無題2

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前回のおさらい。

世紀末都市バンコクで青春時代を過ごしてしまったばかりに、何かしらの対価を払って女性とセックスすることが出来ない体になってしまったオレ。

そんな呪縛から解き放たれて新たなステージ『キモいおじさん』へと成長を遂げてみようかしら?と挑戦してみたものの見事に失敗。

211115 シリーズ キモいおじさん 第3回

完全に心因性によるものであることは明白であり「オレの心のリミッターを外してお金を払って風俗に行ける体にしてくれ!」と心理カウンセラーに通うべきか…いや、そもそも何の不都合もないし、よく考えたら治す必要性が全くないな…ということで、今まで通り高潔な人間として生きていくことになった心温まる話をした。

もはやフェミニストたちから名誉女性の称号を与えられてもおかしくはない男である。

ただ、誠に遺憾ながら巻き添えでマイケル某氏の秘密を売ってしまった。

昔の話を持ち出してしまったマイケル某氏への謝罪の意味も込めて、それよりもさらに昔…40~50年の話をさせて頂きたい。

さすがにオレも当時の状況を知らないので、国会会議録検索システムを使って国会での答弁を参考にさせてもらった。国会で取り上げられるほど当時問題視されたことという見方が出来る。

例えば…

1985年4月16日の第102回国会・衆議院運輸委員会での参考人・梶本保邦氏(国際観光振興会会長)の発言をみてみよう。

ダラスの例でございますけれども、日本の保険会社の女性外交員四十名の報賞旅行でございましょう、ツアーを組んで行った。それであるストアといいますかデパートというかそこへ行ったわけです。日本のバーゲンセールでよく見かける風景がございますけれども、我先にと土産物の売り場に殺到いたしまして、前からいらした現地のお客様をのけてみんながわっと行った。それのみならず、スカートをめくり上げて下着から現金を出して買い物をした。その苦情が振興会のダラス事務所へ来たわけなんです。もう恥ずかしくて恥ずかしくてどうにもこうにもならなかったとダラスの事務所長は申しております。

これ、国会で『(海外の)レストランで放歌高吟(あたりかまわず大声で歌をうたったり、詩を吟ずること)してはいけないよ、つまようじも使っちゃいけないし、人前で入れ歯を洗っちゃいけないよとかあるいはまた買い物に行っても糸の腹巻きから財布を出しちゃいけないよとか、そんなことを国の機関がやるべきであるか』という論戦をしていた時の発言。

日本人が中国人観光客のマナーがどうこう苦言を呈したところで「お前が言うな」という話である。

南アフリカのおばちゃんたちもよくブラジャーから現金を取り出していたが、昔の日本のおばちゃんたちも負けていないというか…逆に勝ってたわけだ。スカートをめくり上げて下着から現金を出してくるってなかなかだぞ。

さて、今から40~50年前、つまり1970~1980年代、高度経済成長を遂げて成金になった我が日本人たちは、ジャンボ機の誕生によって幕開けた大量輸送時代の波に乗りわんさか海外旅行に行くようになった。

大人が集団でお揃いの帽子を被って、旗を持ったガイドさんの後をカルガモ親子のようにくっ付いて歩くスタイルで、『帽子を被ってメガネをかけて一眼レフを首からぶら下げた出っ歯』というステレオタイプなジャップ像の元になったのはこれ。

イメージ画像として中国人の団体の写真を載せてみたが、我が日本人の方がこの点においても“先輩”なのだ。

ちなみに、バンコクでお揃いの帽子に加えて『曼谷旅遊(バンコク旅行)』と大きく書かれた派手なTシャツまで全員で揃えた中国人ツアー客の集団を見かけたことがあるが、傍から見るとただただ怖いだけ。

そんな1970年代に我が日本人たちが大いに盛り上がり、結果として1980年に社会問題化したのがこれだ。

1981年1月10日の読売新聞の記事。

最初は韓国のキーセン遊びで、徐々にフィリピンやタイを中心とした東南アジアに渡航範囲を広げていったようだ。

1981年1月23日付の読売新聞。

日本エアー・ツーリストが、4泊5日64,800~98,000円で香港・台北・マニラ・バンコクのいずれかへ行く買春ツアーを行っていたとして運輸省から警告書が出たというニュース。

1970年代の10年間を買春ツアーに行きまくっていた日本人だが、1980年に渡航先諸国で抗議の声が大きくなって問題が表面化した末の旅行会社への“警告書”。

第1号とあるが、第2号は存在しないので所詮は見せしめ&「行政として対応しましたよ」というアリバイ工作だろう。日本エアー・ツーリストとか大したことない旅行会社を吊し上げるくらいなら、悪名高き農協の買春ツアーを対応した方がよほど実があったのにしなかったわけで。

ツアー旅行というと、旅行会社がツアー内容を企画して、それに興味を持った人が参加して…というものだが、1970年代の買春ツアーはそれだけではなかったようだ。

1982年3月23日の第96回国会・衆議院運輸委員会での四ツ谷光子委員(共産党)の発言。

「私の会社の買春ツアー」「ある女子社員の手記」というのがございまして、これは東京のある出版会社が社員に本を売らせて、ある程度ノルマを上げた者に対して報奨制度ということで、会社ぐるみで買春ツアーに出かけておる、これがもう年中行事のようになっておる、こういうふうな会社では困るんだという、ある女子社員の告発の手記が載っておるわけでございます。それからまた、自動車の販売会社で、自動車五台売ったらマニラへ、十台売ったらハワイへ、ハワイは健全旅行だからマニラに二回行く、こういうふうなキャッチフレーズで、自動車の販売会社で、いわゆる自動車をたくさん売った社員の報奨制度ということで、企業ぐるみの買春ツアーというものが行われているということがよく報道をされたり、告発の手記が方々に載っているのですけれども、大臣はそういうふうな事実について御存じでしょうか。

もはやご褒美扱いで福利厚生化していた!というね。

金銭的な部分の情報も国会の議事録に残っている。

1981年4月6日の第94回国会・参議院決算委員会での穐山篤委員(社会党)の発言。

ある観光団は、マニラで、いろんなことがあるわけですが、一人の女性を買うわけですね、集団で買うわけですが、八十ドル、一万六千円の支払いをしていることは間違いないんです。その金を分けてみますと、これはごく最近の数字ですよ、その女性に日本円に換算をしまして千五百円を払っています。クラブのマネージャーに二千円払っていますね。それからホテルに三千円払っています。その残りが九千五百円でありますが、この九千五百円は四つに分かれております。現地のランドオペレーター、それから現地人のガイド、それから日本の旅行社、添乗員、全部に行っているわけじゃないんですよ。これは標準的な最近支払った数字です。その九千五百円のうちの二分の一が現地の旅行会社に入っている。

80ドルが16,000円って、1ドル200円の時代か…

さて、1980年から社会問題化した買春ツアーがどうなったか?というと…

こっちから行けないなら向こうから来てもらおうと、1981年から日本に出稼ぎに来る“じゃぱゆき”さんが激増する。

1985年5月24日の第102回国会・衆議院外務委員会での田中美智子委員(無所属)の発言。

今のこうした買春ツアーもまだあるようですが、大分数としては、フィリピンには二十七万人も日本の中年の男性が行っていたものが今は十万に減った、まあ十万も大変ですけれども。その反対に、たくさんの向こうの女性がみずから来る場合もあれば、だまされて連れられてくるということもあるわけです。

歌手とかダンサーという名目で興行ビザで入国して、そのまま不法滞在するやつ。

この日本に出稼ぎパターンは1990年代まで続いたわけだが、オレが初めてタイやフィリピンを含む東南アジアに行ったのは1997年だから、この出稼ぎ不法滞在世代はオレもギリギリ接点があると言えばある。

オレからしたらすでに“おばさん”ではあったが、日本語も話せるし、色々と親切にしてもらった覚えがある。意外と日本では都市部じゃなくて「そんなとこに?!」っていう地方に住んでたらしいよ。

そういえばサンクトペテルブルグで相部屋だったロシア人の女2人組も山口県宇部市に興行ビザで“ダンサー”として行くと言っていたし、地方に行く理由が何かあるんだろな。

時代によって変わってゆくこともあるが、絶対的に変わらないのは富める側と貧しい側の経済的格差の構図。買うのはより金を持っている側であり、売るのはより金を持っていない側という構図は昔も今も変わらない。

今の中国って、かつて日本がやっていたことを繰り返しているだけとも言える。

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