エム

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プリンセス・プリンセスの曲の話ではない。

オレがタイにいた頃は3つの時期に大別できる。

最初は旅行者としていた時。

次は日系ブラック企業で超貧乏会社員をやっていた時。

最後が台湾系ホワイト企業に転職して以降。

振り返ってみれば、それぞれの時期で付き合いがあった人たち、遊んでいた人たちが違う上に、時期をまたいで被っていない。それは日本人でも、タイ人でも、だ。

そんな中で“唯一”と言って良いと思うが、タイにいた期間すべてを通じて付き合いがあったのがエムだった。

エムと初めて知り合ったのは、オレが19才の時。旅行者としてであった。

バンコク3大歓楽街のひとつ、ソイ・カウボーイにあるゴーゴーバー『ロングガン2』で全裸で踊っていたのがエムだった。

今はよく分からないが、かつての3大歓楽街のイメージはそれぞれ違っていた。

露店も出ていて最も観光客を集めるのがパッポン、日本人好みの女の子が多くいる(と言われていた)ナナ・プラザ、そして一番芋臭いと言われていたソイ・カウボーイである。

芋臭いとされていた理由は、タイ東北地方イサーンからやってきた女が集まるのがカウボーイだったからだ。

地方から大都会に出てきたはいいが、銀座や六本木でキャバ嬢になるのは気が引けるから赤羽辺りで…みたいな感じだろう。

イメージ払拭のためか?垢抜けたいと思ったのか?は定かではないが、いつの間にかカウボーイが派手なネオンで飾り立てて“映える”見た目になっていた上に、「一番人気の歓楽街」と言われるまでになっているのは正直驚きだ。

オレからしたら「カウボーイのくせに」である。

ゴーゴーバーのシステム自体はどこも一緒だ。客はビール1杯でお立ち台の上で踊る女の子を眺めるだけでもいいが、気に入った女の子を隣に呼んでドリンクを奢ることも出来る。奢ってもらったドリンク代の2割くらいが女の子の懐に入るので、女の子からすれば客にドリンクをねだる=自分の収入に直結する営業活動になる。だからパッポンの女は無差別に「ドリンクおごれ」攻撃してくるのでうざい。

気に入った女の子と交渉して(女の子にも拒否権はあるが)話がまとまれば店外に連れ出すことも出来る。交渉はショート(2時間)かロング(一晩)かという話だが、回転数を稼げる自信のある売れっ子だとショートしか行かなかったりする。そして、そのお金は基本全て女の子の懐に入る。

交渉がまとまったら客はペイバー(pay bar:店に払う女の子連れ出し料)を払って、女の子とホテルに行く。売れっ子なら一晩の間にショート客を何度もとるので、その度に店にペイバーが入ってくるが、ロング客をとった女の子は一晩で1回しかペイバーを店に落とさない。

当時未成年だったオレが年上の旅行者たちに連れて行かれたのが、まだ芋臭い頃のカウボーイだった。

エムはオレの1つ下だったので、当時18才。

他の旅行者たちに連れられて来ただけで、ただの“社会科見学”程度のノリだったオレが自分を連れ出すことは100%ないと知ったエムは、自分で店にペイバーして店外に出た。

そのままエムに手を引かれてホテルに行ったが、ホテル代までエムが出した気がする…

そこからオレとエムのゆるくて長い付き合いが始まった。

当時、エムは『ロングガン2』の上階に住んでいた。

住み込みのゴーゴーバーというのも不思議だったが、夜になって歓楽街になるまではカウボーイも生活臭のする空間だった。夜、女の子が裸で踊るお立ち台も、昼間はテーブル代わりになってイサーン料理が出てくる“社員食堂”だ。

夜になれば欲望の臭気がたちこめる店内も、昼間はナンプラーとかタイ料理独特のくっせー臭いで充満している。上階に住んでいる女の子たち(夜になれば服を脱いでここで踊っているだろう女の子たち)と並んで、“社員食堂”で辛いイサーン料理を食べた。

カウボーイの裏側には、昼の間は裁縫屋さんもいる。半畳ほどの極狭スペースでミシン一台だけ置いて女の子たちの服を直すカウボーイ嬢を相手にしている裁縫屋さんだ。オレもカウボーイで何かを直してもらったような記憶がある。

当時、カウボーイ自体が小さなイサーン・コミュニティのようだった。

カウボーイにほど近いソイ19に、名前は忘れたがイサーン・ディスコがあった。再開発されて、今は巨大ショッピングモール『ターミナル21』がある場所だ。DJがイサーン音楽(モーラム)を流すディスコで、カウボーイで働く女か、エムに連れられたオレくらいしか行かないようなマニアック過ぎるディスコであった。

ここ数年、日本でも「伝統と革新の悶絶チャオプラヤー・ビーツ!」とか謎の持ち上げられ方をして、モーラムが注目を浴びることになるとは夢にも思っていない頃である。

「逆にお洒落」という「逆に」が未だに理解できないオレ。

ちなみに、当時カウボーイのゴーゴーバーは閉店時間の『蛍の光』的最後の1曲はモーラムであった。モーラムが最後に流れた途端、それまで超ダルそうに踊っていた女の子たちの顔に急に生気が戻り「仕事が終わりだ!」とテンションが上がり出すという魔法の音楽。

エムがなぜゴーゴーバーで働くことになったのかは知らない。

当時のオレは全くタイ語が話せなかったし、多少は話せるようになってからもエムとの会話は困難であった。エムのタイ語はイサーン訛りが強くて、何を言ってるのか分からないのだ。

ただ、仕事は非常に嫌がっていた。

ゴーゴーバーで行われる客寄せイベントとして“セクシーショー”なるものがあって、二人一組になって全裸でローションを塗りたくってレズプレイもどきをしないといけないらしいのだが、その演者は持ち回りらしく自分の順になることをとにかく嫌がっていた。

エムがカウボーイで働くのを辞めた時期は分からない。

オレはオレで色々あったし、彼女は彼女の人生を送っていたが、たまーに彼女から携帯に「部屋に行っていい?」と連絡が来て、泊まって帰ってゆく程度のゆるい付き合いになっていたが、久しぶりに会った時のエムは工場勤務になっていた。

アユタヤ県にある日系企業の工場で、自動車関係の部品を製造しているという。

日系ということで確か会社名も聞いたような気はするが、聞いたこともない会社名だったので記憶にはない。

どこかに部屋を借りて住み、同じ制服を着た同僚たちと一緒に会社が用意した大型送迎バスに毎朝乗ってロジャナ工業団地に出勤する。仕事が終わればまたバスに乗って帰る。そんな毎日を過ごしていると言う。

カウボーイの頃の話はしなかった。

オレの部屋からエムが帰って行く時に、「はい、これタクシー代」と言って実際にかかる金額より多めに渡したら「そういうのじゃないから」と返された。

また久しぶりに会った時の彼女は水産加工会社の工場勤務になっていた。

実家がイサーンの田舎から出てきたとかで、両親と一緒にサムットサコーン県に引っ越していた。

サムットサコーン県…バンコクの南西に隣接している県で、エビの養殖が盛んなのか?知らないが水産加工系の会社が多い。というか、それ系の会社しかない。確か、紀文の工場もサムットサコーンじゃなかったっけ?

当時、オレも仕事で色々と行動範囲は広かったがサムットサコーンは「仕事で行きたくない場所」ベスト3に入るところであった。高速を使っても遠いし、ど田舎で店がないからランチを食う場所に困るようなところで、行かないといけないってだけで憂鬱。

一度、エムを送ってバンコクからサムットサコーンの実家まで行ったことがある。BMWの助手席に彼女を乗せて高速をぶっ飛ばしながら…そういえば、出会った時はオレが19才の旅人で、彼女は18才のゴーゴーガールで…あれから何年も経ったんだな、と少し感傷的な気分に浸りそうになったことを覚えている。

多分お互いにだと思うが、言語的な問題があって相手が深いところで何を考えているのかまでは分からないのだ。そういう意味では表面的な付き合いしかしてないはずなのに、タイで一番長い付き合いになっていた。もしかしたら、表面的な付き合いだったからこそ長く続いていたのかも知れないけど。

実家でエムの両親と会って何か話したような気もするが、何も覚えていない。

「アフリカに引っ越すからタイを出る」と伝えた時が彼女との最後だ。

「多分もう帰って来ない」と。

その時エムは何か色々話していたけど、彼女のイサーン訛りのタイ語は全く理解出来なかったし、聞き返してまで理解しようとも思わなかった。

タイを引っ越したことで、エムとの関係は切れた。

メールアドレスも知らないし、携帯番号も知らない。

それに…エムの本名をオレは知らない。

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