ローカル・ルール

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電車内で、デザインは違えど必ずといっていいほどこんな内容の注意書きを見かけます。

電話は電車内ではなく、家でするのがマナーとされているわけですが・・・

面白いもんで、オレも電車内で携帯電話で話している人を見かけるとイラッとする時があるわけです。

そして、そんな自分に気が付いて可笑しくなったりします。

だって、日本にいなかった時は電車内で携帯電話を使って話すとか別にふつうのことだったのに、日本に住んでいるうちにすっかりマインドコントロールされたな・・・と感慨深いわけです。

バンコクのBTSに乗ってる時に電話で話してる人を見て迷惑だと考える奴なんているんですかね?

ケープタウンの混み混みのミニバス内で電話で話してる人を見て迷惑だと思う奴なんかいるんですかね?

そもそも電車内で他人が携帯で話をしていることが、自分にとっていかに迷惑か?を理路整然とした説明できる人がいるんですかね?

けっきょくのところ・・・

それがマナーだから

という『社会的合意』を盾にして、実際には個人的にどれくらい迷惑なのか?という具体的理由は抜きで、社会的合意を反故にしている時点で「それこそが迷惑なのだ」という“社会正義”が自分の中で芽生えちゃうわけですね。

これって、ふつうにマインドコントロールじゃん。

ペースメーカーに悪影響・・・って話も、ペースメーカーに10cm近付けたらの話であって、他人の心臓あたりにくっついて携帯で話す奴がいたら別な意味でダメでしょ?

あと、エスカレーターに乗った時に左右のどちらかを空けるってやつ。

東京はを空け、大阪はを空け、とあるみたいですね。

それ自体は別にいいと思うんですけど・・・

東京に住んでいるオレは、右を空ける派に強制的に属してるわけです。

ある時、ガラガラの電車を降りたオレは、自分の前方に誰もいないエスカレーターに乗りました。

特に後ろにも人がいない気配だったので、エスカレーターの右側に立って左側を空けて乗ったんです。

いわゆる、東京なのに逆パターンってやつですね。

少しすると、後ろでカッカッとハイヒールでエスカレーターを駆け上がってくる気配がしました。

そのハイヒールの音がオレの真後ろでピタッと止まったので、振り向いてみると・・・

すげー睨まれてたw

後ろを振り向いて分かったんですが、そのエスカレーターに乗っていたのはオレとその女の2人だけでした。

いや、これが他の人たちがみな左に立って右側を空けてて、オレだけが逆だったというのであれば睨む意味もあると思うんですよ。

いわゆる邪魔ってやつですからね。

ところが、先にエスカレーターに乗っていた人が1人だけの場合、後ろから来た人が左から追い抜こうが、右から追い抜こうが全く一緒で、こだわる意味が全くないじゃないですか?

別の時には、男性がチッと舌打ちをしながら左側を追い抜きざまに振り返ってました。

この場合も、エスカレーターに乗ってるのはオレとその男だけ・・・

スポーツバイオメカニクス的にいって、右側から追い抜く方がフォームが美しいのだっ!!

とか言われたら、「あら、そうなの?」ともなりますが、実際はそんな理由じゃないでしょ?

結局のところ、『東京ではエスカレーターに立つときは左側であるべし』という社会的合意に忠実でありすぎるがゆえに、右側に立ってるような輩をみると「マナーのなっていないけしからん奴だっ!」という強迫観念にかられたんじゃないか?と思うわけです。

もしくは・・・

我こそは東京人なり

という己のアイデンティティーをエスカレーターの右側を歩くことで再認識している人たちで、それを邪魔されたのでイラッとしたとか?

そうだとしたら、ただのバカですけどね。

本質的なことで言えば、みんながバラバラに立って乗っていたら、エスカレーターを歩いて上ろうとしている人が不便だから、共通のルールを作りましょうってだけの話であって、どっちか片方が空いていたらいいんじゃね?って思うんですけど。

もちろん、東京だって広いからひとくくりにはできないけど・・・

ローカル・ルールが強く現れる都市って、なんか国際都市って感じがしないですよねぇ~。

いろんなローカル・ルールの下で育ってきた人間たちが集まって、ちょっと猥雑とした雰囲気の中で緩やかなルールの下で形成された都市の方が、オレは『国際』っぽいと思ったりして。

これが、東京でも駅のホームで線路に向かって子供におしっこをさせてる親子を見かけるようになったら、それは日本が国際化ではなく中国化していると思って結構だと思います。

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