儚いわ~・・・
しんみりするのは性に合わないけど、さすがに同じ月に2度も訃報を聞かされると思ってなかったから、むちゃくちゃ凹むわ~・・・
今、やさしい言葉で誘惑されたら、すぐ知らない女とでも寝そうだわ。
海外にいた期間でも、特に思い入れの強い場所というのはあるわけで、
もちろん一番長くいたタイはそうだけど、中央アジア(特にキルギス)や、アフリカは特にオレにとって思い入れの強い場所でして・・・
アフリカの“戦友”の突然の訃報には、正直ショックを隠し切れないっす、オレも。
あのクソみたいな大陸で、それなりに長い期間を一緒に過ごした仲だしな。
まだまだ、若いのにな・・・死ぬなんて、バッカじゃねーの?
なんか逆に腹が立つわぁ~、年上だけど昔のように説教してやりたい気分。
なんか・・・凹んでるから、こんなこと書いちゃうんだろうけど、
普通なら、こんなこと絶対に書かないだろうけど、
なんか今日は、人類すべては未来志向なんじゃないか?と思っちった。
なんていうか・・・
新しい命が誕生した時、周りの人々はその命をこれからの人生で待ち受けている楽しいことだったり、苦難だったり、未来のことを勝手に思い巡らして喜んだり心配したりする。
人が年をとってくると昔話が多くなるのは、自分の未来に限界を感じとってきているからに違いない。
自分の未来に限界がみえると過去を振り返りたくなるんだ、きっと。
未来に何の希望も見い出せず、生きる活力を失った人を『生ける屍』と呼んだりするが、
どんな生ける屍にも0.1秒後には絶対に未来がやってくる。
ホンモノの屍には、屍になったその瞬間から絶対に未来が来ない。
もちろん色々な宗教観があって、大体どの宗教にも共通する『死後の世界』という概念が存在するのは知ってるけど、ここではあえて現実世界の話だけをしているわけで・・・
他の人がどうか知らないけど、少なくともオレが死を悲しむのは、その人と未来に何かを共有する機会が失われたこと。
死んだ瞬間から、もう過去の存在でしかなくなるっていうか、思い出話にしかならなくなるのが嫌だ。
「今度、こんなこと一緒にやろーぜ」
という、未来の話ができなくなるのが寂しいっていう感情なんだろうね。
死んだ瞬間に、思い出の中でしか存在しなくなるという感覚っていうのか?
結局、アフリカの時のしょーもない思い出しか残らなかったわけだし。
暴動の時の催涙弾で「目が痛~い!!」とキャッキャしたり、治安極悪の夜の街に走ってビールを買いに行ったり・・・
ケニアじゃ変な女を好きになったのを知ってるし、エジプトじゃ韓国人を好きになってフラれてたし、なんだかんだで童貞なんじゃねーの?と思っていたけど、ホントのところはどうだったんでしょう?
今となっては知らねーし、どーでもいいわっ!!
所詮が、そんな思い出の中の一部になっちゃんだよね。
こっちにしてみれば、思い出とは過去の積み重ねであって、生きれば生きるほど思い出は積み重なってゆくわけで。
オレにはこの瞬間の1秒1秒が思い出として積み重なっていくのに、未来がなくなった人との間には過去の思い出しか残らない。
そうなると、積み重なっていく思い出の中で彼との思い出も埋もれていくのかな~と・・・
寂しい気分になるわけです。
冬山で亡くなった友達の悲報がショックじゃなかったわけではないけど、さすがに立て続けに悲報を聞くと、ショックだね。
今度、アフリカ組で集まって飲もうか?