読んだ本3冊

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不定期読書記録

寺井広樹著『AV女優の家族』

親にAV出演をどう伝えたのか、家族関係に変化は生じたのか、親戚にはいつ「身バレ」したのか、兄弟姉妹はどう思っているのか、子供には将来、自分の仕事を明かすのか?

インタビュー形式の本で、そもそも本自体も薄いが行間の隙間も多いので、実際の文字数はかなり少なそう。

インタビューを受けている現役や元AV女優たちは、白石茉莉奈や江上しほ等々。

そんな中、個人的には唯一のAV“男優”のインタビューが一番面白かった。

ソフト・オン・デマンド社が応募をかけた早漏オーディションに集まりし全国の早漏猛者たち。「30分間で何回射精できるか早漏アピールをしてください。用意スタート!」で2秒で発射。30分間で計4回発射して優勝したのがデビューのきっかけとか。

女優と絡みがない汁男優のギャラは1本1万~1万5千円で、汁男優系の仕事は『汁親』と呼ばれる手配師が持ってくるとか。

汁親って…正しい読み方としては「しるしん」とか「しるちか」ではなく「しるおや」だろうな。

あれ?そういえば数年くらい前に青汁王子みたいなのが話題になっていたような記憶があるが…もしかして、ネーミング的にこちら界隈の人だったのか? 汁男優の中でも「用意スタート!」で発射する汁が青っぽいからそう呼ばれていたとしたら…病気なのか?

でも王子って付いているくらいだから「病気じゃない!オレの個性だ!」的にポジティブな奴なんだろうな。

もしくは手配師・汁親を束ねる小ボス的な存在で王子と呼ばれてるかのどっちか。

満足度:★★☆☆☆

ルイス・A・デルモンテ著『人類史上最強 ナノ兵器:その誕生から未来まで

お肌の奥までしっかり浸透

現在、化粧品の宣伝文句が一番身近なナノテクノロジーとの接点だが…

二〇〇八年にオックスフォード大学で開かれた地球規模の巨大災害のリスクについての会議で、今世紀末までに人類が滅亡する確率は一九パーセントだとする調査報告が発表された。その報告書のなかで、人類滅亡の原因として最も可能性の高いものが四つ挙げられている。

1.分子ナノテクノロジーを応用した兵器 5%

2.人間の知性を超える人工知能(スーパーインテリジェントAI) 5%

3.戦争 4%

4.人工的につくり出された感染症の地球規模の流行(パンデミック) 2%

未来(本書内では今世紀後半)に誕生するであろうナノ兵器は核兵器を凌駕する危険性を孕んでいるという話。

表に出やすい民生用や医療用のナノテクノロジーを使った技術から、秘密のベールに包まれたナノ兵器について予測していく内容になっている。

例えば、体内の特定の場所に達するとあらかじめプログラミングされた作業を行う(抗がん剤を挟んだDNAをプログラミングされた細胞まで運ぶ)医療用ナノボットが臨床試験段階に入ってるとか、ナノ粒子を使ってプログラミングされたDNA分子を生成し、それを人工知能化することに成功している現在の最先端技術から考えれば、特定の人物もしくは特定の民族だけを殺害するようにDNAプログラミングされた殺人ナノボットだって出来ちゃ…ピー音…。

アメリカ陸軍研究所ではハエ型ドローンを製作したと発表している(実際に配備できるようになるまでにはもう少し時間がかかるらしい)が、1000ナノグラムのボツリヌス菌H型を蚊型の超小型ロボットに搭載して世界に放てば人類滅亡なんて…ピー音…。

でもさぁ~、いくら小型化出来たところでエネルギーの問題が立ちはだかるんじゃね?と思って、軽くググったら…北海道大学のサイトにこんなことが書いてあった。

バイオテクノロジーにより合成されるモータータンパク質とDNAナノテクノロジーにより合成されるDNAナノ構造体(DNAオリガミ)を組み合わせることで,自在にサイズを制御可能な分子人工筋肉の開発に成功しました。これにより,化学エネルギーで駆動するミリメートルからセンチメートルサイズの動力システムが実現し,将来的には医療用マイクロロボットや昆虫型ドローンなどの動力源として期待されます。

別の言い回しだと…

ミオシンやキネシンといった生体分子モーターを組み上げて、アデノシン三リン酸の化学エネルギーで駆動する世界最小の動力装置を開発。この研究はその後、魚や鳥の群れの動きをヒントに、DNAの指令で動きをコントロールするナノサイズの分子ロボットへと発展。

うむ…ただ“自分が知らなかった”というだけで、決して絵空事とは言えないレベルまで技術は進化していて、今後も加速度的に進化していくんだろうな。

やがて核兵器は時代遅れになり、将来はナノ兵器超大国が出現すると予測する著者。日本にかんしては「ナノ兵器を開発し得る実力を持ちながらも、ナノ兵器大国にはならないだろう。シンギュラリティ・コンピューターを開発する力もありながらも、結局はつくらないだろう。日本はアメリカの“保護国”のまま」と予想しているが、完全に同意。

満足度:★★★★☆

ワン・ジョン著『中国の歴史認識はどう作られたのか』

2009年に行われた中華人民共和国の建国60周年の祝賀行事。

式典は天安門広場中央から国旗掲揚台まで、軍旗衛兵隊がきっかり169歩で行進して国旗を掲げて始まった。

169歩は、1840年のアヘン戦争開戦からの169年を表していた。

『歴史的記憶』という側面から中国のナショナリズムや外交政策を紐解いていこうとする本。著者は、昆明生まれでアメリカ在住の汪錚准教授(国際関係論)。

歴史から紐解くわけじゃなく歴史的記憶というところが面白いところ。

本書は主として歴史的記憶の二つの側面に注目する。ひとつは、国民的なトラウマとなってきたさまざまな経験に対する中国国民の集合的な意識。そして二つ目は、トラウマになってきた過去を国家がいかに政治的に利用してきたかという点。要するに、歴史的な憤懣や国恥の体験が政治的な言説の中心を占めるようになると、政治はどうなってしまうのかを探究するのが目的だ。

歴史とは、一歩引いた批判的な視点から過去を再構築したものである。一方、集合的な記憶は、特定の集団によって共有された、過去の歴史的出来事の思い出や説明である。本書のテーマは「歴史的記憶」であって「歴史」ではないことを明記しておきたい。歴史上何が実際に起きたのかについての本ではなく、中国人が「歴史」というものをどう理解してきたか、そして政治的指導層が「歴史」をどう作ってきたかを探るのである。集合的な記憶は、実際の出来事や事実に基づくのではなく、想像の産物であったり、人為的に構築されたものであることがきわめて多い。

別に中国に限ったことではないが、歴史の何を記憶して、何を無視する(忘れる)か、時々の政権は自分たちにとって都合が良い歴史を取捨選択して「物語」を作る。

天安門事件と冷戦終結を経て、中国共産党のマルクス主義や毛沢東思想のイデオロギーが破綻。自分たちの一党支配を正当化するために、ナショナリズムと愛国主義を新たなイデオロギーとして利用することに。

それまでブルジョワジーとプロレタリアートの階級闘争という側面で歴史を取捨選択して「物語」を作っていたが、侵略者(外敵)と戦って祖国を守った愛国者共産党という側面で歴史を取捨選択して「物語」を作り直したと。

1991年、中国共産党中央宣伝部は「歴史的文物を充分に利用して愛国主義と革命の伝統について教育を行うことに関する通知」を発表。通知の内容に従って「(若い世代が歴史や伝統を知るうえで)直感的でイメージが湧きやすい」『愛国主義教育基地』の設置を進められた。

教育基地は、党の利害、価値観、戦略を体現するものを基準にして選ばれる。

ほとんどは、外国との戦争(特に抗日戦争)に関するもので、次いで国共内戦に関するもの、さらに神話に関するものが続く。

神話系は中国文明の素晴らしさ、偉業を伝えるもので、万里の長城のような古代の建造物などが選ばれるようだ。

ここでフッと思ったのだが…

万里の長城の西端、甘粛省にある要衝・嘉峪関。

そして嘉峪関近くの懸壁長城。

どちらも世界遺産のくせにドン引きするくらい新築感がえげつないのだが、2007年の日中共同研究による奈良大学の調査報告書にこんなことが書いてあった。

観光客が必ず訪問するのは,万里の長城の構成物として世界文化遺産に登録されている嘉峪関関城であろう。嘉峪関関城は現在,映画のセットのように綺麗に修復されている。その一方で,嘉峪関遺跡の外周部分には倣古集市・民俗村・西部風情園,更には植物園・水上楽園などが建設されていて,全体としては,嘉峪関遺跡を核心とした歴史文化テーマパークに娯楽施設が付随するような不思議な空間が形成されている。嘉峪関内には嘉峪関長城博物館があるが,これは89年10月に嘉峪関市街地に建設されたものが98年に嘉峪関内に移転してきた。展示のテーマは『中華之魂』であり,嘉峪関遺跡とともに愛国主義教育基地に指定されている。

嘉峪関市街地から西北8kmほどにある懸壁長城は,明朝嘉靖年間に建設が始まったとされるが,その城壁は原形がわからないほど崩れ落ちていた。崩れた城壁の一部は87年に嘉峪関市政府が,嘉峪関へと伸びる南側の城壁は,農民の楊永福が01年に私財を投じて修復再建した。彼は愛国者としてメディアに紹介され英雄視されている。

ふむ、もしや…とは思ったが、嘉峪関も懸壁長城もただのレプリカだったし、やはり愛国主義教育基地に指定されていたのか。

あくまでもイデオロギー的な教育の場としての史跡(目的のために利用する歴史)と捉えると、「中国文明の偉大な栄光」が直感的にイメージできる状態であることが最優先であり、歴史的建造物の復元の在り方(歴史的価値)の問題は二の次なのかもな。

原形がわからないほど崩れ落ちていた万里の長城をピカピカの新築で復元(そもそも原形がわからないのに復元と呼べるのか?も謎だが)しても愛国者として英雄視されるということは…そういうことじゃねーの?

特に愛国主義教育基地に指定されている史跡はその傾向が顕著かもしれん。

中国の史跡の“新築感”(実際に新築なんだけど)にすご~く違和感を持っていたが、もしかしたらそういう理由なのかも…と、自分なりの消化。

もちろん美的感覚の問題も捨て切れないが。

満足度:★★★★★
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