和気シクルシイ著:戦場の狗-ある特務諜報員の手記

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屈斜路湖の近くコタンに生まれたアイヌ、和気シクルシイの著書を読んだ。

友人が「一気に引き込まれた強烈な自叙伝」とか言ってるから、どんなもんか?と思って。

和気シクルシイとは何者か

彼は大正7年生まれ。もう亡くなっている人。

4才で尋常高等小学校2年に編入。翌年からは英語だけの授業になり、7才で旭川商業学校2年に特別編入。

英語はもう習うほどのものではなくなり、フランス語とロシア語と中国語を学習。

11才で満州のハルピン学院という国立大学に特命入学。英語・フランス語・ロシア語・中国語・モンゴル語・ラテン語・ギリシャ語を学習。さらに、体術・銃器・爆薬・無線通信・暗号を勉強。

13才でロックフェラー財団系の燕京大学に入学し、ウラル・アルタイ語を専攻。

17才で南カリフォルニア大学に留学し、20才で北千島アイヌ語について論文を書き博士に。

20才の時に日本に戻り、大日本帝国陸軍に入隊。3カ月で憲兵少尉に。

松岡洋右の命を受け、スパイとして満州から中国、東南アジアと諜報活動に従事。

戦後、国民党軍に捕まり拷問されるが最終的には日本に無事帰国。

とんでもない経歴の持ち主で、神童にして語学の天才だというからどんな自叙伝なのか大いに興味を持ったわけです。

そんな彼が書いた本は2冊ある。

『戦場の狗』は絶版になっていて、内容は戦時中の諜報活動がメイン。

『まつろはぬもの』は、生い立ちも含めた半生を書いているとか。

戦場の狗

今回、『戦場の狗』を読んでみました。

いきなり感想をいうと・・・限りなくグレーなノンフィクションに思える。

フィクションとまでは断言できないけど、色々と引っ掛かるところが多くて残念ながら「すげーっ!!」とはならなかった。

まず、スパイとしてのミッションがあって・・・

  1. 南京事件のような戦闘中に起こった暴虐行為の真偽を調べる
  2. 暴虐事件のうち作戦行動とは関係なく起こされた人倫にもとる行為を調べる
  3. 中国を中心に、東南アジアの思想傾向を調べる

このミッションからしてよく分からないけど、まぁいいでしょう。

オレが読んでいて引っ掛かったうちのいくつかを列挙しましょ。

存在しない固有名詞

11才で国立大学・ハルピン学院に入学したシクルシイは、体術・銃器・爆薬・無線通信・暗号を勉強したそうで、こんな授業だったそうです。

体術の教師は、いつか事務所で見かけた朝鮮人で申竜五と言い、本人は「老師と呼びなさい」と中国語で話した。
老師の授業は凄まじいものだった。11才にしては背も高い私と変わらぬ体格のこの老人は、とても人間技とは思われない身のこなしと技を使った。二年間の修練の初めの二~三カ月は正座したり立ったりの姿勢での呼吸の仕方ばかりだったが、技の修練に入ってからは体じゅうに打ち身の痣が残り、赤黒い跡が消える間もなかった。裸足でする早駆けや何百回と続けられる砂地での蹴り技のため、踵の皮が破けて血が流れても老師は知らぬ顔をしていた。
「この体術は何というのですか」と訊ねたところ、朝鮮の武術でテコンドーと言い、中国の拳法や日本の空手や柔術とも違う。すべての技が必殺の極め技で、テコンドーでは負けることは死ぬことだと教えている、と答えた。

うーん・・・1929年の話なんだけど、そもそも『テコンドー』という言葉が出来たのが1955年と戦後で当時はテコンドーという言葉すらなかったはず。

細かいところで揚げ足をとりたくはないけど、凄まじい練習をして修得した格闘技名を忘れたり言い変えたりしますかね、普通?

厳しい修行でプンチャック・シラットを極めた人が「どうせプンチャック・シラットって言っても分からないだろうから・・・」といって「インドネシアの空手をやってます」とか絶対に言わないように、固有名詞としての武術名は間違えないし変えないものだと思うけど。

そもそも前提として語学の天才ってのがあるわけだし。

まぁ、これもいいですよ。

もっと引っ掛かっちゃったのはこれ!!

存在しない湖

日本軍がタイで大がかりな阿片の密造をしているという情報を仕入れて、著者シクルシイが現場を確認しに行った話。

ウドンターニーから西へ100キロあまり。そこから幅20メートルほどの川を南に30キロほど下ったところにあるウドルラツナ・ドム湖の湖畔にあるのが現場(密造工場)。大きな湖だった。その湖から西へ300キロほどのビサヌルークに向かった。

抜粋した文中のこれらの情報から場所は特定できる。

ウドーンターニーから西へ100キロ、南に30キロの場所にあり、かつピッサヌロークから東に300キロのところに位置するのはウボンラッタナ・ダム以外ない。

本ではウドルラツナ・ドム湖になってるけど、ローマ字表記のUbolratana Damを間違っている可能性大。

ローマ字表記上はUBOLになるけど、タイ語ではウボルではなくウボンとなるのを知らないようだ。

ちなみに、このウボンラッタナ・ダムは名前の通りダムで、巨大な人造湖

シクルシイは1941年12月に『ウドルラツナ・ドム湖』の湖畔にある日本軍の阿片密造工場に行ったと書いてるけど・・・

ここ、そもそも1966年に完成した人造湖なんだけどなぁ~。

しかも完成直後は別の名前だったのが、後年になってウボンラッタナ王女の名前を冠した経緯があるので、1970年代以前にはウボンラッタナ・ダムという名前は存在していなかったことになる。

さらに言えば、現在のウボンラッタナ・ダムがある辺りがジャングルだったことは1959年に旧米国陸軍地図局(AMS)が作成した地図でもはっきり証明されており、1941年当時には湖自体存在していなかったにも関わらず細かく湖を描写している謎。

存在しない麻薬王

さらにはこんな記述も。

北部タイには、張奇夫、通称クンフーと呼ばれる阿片商人の大親分がいて、二、三万人の私兵を北部タイ一円に配置して、タイ・ビルマ・ラオスが国境を接する、いわゆる黄金の三角地帯と言われる世界一の阿片生産地帯に君臨していた。

麻薬王・張奇夫は、通称クン・サね。

クンフーだと、カンフーの中国語読みになっちゃうぞ。

あと、シクルシイが日本軍の阿片密造工場に行った1941年といえば、クン・サは7才!!

「君臨していた」とか書いているけど、実際にクン・サが麻薬王として名を馳せるのは20年以上先の話で戦後の話。

1993年に書いた本だから、50年近く昔のことで時系列がおかしいとか、事実関係に疑問符がつくとかある程度は致し方ないとは思うんだけど、このタイの話はちょっと見過ごせない。

だって湖は当時なかったし、麻薬王も当時7才だよ?

南京事件について

南京を調査したことについても書いていて、事件の4年後に南京入りしているんだけど・・・

(犠牲者)30万人を遥かに越えるという噂も信憑性を帯びてくる。

20万はおろか30万人という数も決して大袈裟なものではない。

けっこう断定的に犠牲者数を書いているわりに、情報のプロであるはずの特務諜報員なのに根拠となる情報の明示が一切ない。

世界紅卍字会と、南京市の慈善機関の発表だけでも十分に信頼されるものであった

というのは数字に対する根拠としてはちょっとな・・・そもそもこういうことを調べるのが主任務のスパイだったんじゃないの?

結論

他にもちょこちょこと引っ掛かっちゃって、スッとは入ってこない本でした。

情景描写とかは実際に行っていなければ書けないだろうなとは思うんだけど・・・戦後の情報にかなり影響されて話を色々と盛ったのかな?

少なくとも1970年代の世界の上に自分の話を展開していて、『戦時中の手記』としては信憑性に欠ける部分が多く「そもそもスパイだったのか?」も含めて怪しさ満点。

ちなみに国立国会図書館のレファレンスに『シクルシイが実在していた証拠となることがわかる資料はあるか』という質問に対する回答が載っています。

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コメント

  1. nm より:

    「戦場の狗」は何年か前、図書館で借りたことがあります。借りたなー!そう言えば!と思い出しちょっと感動しました。何の知識もなかったので素直にするする読んでしまった気がします。
    なるほど。してやられたり。
    和気シクルシイは、超エリートなのかおとぼけスパイなのか気になるところですね。
    「まつろはぬもの」おそらくまたしてやられると思いますが、読んでみます。
    ゆずさん書評は楽しいです。

  2. 豊島 より:

    私は第一生命に35年勤務した歯科医師で、30年ぐらい前和気さん(当時人権担当弁護士)の治療をしていました。第一生命には当時 初代の日本モンゴル協会の会長になった春日医師(奉天医科出身)などもおられて、談話する機会が多かったです。和気さんの話は、多少盛っているところもあるかもしれませんが、ベースは信じられると思います。個人の発する情報は消されやすいですので、一言でした。

  3. より:

    >豊島さん
    和気さんのお知り合いの方なんですね。
    信じられる根拠があればぜひ信じてみたいのですが、読者というのは本に書かれている内容からしか判断できないのが残念なところです。
    当時は存在すらしていなかった湖の細かい情景描写までして日本軍の阿片密造工場の話をされても、「ちょっと盛ってるだけ」とはならないですよね。ベースは信じられるというベースがどこまでかの線引きを読者がするのはずいぶんとおかしな話です。
    弁護士だったからとか、知り合いに会長で医師がいたとか、残念ながら信憑性には何の関係もないことですし。