第9話に続く第10話。
ケープタウンからアフリカ大陸をずっと北上してきたが、国境を越えて多少の違いは感じても「全然違う!!」と実感することはなかったが、エチオピアはこれまでの国々とは全然違っていた。
独特な国
まずカレンダーがおかしくなり、時間がおかしくなった。
カレンダー
エチオピアは、日本を含む世界のほとんどの国で使われているグレゴリオ暦ではなく、古代エジプト太陽暦の流れをくむエチオピア暦を使う。
1年は13カ月あり、エチオピア暦の新年1月1日はグレゴリオ暦では9月11日になる。
今日2024年8月8日15時をエチオピア時間で言い換えると2016年12月2日9時になる。
キリスト生誕年の解釈が違うので、今年は2016年だ。
時間
時間が違うのは時差ではなく、エチオピアには2つの時間が混在しているからだ。
国際的に使われている標準時でエチオピア時間(UTC+3)は15時でも、エチオピア人の使っている“エチオピア時間”では昼の9時だ。
15時でもあるし、9時でもある。
“エチオピア時間”では朝6時が0時で、夕方6時が0時。
夜明けから夕暮れまでの12時間と太陽が沈んでいる間の12時間の、昼と夜の12時間サイクルになっていて、午前午後という概念はない。
これが外国人旅行者を混乱に陥れる。
2つの時間が混在しているため「3時に集合!」と言われたら、必ず「それって国際時間?エチオピア時間?」と確認しないといけない。
国際時間で言っているなら15時のことだろうし、エチオピア時間で言っているならそれは国際時間で朝9時のことだ。
タイ語も朝・昼過ぎ・夕方・夜・深夜で変化する時間の表現(19時なら夜1時という言い方)をするが、別にタイへ旅行に行って困ることはない。
あくまで言語的な表現であって、社会がその時間システムで動いているわけではないから。
でも、エチオピアはエチオピア時間で社会が動いている。
バス
一番困るのがバスだった。
バスの出発がめちゃくちゃ朝早いのだ!!
数時間の距離しかない隣町への移動でも、早朝6時発しかない。
座席の争奪戦を考えると…4時台には起床してバスターミナルに向かい、5時の開門と同時にダッシュでバスの席取りをしないといけない。
なぜなら、エチオピアでは夜明けから夕暮れまでの12時間しかバスは走っちゃダメ、つまり早朝6:00~夕方17:59の間にしかバスは走れないから。
12時間以上かかるような長距離移動の場合、あと2~3時間で着くのに!というところでも1泊する。しかも翌日もなぜか早朝6時発…そこはゆっくりでもよくない?といつも思っていた。
早朝6:00~夕方17:59しかバスは走れないのはいいとして、なぜか絶対に早朝6時発なのがものすごくイヤだった。
ちなみに…エチオピアのバスはどんなに暑くても窓を開けてはいけない。
なぜなら悪魔が入ってくるから。
満員になった乗客の熱気で蒸し風呂状態になって「あっちーし、空気悪っ!!」と窓を開けてもピシャッと閉められる。
悪魔に憑りつかれてもいいから新鮮な外気を吸わせてくれぃ!!
というオレの願いも虚しく、エチオピア人たちはあえて蒸し風呂を選ぶ。そして自ら悪い空気を選んでおきながら、隣でゲロを吐きまくる。
悪魔と戦うくらいの気持ちで三半規管を鍛えておけよ。
文字
サハラ以南のアフリカの多くは自分たちの言語をラテン文字で表記する。
ケニアで道路標識に『HATARI』と書いてあれば、スワヒリ語の意味は分からなくても「ハタリ」と読めはする。
ところが、エチオピアに入って急に書いてあることが読めなくなった。
エチオピアは独自の文字であるゲエズ文字を使う。
多民族国家のエチオピアらしく言語は255あるらしいが、アムハラ語、オロモ語、ティグリニャ語、アファール語など主だった言語はゲエズ文字を使う。
歴史
アフリカで唯一植民地になったことがない!
というのがエチオピア人の強力な誇りになっていて、人によっては「他のアフリカ人と我々は違う」という優越感のような感情を持っているように感じることもあった。
それだけプライドは高い。
ただ、厳密に言うとエチオピアはムッソリーニ政権のイタリアに5年ほど併合されている。
日本で言うところの日清戦争の頃に第一次エチオピア戦争をやってエチオピアに大敗したイタリアが、日中戦争の頃に復讐のため第二次エチオピア戦争をやって大軍で攻め込んで併合。
たったの5年だから、イタリアによる併合がほぼ無かったことになっているのはいいのだが…
その割に…
スパゲッティは準主食級に普及していて、電気や水道が通っていないような田舎でも食べれるし…
アディスアベバには(イタリア語の広場から)ピアッサ地区があるし…(イタリア語の市場から)メルカート地区があるし…
別れの挨拶は「チャオ」だし…
けっこう影響されてんじゃん!!
とは正直思ったが、そんな率直な感想を口に出したらめんどくさいことになりそうな気配がプンプンしたので直接言ったことはない。
ちなみに…エチオピアのスパゲッティはそれなりのレストランに行かない限り、基本的に美味しくはない。
これは致し方ない部分もあって、標高が高いエチオピア高原(首都アディスアベバで標高2355m!)は沸点が平地より低いので、たっぷりの時間をかけて茹でる。
どうせ時間なんか計ってないだろうから、長め長めに茹でる。
結果、出てくる麺はダルダルのフニャッフニャ!!
アディスアベバのちょっといいレストランでアルデンテで出てきた時はちょっと感動した。
食事
これまで旅してきた国々ではパップ、サザ、シマ、ウガリと呼び名は変われど、メイズ(トウモロコシ)やキャッサバの粉をお湯で溶いて練り上げたものが主食だった。
ウガンダだけは主食がバナナだったけど。
右の白いのがシマ(ザンビア)。手でつまんでおかずと一緒に食べる。
知ったかぶって書いたが、実はオレ自身はアフリカに住んで1年以上経ってザンビアで初めて食べた。だって、ケープタウンには普通になかったから。ケープタウンもアフリカでありながら、かなり特殊だしな…
さて、エチオピアの主食はインジェラである。
下のクレープ生地みたいがインジェラ、上に載っているのがワット(惣菜)だ。
セットになっているので、インジェラを頼めば勝手にワットがのって出てくるが、なぜか「インジェラは要らないからワットだけくれ」と頼んでも「ない」と断られる。「じゃあ、インジェラで」と言えばワットがのったインジェラが出てくる。
グルテンフリーで栄養価が高い穀物テフの粉を水で溶いて、発酵させた後にクレープのように焼いたのがインジェラ。
発酵食品のため独特な匂いと酸味があり、発酵具合によっては胃酸の味になり、酒を飲み過ぎて激しく酔ったあの日の思い出がよみがえってくる。
“エチオピア人の主食はインジェラ”と書いたが、全民族がそうだというわけではない。
エチオピア南部、コンソとアルバミンチの間にあるディラシェ地域に住むディラシャの主食はトウモロコシから造った醸造酒パルショータである。
酒以外はほとんど口にしない、世界的に珍しい民族もいるっちゃいるがエチオピアでも例外。
あと、エチオピア人は生肉を食べる。
牛肉の刺身テレスガの他、牛肉のミンチをハーブと混ぜたキトフォがある。
写真の左皿が牛肉ミンチのキトフォ、下皿がチーズ、右皿がミックススパイスのミトゥミッタ。
インジェラにキトフォをのせ、チーズとミトゥミッタをかけて食べる。
悔しいことに旨いは旨いが、食べるのは怖い。
今後のルート
首都アディスアベバで、ナイロビ以来となる長期休養に入った。
温泉でたっぷりのお湯につかって、ナイロビからの移動で疲れた体を癒す。
荷物をアディスアベバに置いて、北部のラリベラに小旅行で行ったりもした。
“建てた”のではなく、巨大な岩山を建物の形にくり抜いた岩窟教会群がある。
世界遺産にもなっているエチオピアの目玉だ。
もう少し足を延ばしたゴンダールには、かつてエチオピア帝国の王宮だった世界遺産ファジル・ゲビがあるのだが…
アディスアベバからラリベラまでの22時間半移動でめんどくさくなってしまい行っていない。
北部には他にも世界遺産アクスムもあるが、もっと遠い。
実は、エチオピアからはこれ以上アフリカ大陸を北上できなくて困っていた。
北上するにはどうしてもスーダンを通る必要があるのだが、ナイロビのスーダン大使館でも、アディスアベバのスーダン大使館でもビザを発給してくれなかった。
スーダンに入れないとなると、アラビア半島に抜けるしかない。