチベットのガイドブックを買っている。あれから20年近くが経とうとしているが、チベットには一度も行ったことがない。

スマトラ縦断

ジャカルタにしばらく滞在した後は、スマトラ島を縦断することにした。

ジャカルタ発メダン行きのバスというものがあり、ぶっ通しで走り続けて50時間かかるという鬼のような長距離バスだった。さすがにバスで50時間は耐えられないと思ったオレは、スマトラ島中部のブキティンギという町で一度降りることにしたのだが、それでも…

32時間もかかったっ!!

はっきり言って道も悪くて全然寝れないし、恐ろしくヒマだったオレは…偶々隣の席になったヒジャブっ子(イメージ画像)と仲良くなって、運転席の真後ろだったがイチャイチャし出し、最後は乳繰り合うという暴挙に。

【イメージ画像】by pxhere

我ながら当時のオレは頭がイカレていたとしか思えん。

ムスリムに手を出そうとする、普通?! あの頃に中東に行かなくてホント良かった…中東じゃなくても、スマトラ島最北部のアチェ州だったらシャーリア警察に掴まってムチ打ち100回の刑に遭ってたかもしれん。男女が近づき過ぎてもムチ打ち20回らしいからな。

変なチャレンジ精神を発揮して、運転手の真後ろだろうが「もうここでやっちゃおうか?」と思ったのだが、さすがにそれは女に断られた。

ここじゃダメ。メダンに着いたら、ね

彼女はメダンまで50時間ぶっ通しで乗る人だったが、オレは途中のブキティンギで降りる。後日メダンで会う約束をして別れたが、結局彼女は約束の日時に現れなかった。

彼女のせいというか、彼女のおかげというか、32時間一睡もせず目をバッキバキにさせていたため、ブキティンギに着いて鏡を見たら目の下に思いっきりクマが出来ていた。

ブキティンギの町については、日記にこう書いてある。

この町では旅行者はスターの気分を体験できる。多分、遠足か修学旅行で来ているインドネシア人の学生たちに囲まれ、サインと写真をねだられるのだ。女の子たち6~7人に囲まれ、1人ずつサインをしてあげて、写真を撮らせてあげて悪い気はしない。特に白人は見た目から“外人”だからすごい人気だ。はっきり言ってブサイクな顔の白人女が20人くらいに囲まれてすごいことになっていた。ボクなんて有名人が来ているのかと思って近づいて行ってがっかりしたほどだ。あの女のうれしそうな顔…自分の国じゃ相手にもされないんだろうな。

暴挙の次は暴言である。

ついにインドネシア出国

ブキティンギからメダンまで北上したオレは、ついにインドネシアを出ることにした。

せっかく陸路で北上してきたスマトラ島を、船で再び南下してタンジュン・バライへ。船を乗り換えてシンガポールに向けて出国し、長かったインドネシアの旅は終わった。

“旅行者”として最も長く滞在した国は、未だにインドネシアだ。そんなに好きじゃないけど。

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