南部アフリカにおける画期的な軍事革命が起こったのはズールー王国を築き上げたシャカ王の時代と言われてます。
時代は18世紀末で、日本では徳川家第11代将軍が治めていた頃。
ヨーロッパの文献では「冷酷さではアフリカのチンギス・ハン、戦術ではアフリカのナポレオン」などとも評されるシャカ王。
ングニ棒術やムサングワ(頭突きや、鼓膜破りや、ヒザ蹴りなど基本は何でもありの戦闘術)、イシナファカデ・サマトンゴなどの格闘術を体系化したのもシャカ王とされています。
軍隊に連隊制を導入し、1日80kmの行軍が可能な機動性ある軍隊を組織し、機動性があるがために前線が伸びてしまう弱点を補うため補給物流システムを構築したのもシャカ。
1日80kmの行軍って異常に速いっすよ。武田信玄の騎馬隊みたいに馬じゃないですからね、10km/hで8時間走り続けて80kmでしょ・・・ 甲冑武具を身につけてない利点はあるとしても、数万の軍勢が槍と盾を持って1日80km行軍するってまさに「疾きこと風の如く」。
シャカが考案した戦法『バッファローの角』は、彼の死後に大英帝国軍が攻め込んできた時にも使用され、緒戦では火器武装した大英帝国軍を相手に、槍武装したズールー軍が大勝するという結果を出して優れた戦術であることを大英帝国軍に見せつけました。
まぁ、結果的には衝撃を受けた大英帝国が増援を派兵して、最終的にはカノン砲も装備した圧倒的な火力の大英帝国軍の前にズールー軍は敗北して植民地化されるわけですが・・・
じゃあ、シャカが現れるまでの『戦争』ってどんなもんだったのか?って話です。
戦争にもいくつかパターンがあったみたいなんですが・・・
まずは、部族長同士で決闘対決。
この場合、戦死者1名。最悪、相討ちになったとしても2名が戦死して終戦。
続いて、お互いに長槍を投げ合う。
オレも実際にズールー族に聞いたんですけど、投げた槍が外れたら「敵陣に外した槍を取りに行くか、新しい槍を取りに家に帰る」そうです。
スペアの槍を持って行くとか、敵が投げて外れた槍を拾えよっ!!と思ったんですが、どうやらシャカ王も「ちょっと効率悪くね?」と感じたところはオレと一緒でその後の『画期的な軍事革命』に繋がっていくわけです。
こちらも投げた槍が外れることが多く、戦死者は少なかったようです。
他には、ダンスバトル。
お互いに歌と踊りで威嚇しあうと。
こちらは戦死者ゼロ。勝敗の判断基準がいまいち分かりませんが、「あいつのダンスやばくね?」みたいに思われたら勝ちってことなんでしょう。
当時のアフリカで蜂須賀家が戦ったとしたら、阿波踊りでどこまで勢力を伸ばせたのか?興味はあります。
「集団で腰を低くして、両手を何度も天に突き刺すポーズ・・・蜂須賀、おっかね!!」
みたいになれば、南部アフリカを統一できたかもしれないわけですからねぇ~
ニューギニアのワマン族だって、泥のお面を被って行けば敵がお化けだと思ってビビるっしょ?って体で、あのデカくて重くて視界の悪いお面をわざわざ被って戦場に行くわけじゃないですか?
戦闘になったら確実に不利だし、近接戦になったら間違いなく先にやられますよ、あんなお面を被ってたら。
「泥のお面を被って踊ってたら怖いでしょ?」
って言われたら確かに怖いですけど、噂ですでに事前情報として仕入れていたら「そんな恰好して踊ってるのって、ワマン族ですよね?」となって怖がることもなく倒せるわけです。
まぁ、それと一緒ですね。ズールーとかコサとか、あの辺の部族の踊りって片足をどこまで高く上げられるかを競うような要素があるんですけど、勝敗ってそこら辺で決めてたのかも。
まぁ、こんな風にゆる~い感じで戦争をしていた南部アフリカに現れたのがシャカ率いるズールー王国。
それまであまり死者の出なかった『戦争』において、敵を多数殺害するという画期的な革命を起こして冷酷呼ばわりされたシャカ。
長槍に変わる短槍を『発明』し、武器を手に持ったまま1人で複数人を突き殺せる革命を起こします。
殲滅させられるか、軍門に下ってズールー軍の戦力の一部になるかの二択で、近隣の部族を次々と飲み込み広大な王国を築き上げます。
最終的にシャカは暗殺され、ズールー王国も4代目の王の時代に崩壊しましたけど、今も8代目の王様がクワズールー・ナタール州にいます。
6人いる妻の一人は、スワジランド国王ムスワティⅢ世の姉妹。
ちなみに、今の南アフリカの大統領ズマもズールー族です。
左側のおっさんが大統領。こちらも婚歴6回を誇る他、スワジランド国王ムスワティⅢ世の姉妹(ズールー王の妻と別な人)と婚約中。
ズマの前の大統領ムベキはコサ族なんだけど、妻の名前からするとやはりスワジランドの王族だろうな。
ちなみに、ノーベル平和賞で有名なマンデラ大統領の娘も、ムスワティⅢ世のお兄さんと結婚してます。