エチオピア旅の話を書けない理由

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1月に行ったエチオピアについて書く気がおこらない。

すっげー良かった!!とか、すっげームカついたい!!とか、激しく感情を起伏させるような印象を受けるとまた違うのだが・・・

「まぁ~、思ったより普通でした」

さっぱりした印象しか残っていないせいだ。

ダナキル砂漠自体はすごく良かったが、良かったのは景色であって、景色だけなら写真を載せれば済むという。

実は、オレが嫌いな国のワーストはエチオピアだった。

ワースト2位はアゼルバイジャンだ。

あんなに嫌いなエチオピアだったのだが、今回7年ぶりに行ってみると思っていたほど悪くなかった・・・

「あれ、こんな程度だっけ?」

と、ちょっと拍子抜けしたせいか分からないが・・・

なぜか書く気がおこらないのだ。

そんなわけで、(オレの中で)ワーストの座を返上したエチオピアは幾つか順位を上げ、今はアゼルバイジャンが一番嫌いな国である。

前回の印象ではすんげー人がうざくて毎日イライラしていたのだが、今回の印象では中途半端にうざい程度で許容範囲だった。

オレ自身が大人になっているということもあるが・・・

アフリカを南から縦断した前回の旅では、道中で募りに募ったイライラがエチオピアくらいでピークに達しただけだったのかもしれない。

今も道を歩いていれば「チャイナ!」とか「ニーハオ!」とか言われるが、あれだけ中国人の進出がすごければ間違えられても仕方がないよ。

エチオピアのボレ国際空港で見かける中国人の数を見たら、そりゃ諦めの気持ちが生まれますよ。

エチオピア人にしてみたら、100人のアジア人に「チャイナ!」って声かけて、99人が正解だったらそりゃ「チャイナ!」言いますわな。

首都アジスアベバ郊外に中華系の工業団地もあるようだし、軍服を着た人民解放軍もいて軍事交流もしているようだし、アフリカにおける中国の浸透力には目を見張るものが・・・

あと・・・

エチオピア自体に劇的な変化がなかっただけに、なんか微妙。

微妙に道路がキレイになっていたりとか、微妙に乞食が減ってたりとか、変化が微妙過ぎるくせにそんなに昔の思い出も鮮明じゃないから、懐かしさも驚きも覚えない微妙なオレ。

中途半端に記憶がある分、余計に新鮮さを覚えないんでしょうね。

新鮮さを覚えないと同時に、ボロボロの服を着て地面に這いつくばっている人の姿を見ても、東京にいる時となんら変わらない心理状態のオレ。

完全に不感症。

逆にどうでもいいことが記憶に残っちゃったりして・・・

ドバイからアジスアベバまでの飛行機で、オレの隣に座ったバングラデシュ人のおっさん。

ダッカから・・・

オマーンの首都マスカットを経由し・・・

ドバイを経由し・・・

アジスアベバを経由し・・・

ブルンジの首都ブジュンブラに行くとか言ってんだけどさ。

そんな乗り継ぎだらけのフライト、逆にどうやって買ったんだよっ!?

怪し過ぎてビックリしちゃった。

しかも、マスカットで10時間、ドバイで15時間、アジスアベバで・・・と中継地では空港を一歩も出ることもなく、ひたすら空港で過ごしてるんだよ?!

意味わからん。

怖くて、ブジュンブラに何しに行くか?聞かなかったけど。

「ダッカからブジュンブラまで2日かかる」

とか言ってたけど、絶対おかしいって!!

乗り継ぎが多ければ多いほどチケットが安くなるわけでもないし、大体がマスカットから隣のドバイのフライトに乗る意味なんて皆無でしょー。

何かの運び屋かな?

・・・どうしよ、次回は頑張ってダナキル砂漠ツアーの部分だけ書いてみようかな。

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コメント

  1. かもめ より:

    こんちわ。
    何もコメントしてないけど、ずーっと読んでます。前回の“絶望の淵”で、あれれっと心配しましたよ。生きてたね。良かった。
    60年以上も生きてると大概のことには不感症。海外も、遠い昔、韓国に行ったきり。これも仕方なくお付き合いでした。飛行機嫌いだし~。下りた空港の匂いだけで帰りたくなった。
    今、感じなくても、あとでジワ~っとくるかも。おぼえているだけでも、書いとけば。

  2. より:

    >かもめさん
    コメントありがとうございます。
    とりあえず忘れないうちに書いておくことにしました。