劣等感か、優越感か

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日本、暑っっつ~い!!

この湿気の高さと、都会特有のアスファルトの照り返しでグダグダだ・・・

まぁ、ここ最近は雨の日が続いているのでまだマシだが、これからクソ暑い日々が来ると思うと、ちょっぴり日本に帰ってきたことを後悔するのだった。

ケープタウンの気候が恋しい・・・

地中海性気候、万歳!!

今日は、そんな暑苦しい夏を迎えることを祝して、若干暑苦しい話題をしたいと思います。

先日、仕事先で知り合った女性がいました。

(俺に限って言えば)名前も知らない程度の薄っぺらい知り合いなのだが、「顔立ちがフィリピン人かタイ人みたいですよね」と言ったらムッとしたようで、その後すれ違っても目も合わせてくれなくなった。

若干・・・嫌われたようである。

俺は決して悪い意味で言ったわけではないのに、なんでムッとしたのだろう?

結局は、その人の心の奥底に眠っている劣等感と優越感の線引きを越えてしまったからじゃないか?と考えてしまった。

もし俺が「顔立ちがデンマーク人みたいですよね」と言ったら、今頃はすれ違い様にガン見されるくらいアイコンタクトはバッチリなはずである。

じゃぁ、この線引きはどこなんだ?って話である。

正直言って、俺も一緒であろう。

メタボでハゲ河童なおっさんに、ちょっと見下されたような目をされながら「君、スウェーデンとアイスランドのハーフみたいだよね、ケッ!」と言われても、ムッとするどころか逆に「た、確かに言われてみればそうかも・・・」と新たな自己発見にドキドキしちゃうかも知れないが、可愛い女の子に「キャー!ブルキナファソとカンボジアのハーフみたいでカッコいい!」と言われたら、言葉尻では褒められているにも関わらずちょっと小バカにされているような気分になって素直には喜べないはずである。

仮に「いやーん、ニャンジャ族とンデベレ族のハーフみたいだから、抱いて!」と言われても、よっぽど機嫌が良くない限り「マジで~?よく言われるぅ~」とはならないだろう。

リアクションに困った挙句、シカトすると思う。

俺が南アフリカから日本まで2年掛けて旅してきた結果わかったことは、中国に入るまでのほぼ全体を通して日本人は中国人に間違われるということである。

「ちんちゃんちょーん!」とか、「ひーほー」とか、「ちーん!」とか、「ちぇーん!」など町中で中国人への侮蔑語を投げかけられることも多々あった。

当然ながら、ムッキッキーとなるわけです。

「日本人じゃ、ボケっ!」と最初の頃は売られた喧嘩も買っていたわけだが、よく考えるとこれも少しおかしい話だ。

彼らは俺を中国人だと思ってバカにしてくるわけだが、俺は正真正銘の純日本人である。

もし俺が中国人だったとしたら怒るのも当然だとは思うが、中国人に対して投げかけられたはずの侮蔑語に対して日本人の俺がイラッとくるのもおかしいわけである。

結局は、俺が何に対してムッキッキーとなっていたか?と言えば「生粋の大和民族である俺様が、あんなダサダサでトイレも流さないような人民に間違われている」ということにムッキッキーとなっていたわけなのだ。

分かりやすい例で日本人と中国人を挙げてみたが、他の地域にも同じようなことはある。

イランでもよく中国人に間違われてバカにしてくる確率が高いが、お返しに「黙れ、アフガン人! バーカ、バーカ!」と言ってみよう。

「アフガン人じゃねーもん!」と見事に相手はブチ切れるぞっ!

殴りかかってくるイラン人もいるので注意しよう。

間違いなくタダでは済まされない気がして俺は試したことがないが、アゼルバイジャン人に向かって「このアルメニア人がっ!」と言ったら、相手はそうとうブチ切れるはずだ。

ガチンコで戦争していた敵国同士、しかもアゼリーはアルメニアに負けているのでかなりの効果があると思われる。

首都アジス・アベバ以北のエチオピア人に「やーい、黒人!」と言ったら、「黒人じゃないもん!」とブチ切れる。

これは実験済みだ。

彼らは自分たちを黒人じゃないと思っている(実際に顔立ちはアラブ系に近い)ので、アジス・アベバ以南に多いリアル黒人のエチオピア人と一緒にされるのも嫌がる。

ザンビア人に「黙れ、マラウィ人!」と言うと嫌がるように、どうやら近隣諸国の人種に間違われるとイラッとするのは万国共通らしい。

しかし、エチオピア人から面と向かって「お前らアジア人は目がこーんなに細いし、俺たちより背が低いし、ブサイクだ」と言ってきた場合(実話)は、若干また違うレベルになっている。

ちなみに、アフリカ全体でどことなく共通しているのが、ナイジェリア人呼ばわりすると非常に嫌がるケースが多い。

これは興味深い発見である。

ちなみに、極悪な治安の南アフリカでも「治安が悪いのはナイジェリア人のせいだ」と思っている南アフリカ人も多い。

実際は、この前のヨハネスブルグでの外国人排斥暴動でも分かる通り、元々の南アフリカ人がジンバブエ人やモザンビーク人、ナイジェリア人に生きたまま火をつけたりして殺害したわけである。

タイでは『ラオス人』という言葉自体が使い方によっては侮蔑語にも応用可能である。

喧嘩の時にタイ人に向かって「うるせーよ、ラオス人がっ!」というだけで、立派に喧嘩として成立できちゃうのだ。

白人はどうだろう?

髪がクルクルパーマのやつに「お前はユダヤ人か?」と聞くと、ムッとするやつが多いことを発見した。

顔立ちが濃いやつに「あんた、インド人?」と聞くと、露骨に嫌がるやつもいたりする。

つまりは、「こいつらよりは俺の方がマシ」と心の奥底で思っている線を微妙に刺激してあげると、人はイラッとするようである。

ところが、大抵の場合は(日本人と中国人のように)第三者から見ると、両者の違いがよく分からない程度の『ドングリの背比べ』なのだが、本人たちにとっては至って大問題なのである。

「差別は失くそう」と言葉で言うのは簡単だし、美しいが、大抵の人が持っているであろうこの『線』は何なのだろう?

地図を広げてみると、ルワンダ北部とウガンダ南部には国境が2ヶ所ある。

その左側の方にある山の中の国境を越えると・・・ウガンダ側のポリス・チェックにいる警察のおばちゃんがゴリラに瓜二つである。

今まで29年間生きてきて、数々の猿似の人間に会ってきたことがあるが、あそこまでそっくりなのは彼女一人である。

この場合、「うっわー、ゴリラそっくりですね!」と言ったらどうなるか?だが、これは残念ながらNGである。

「コンゴ人そっくり!」と言うのとでは、レベルが違うのである。

同じ霊長類といえどすでに人間ですらなくなっているので、この場合は劣等感と優越感の間の微妙なラインに触れてしまうどころか、「人類である」という基本中の基本を否定しちゃうので、下手したらマウンテンゴリラパンチを食らっちゃうぞ!

ここら辺の線引きが難しいな・・・と思う今日この頃です。

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